メインコンテンツへスキップ
見出し画像

【遺稿】ティッシュの花 第二部/雨中の花火 第五話/モヤモヤ

    8月2日。
     昨日、一昨日と慣れ親しんだW接種会場での最後の仕事を終えた。顔見知りになったみんなと別れるのはちょっと辛いかなと思っていたが、実際にはそうでもなくて、実に淡々と別れた。

     会場数を減らして別会場で継続する8月のシフトは確定は1日しかもらえなかった。希望は出しておいたが、約2.5倍の倍率。入るのはなかなか厳しいかも知れない。もっと社員さんとかにアピールしておくべきだったのかなと思ったが、まあそんなことは考えるだけ徒労だ。万一にもそんなことをしていたら、こんなに楽には仕事出来なかっただろう。

     今日は沙夜子と飲みに行ってきた。この時期に酒を出しているのも問題なのだろうが、閉店時間を尋ねたら「24時間営業です」と外連味もなく答えられて、ちょっと、いやかなり引いてしまった。入店したのは18時位だったが、カウンター席に座っているおじさんは、もうかなり出来上がっていたし、その後方にあるボックス席のグループも盛り上がっていた。何時から飲んでいたのだろう、総じてみんな声が大きい。沙夜子と私は、そこからちょっと離れたテーブル席に落ち着くと「まあ、飲み放題だね」と、生ビールとクエン酸サワーを注文した。離れていてもおじさんの声は容赦なく響いてきて、しまいには歌まで歌っていたが、ほどなくその声は途絶えた。きっと撃沈したのだろう。まあ、あれでもきっとちゃんと家には帰りつくのだから人間の帰巣本能というのもバカにならない。きっと、遠い旅路ではあるだろうが。

     5、6杯ずつは飲んだと思う。今日は8月の派遣の話や父の新盆の話など、私の話ばかりしてしまった気がする。会計も一人3000円のところ、「2つでいいよ」と多く出してくれた。「ご馳走様」と言って2000円だけ出してすぐに財布をしまった。いつも甘えてばかりだなと思う。

     反省を込めて帰宅してすぐにLINEを送った。そう言えば今日の飲み会、誘ってきたのは沙夜子だったな。決して珍しいことではないけど、月曜日早々に即「今日どう?」と言って来たのは、もしかしたら何か話したいことがあったのかも。まあ、あのお店じゃ込み入った話は出来なかっただろうから、今度ちゃんと聞かないといけないな。そう思ったので「何か話したいことあった?」と追加で送っておいた。さ、明日からは気持ちを切り替えて、真面目に仕事を探さなきゃな。

    8月3日。
     昨夜、沙夜子からの返事はなかった。既読にはなっていた。私ならいざ知らず、いつも返信の早い沙夜子にしては珍しい。少し気になったので電話を入れてみたのだが、日中は仕事中なのか出てくれなかった。夕方になってもう一度電話をしてみる。7回目のコールで沙夜子が出た。「あ、沙夜子」と言うやいなや、「ごめんアカリ、またかけ直すから」と切られた。

     モヤモヤした。何かあったのは間違いない。沙夜子と知り合ったのは2年前。SNSで知り合った。リアルに会うようになってからまだ1年ほどだが、今では友人の少ない私にとって、唯一無二と言っていい存在になっている。少ないなんて書いたけど、沙夜子以外に定期的に会っている友人なんて一人もいない。一泊旅行だけど、一緒に行った旅行の数もこの間の花火を入れたら両手でも足りなくなっていた。いつも私のことを気にしてくれた沙夜子。「大好きだよ」と何度も何度も言ってくれた沙夜子。沙夜子からこんな風に突き放されたのは初めてだった。どうして昨日、会っている間に気が付けなかったんだろう。胸が痛い。ごめんね。とLINEを入れた。何事もなかったようにいつもの沙夜子から、いつものようにお気楽な返事が来ることを祈った。

     明日は初めて行く職場だ。こんな気持ちじゃ眠れないかも知れないけど、早く寝なくちゃいけない。倍付の薬は、また寝坊してしまうのが怖いので、1錠だけにしておいた。

    8月4日。
     そう言えばオリンピックやってたんだと、偶々付けたテレビのニュースを見て思い出した。スケートボードで日本選手が金メダルを取ったのだそうだ。父が死んで私以外誰もいなくなった家は、テレビの電源が入ることも稀だったし、友達も少なく職場仲間というのもいない私は、世間話というやつを殆どしない。最近良く感じる、世間との善悪や倫理観のずれはこの辺りに影響があるのかも知れないな。情報氾濫のネット時代においては、主体的な情報の取捨選択が重要だと言われて久しいが、主体的になればなるほど、情報の偏食化が進む。新聞やテレビが伝える少ない情報を鵜呑みにしていれば良かった時代は、権力の操作もあったのかも知れないが、それなりに倫理のバランスは配慮されていたのだろうと思う。私の頭にあるのは怪しげな映像と音楽ばかりで、時事も政治もすっからかんだ。こんなことで一端の社会人だなんて、ちゃんちゃらおかしいと言われても仕方がない。だけどさ。だけどさ。言い訳くらいさせて欲しい。誰でもいいから私の話を聞いてくれないだろうか。

     ついさっき、沙夜子から電話があった。長い長い待ち時間だった。先週元カノから連絡があって、昨日会っていたのだそうだ。それを聞いて、何だそんなことか、と思った。元カノのことは少し聞いたことがあったし、それに別に私は沙夜子の今カノでもない。「気にしなくていいよ」私の言葉は本心だったのだけど、沙夜子にはそう伝わらなかったみたいだ。「アカリだけだから」という言葉が重い。それに安易に「うん」と答える自分が、もっと嫌だった。

     一昨日から引きずってきたモヤモヤした思いが、沙夜子からの電話でまた違うモヤモヤに変わってしまった。一体、私はどうしたいのだろう。とりあえず今は、沙夜子との関係の掛け違いが、これ以上大きくならないことを祈ろう。

    8月5日。
     色々考えていたって仕方がない。そう思った私は行動に出ることにした。フリーターは責任がなくて気楽ではあるけれど、次の仕事のことを考えないといけないところはやっぱり気が重い。この家もいずれ処分される予定だが、唯一父のおかげで家賃負担がない今の内に、生活基盤を安定させておく必要性も含めて、ここは本気で一本立ちしようと思ったのだ。今までの派遣やパートの募集ではなく、正社員募集のページに目を通し、とりあえず目に止まったところに栞を挟んだ。10個ほどの栞が出来たところで、もう一度前から順に精読した。重要視するポイントは、まずは家から通えるところ。いつもなら時給と共に注目する交通費が出るか出ないかだが、正社員募集では交通費が出ないところはなかった。さすがは正社員だと感心したが、いやそこは感心するポイントじゃないと自分に突っ込みをいれる。

     そこで、はたと困ったことに気が付いた。通勤時間の他に給料とかお休みとか就業時間をチェックして栞をいれたのは良かったのだが、それ以外のファクタが抜け落ちている為、業種や仕事内容がバラバラだったのだ。何がやりたいってことがないのだから、何でも良いのだが、どれを選ぶかという所でその基準がなかったのだ。結果、どれが楽そうかという基準で、10個の案件を改めて検証することにする。お昼以外の休憩時間があった方がいいかな、立ちっぱなしは大変かな、接客は苦手だな……、とか。そうやっているうちに、10個の栞は全部なくなってしまった。酷い話だ。要は仕事をしたくないというのが本心なのだろう。折角、動き出そうと思ったのになあ。また一からか。そう思うとどっと疲れが出た。

     振り返ると、私にはこんな時に相談できる人が誰もいなかった。無様だ。何という醜態だろうか。と、そこに登録している派遣会社から仕事紹介のメールが入ってきた。明日の仕事だ。もういいや。とりあえず仕事してこよう。私は条件も何もチェックせずに申し込みボタンを押した。ほどなくして採用通知が来た。明日はとにかく頭をからっぽにして、この仕事をやっつけてこよう。考えるのはその後にすることにした。あ、父の初盆、どうしよう。

    (続く)

     
     

    月麦

     
     
    月麦です。別のサイトで小説を書いていましたが、読者層と作品が合っていないというご指摘を受け、こちらを紹介いただきました。お読みいただいた方の心に届くような、小説や詩を書いていきたいと思います。どうぞ宜しくお願い致します。【100%フォロバします】

    あなたへのおすすめ