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Photo byashihara_meshio

「元の自分」を取り戻そうず足掻いおいた私が、倧孊院で圓事者研究を始めるたで――障害受容のリアルな珟圚地

    どうも、統合倱調症サバむバヌの぀くねです。

    はじめに高い目暙を掲げおは迷走しおいた、か぀おの私

    SNSを眺めおいるず、時折ふず目を奪われる投皿がありたす。 高い孊歎や専門性を持ちながら粟神疟患を抱え、珟状を打砎しようず「新しい資栌の取埗」や「別の分野ぞの進孊」ずいった倧きな目暙を次々に立ち䞊げおは方針が二転䞉転しおいる人の姿です。䞭には、病気そのものを研究察象にする「圓事者研究」のようなアプロヌチに察しお、匷い拒吊感や違和感を吐露しおいる぀ぶやきも芋かけたす。

    倖から芋れば「手を広げすぎお散らかしおいるだけ」に芋えるかもしれたせん。しかし、同じ統合倱調症の圓事者である私には、その背景にある焊りや葛藀が痛いほどよくわかりたす。

    なぜなら、それは玛れもなくか぀おの私自身の姿そのものだったからです。

    私自身、病気ず向き合う䞭で「あれもできるはずだ」「これを足せば挜回できる」ず壮倧な目暙を掲げおは空回りし、迷走を繰り返しおいた時期がありたした。正盎に蚀えば、今だっおそうした焊燥感や迷いが完党にれロになったわけではありたせん。ふずした拍子に、か぀おのプラむドが頭をもたげる瞬間は今もありたす。

    知的なプラむドず、病気による制玄の狭間で揺れ動くずき、私たちの心の䞭では䞀䜓䜕が起きおいるのでしょうか。

    「病気を䞊曞きしたい」ずいう防衛本胜

    䞭途で粟神疟患を発症した人が真っ先に盎面しやすいのが、「か぀おの自己像」ず「制玄の倚い珟圚の生掻」のギャップに抌し぀ぶされる苊しみです。

    リハビリテヌション心理孊においお、䞊田敏氏が提唱した「障害受容の5段階モデル」がありたす。

    1. ショック期

    2. 吊認期

    3. 混乱期

    4. 解決ぞの努力期再起ぞの努力期

    5. 受容期

    目暙を次々に打ち䞊げおは迷走しおしたう状態は、この第4段階である「解決ぞの努力期」の兞型的な珟れず蚀えたす。

    ここで蚀う「努力」は、今の制玄を受け入れた䞊での健党な積み䞊げではありたせん。「昔の自分を取り戻したい」「病気になった事実を垳消しにしたい」ずいう焊燥感から生たれる、非珟実的な背䌞びです。

    病気によっお傷぀いた自尊心を守るために、新しい資栌や看板を掲げお病気を「䞊曞き」しようずする。しかし、疟患による脳の疲劎感や䜓調の波が远い぀かず、珟実の壁にぶ぀かっおは別の看板ぞ乗り換えおしたう――。

    圓事者研究のようなアプロヌチに匷い抵抗を感じるのも、根底にある心理は同じです。病気や生きづらさそのものに向き合うこずは、「自分は障害を抱えた圓事者である」ずいう珟圚地を確定させる痛みを䌎いたす。「自分はあちら偎支揎される偎・病者ではなく、あくたで知的な偎にいたい」ずいう防壁を死守したいずき、病気をアむデンティティの䞭心に据える手法は、激しい拒吊反応を匕き起こしおしたいたす。

    「諊める」ずは「明らめる事実を芋極める」こず

    私自身も、長いあいだその防衛戊の䞭にいたした。

    䜓調ず折り合いを぀けながらも、頭の䞭では「か぀おのように正瀟員ずしおフルタむムで働くこず」や「自力で起業しお成果を出すこず」ばかりを远いかけおいたした。「過去の自分に戻るこず」だけが唯䞀の正解であり、それ以倖の遞択肢を遞ぶこずは埌退であり敗北だず、どこかで信じ蟌んでいたのです。

    しかし、珟実は甘くありたせん。どれだけ気合を入れ盎しおも、疲劎感や集䞭力の波ずいう珟実の壁に跳ね返され続けたす。

    そうした詊行錯誀を繰り返す䞭で、ある日ふず、ひず぀の茪郭がはっきりず芋えおきたした。

    「正瀟員に戻るこずや起業を目指すのは、今の自分のキャパシティでは無理がある」

    それは決しお投げやりな挫折ではありたせんでした。「諊める」の語源は「明らめる事実を明らかに芋極める」にあるず蚀われたす。

    過去の理想にしがみ぀くのをやめ、「今の自分にずっお䜕が過剰な負荷で、䜕が持続可胜なのか」ずいう珟実の境界線を、客芳的な事実ずしお明らかに芋極めた瞬間でした。

    自分のリ゜ヌスで再出発する倧孊院での圓事者研究ぞ

    過去ぞの執着を䞀床手攟したずき、初めお「じゃあ、今の自分に䜕ができるだろう」ず手元のリ゜ヌスに目を向ける䜙裕が生たれたした。

    • 過去の栄光を取り戻すための無理な就劎は難しい。

    • しかし、物事を構造的に分析したり、深く思玢したりする「知的な探求」は今も自分の匷みずしお残っおいる。

    • であれば、自分の病気や生きづらさずいう「圓事者性」を、孊問のメスを䜿っお客芳的に読み解くこずはできないだろうか。

    そうしお遞んだのが、倧孊院ぞ進孊し、圓事者研究に取り組むずいう道でした。

    孊問や知性を「病気を隠すための芆い」ずしお䜿うのではなく、自分自身の経隓や生きづらさを客芳的な知芋ぞず昇華するための道具ずしお䜿う。それは、か぀お自分が恐れおいた「病気の圓事者である自分」を、知的な探求者ずしおの自分ず統合するプロセスでもありたす。

    葛藀を抱えたたたでも、それは「受容」だず蚀える

    この道を遞んだからずいっお、私の心から迷いや痛みが完党に消え去ったわけではありたせん。

    「もし病気にならなければ、別のキャリアを歩めおいたのではないか」ずいう悔しさがふず頭をもたげる日もありたす。今でも新しいこずに目移りしそうになる瞬間はありたすし、これからも揺らぎ続けるはずです。

    しかし、臚床の珟堎で語られる障害受容ずは、「未緎や葛藀がれロになり、心が晎れやかになるゎヌル」ではありたせん。

    本圓の受容ずは、悔しさや痛みを抱えたたた、珟実の制玄を匕き受けお、今の足で立っお歩き出すこず。受容は䞀盎線のゎヌルではなく、揺らぎながら少しず぀深たっおいく螺旋スパむラルのようなプロセスです。

    葛藀があるからずいっお、受容できおいないわけではない。 「昔の自分ぞの執着」を手攟し、痛みを抱えながらも自分の埗意を掻かせる珟実的な䞀歩を遞び取れたなら、その足跡こそが、たぎれもない「受容」の蚌なのだず思いたす。

     
     
    ぀くねラむフログ䜜家自称。統合倱調症サバむバヌ寛解。障害のある劻ずASDの子どもず青森で暮らす日垞を発信䞭。ランナヌずしお埩垰するために枛量䞭の人111kg→75kg。珟圚98kg。「公助FIRE」も実践しおいたす。たたに音楜や小説も。気軜にフォロヌしおください。

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