
看護師やめて介護士はじめました〜「こんなはずじゃなかった」〜
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今回は、こちらの記録の続きです。
転職して、まず感じたことを綴っています。
新社会人の方にも共感してもらえるかもしれません。
介護の世界への衝撃
静かな熱情とともに飛び込んだ介護の世界は、私にとって"カオスの世界"でした。
なぜ、そう感じたのか?
お恥ずかしい話ですが、
【私は介護の世界を知っている】
と思い込んでいたのです。
医療と介護の現場の違い
病院勤務の時も、中途障害の方々の生活の再構築を支援する現場にいたので、その人の生活を見る視点は培われていると思っていました。
医療と介護はどちらも人の命や生活に関わる仕事ですが、現場のルールや動き方がまったく違ったのです。
介護現場に、医療職として勤めていれば、これほどのギャップは感じなかったのかもしれませんが。
医療は比較的ルールが明確で、指示系統もはっきりしています。マニュアルも教育資源も豊富で、分からないところがあれば自ら調べて動くことができました。
しかし介護は、その場の判断や柔軟性が求められやすく、利用者さん一人ひとりの状態や個性も違う中で、その人に合わせて対応していく必要がありました。スタッフが「こうしたほうがいい」と提案するのは自由ですが、決めるのはご本人なのです。
一人ひとりの個性を尊重して対応するって、一見当たり前に簡単なようですが(そして、美しく聴こえる)、その場のルールに準じて生活する事が難しい方々を、ほぼワンオペで見守りのもと、安全に過ごしてもらうには……、
恐れずにいうならば、管理したほうが楽なのです。
スタッフの言う通り動いてくれたほうが、楽なのですよ。
医療の現場は、【権威】と【ヒエラルキー】の世界なので、管理されている場。
それに、どっぷりつかりきっていたことに気づかされたのでした。
介護現場の多様性
医療現場は、資格を持った人しかいません。
介護現場は資格を持った人もいますが、無資格で就職して経験年数を積んでから、資格をとる人も結構います。
ちなみに私も介護の世界では、無資格者です。
これまでの仕事で得た知識はかなり役に立っていますが、無資格者です(*^^*)
時間をかけて知識を得てきた人ばかりではなく、生活の知恵と経験をフル活用している人とも一緒に働いていくこと、このことも私にとっては新鮮でした。
10年以上グループホームで働いていても、特技は日曜大工で苦手は介護…と言ってるスタッフがいるのよ〜と、ホーム長から聞いた時は、ズッコケました。
少数精鋭の現場で、それはないだろう…。
前提を疑う
それにしても私は、ずいぶんと狭い世界で生きてきたんだなぁ…と思い知らされました。
私は、これまで介護の世界を「医療の延長線上にあるもの」と捉えていました。
看護でも、単に医療的介入や身体介助を行うだけでなく、心のケア、生活の支援、そして時には人生の伴走者となることを求められることもあります。
介護でも、同じようなものだと思っていました。
医療行為がないだけ…と。
私は自分の介護観とそれに基づく認識が、いかに脆いものであるかを痛感しました。
だから、『カオスの世界』だと感じたのでしょう。
介護の世界は、想像をはるかに超えた広がりと深みを持っていました。
そして、その世界に足を踏み入れることで、新たな視点を得ることができました。
紛れもなくそのことを教えてくれたのは、入居されている『認知症と診断された方々』でした。
前提を疑うためには?
ストア哲学を礎にジャーナリングできる著書『ストイシズム』の最初のページにある『課題』です。
第一章 1日目『心をひらく』
哲学を実践する者が最初に取り組むべきことは何か?
それは「自分は知っている」という考えを捨て去ることだ。
人は「知っている」と思っている何かについて学ぼうとすることは絶対にないからだ。
『ストイシズム』より
自分の中の前提を疑問視し、習慣になっている思考プロセスが健全で正確かどうかを自問するのだ。
その際に何よりも役に立つのが「オープンマインド」だ。
私たちは、「自分の考えや思いや行動は正しい」と無意識に思っています。
過去のデータから無意識に価値判断をしています。つまり、過去の延長線上に生きています。
そのほうが安心だからです。
私たちが「当たり前」と思っていることは、実は「当たり前」ではないかもしれない。
自分の枠組みを疑うことで、想像をはるかに超えた発見と学びが得られるはず。
転職して、もうすぐ1年。
新しい視点を得るためには、握りしめていた手を離さなければ、掴むことはできません。
これまで身につけてきたモノを、手放していく作業が続いています。