
30代・40代からのキャリア戦略「何屋さんですか?」に、うまく答えられない人へ
「何屋さんですか?」「何やってるんですか?」
ぶっちゃけずっと親に言われ続けるし、自分でもよくわからんっていうことは多い。初対面の場で、こう聞かれて、一瞬詰まったことはないだろうか。肩書きは言える。会社名も言える。でも「で、あなたは結局何の人?」と一言で返そうとすると、うまく言葉にならない。あれこれやってきたぶん、逆に一本で言い切れない。そういう詰まり方だ。
30代後半から40代にかけて、この質問は一番深く刺さる。20代のうちは「まだ若手なので」で流せた。30代前半までは「今はこれをメインにやっています」と勢いで言えた。でも40代が見えてくると、周りは「この人はこれの専門家」という強固な看板を持ち始める。その中で、自分だけが何でも屋のようで、看板が定まっていない気がして、少し焦る。
先に断っておくと、これはあくまで個人的な意見だ。正解を配る話ではないし、専門を持っている人を否定する話でもない。ただ、この「何屋問題」に、自分なりに一つの見方を持っているので、それを書いておきたい。
「専門を持て」は、たぶん正しい
世の中には強い通念がある。専門を持て。一つに絞れ。T字型人材になれ。器用貧乏になるな。
この通念は、たぶん正しい。少なくとも、稼ぐという一点で見れば正しい。
一つの領域に振り切った人は速い。判断の軸がぶれない。同じ問題を何度も解いているから精度も上がる。市場から見ても分かりやすい。「この人はこれの人だ」という看板は、そのまま単価になり、仕事の入り口になる。振り切るというのは、稼ぐための合理的な戦略だ。 ここに異論はない。
だから、「何屋か答えられない」焦りは、正しい焦りでもある。看板がない状態は、市場では確かに不利だ。その感覚は否定しない。
ただ、その焦りに任せて、今すぐ何かの看板を名乗るのが正解かというと——個人的には、そこには順番がある、と思っている。
会社にいても、いずれ必ず問われる
まず一つ。「何屋問題」は、独立した人だけの話ではない。
会社員でいるうちは、質問をある程度、組織が肩代わりしてくれる。名刺の会社名と部署が、とりあえずの答えになる。でも、その看板は自分の看板ではない。異動すれば変わるし、辞めれば消える。
そして今の時代、30代後半から40代のどこかで「このまま今の会社にいていいのか」を一度は考える。転職活動を始めたり、独立を視野に入れたりする。その瞬間に、組織の肩代わりが外れて、「で、自分は何屋なのか」が生身で返ってくる。
つまり、独立していようがいまいが、「何屋か」という問いから、最終的に逃げられる人はいない。 早いか遅いかの違いだけだ。だからこの問いは、フリーランスやクリエイターだけでなく、会社にいる人にとっても、いずれ自分の番が来る話だと思っている。
その上で、個人で立つ人にとっては、この問題がもっと切実になる。
個人で立つと、分業の壁が消える
自分自身もそうだが、独立した人、フリーで動く人を見ていて、強く感じることがある。全体像を把握して動ける人の方が、明らかに強い。
これは能力の高低の話ではなく、構造の話かもしれない。組織にいれば、自分の担当領域だけを深く掘っていられる。売れなかったとき、作れなかったとき、責任は分散する。マーケが弱かった、プロダクトが弱かった、営業が足りなかった——原因を誰かと分け合える。それが組織のいいところでもある。
ところが個人で立つと、その分業の壁が全部なくなる。作ったものが売れなかったとき、「作りは良かったが売り方が悪かった」という言い訳が、自分の中で成立しない。作ったのも自分、売ったのも自分だからだ。片側に振り切ったつもりでも、もう片側は結局、自分に返ってくる。
もう少し具体的に言えば、法人化した瞬間、あるいはフリーランスとして動き始めた瞬間に、「営業・制作・管理・経理」がいっぺんに自分の頭の中に乗っかってくる。さらに採用、未来の事業設計、PR活動まで、誰も代わりにやってくれない。組織にいれば、それぞれに担当者がいた。しかし個人で立つと、その全てが自分の仕事になる。得意・不得意に関係なく、だ。
これは単なる業務量の問題ではない。構造の問題だ。どれか一つが止まれば、他の全てに影響が出る。経理を後回しにすれば資金繰りが見えなくなる。PRを怠れば次の仕事が入ってこない。採用を後回しにすれば、いつまでも自分一人で全てを回し続けることになる。この相互依存の構造を頭の中に持っていないと、一つの問題が別の問題を引き起こしていることに気づけない。
そして、これは独立した人だけの話ではない。会社の中で上流の仕事——事業企画、プロデューサー、ディレクターといったポジション——を担う人間も、同じ構造を理解していなければ機能しない。
営業が何を考えているか、経理がどこを見ているか、採用がどんな人材を求めているか。その全体像を日頃から把握しておくことが、上流職として判断を下す際の根拠になる。個人で立った経験がある人間が上流職で強いのは、この「全体像を一度でも自分で回した」という知見が生きてくるからだ。
だから個人で立つ人間は、好むと好まざるとにかかわらず、全体像から逃げられない。逃げられないなら、最初から両方を見て動ける方がいい。 「何屋か」を焦って一本に絞る前に、まず全体を握れているか。順番として、そっちが先だと思う。全ての人に当てはまるとは言えないけど、少なくとも私はそうした方がいいかもなと。
「振り切れる個人」は、たぶんもう個人ではない
ここで、当然の反論がある。「振り切って成功している個人はいくらでもいる」。その通りだ。作ることに振り切って、売る部分は優秀な誰かに任せ、大きな成果を出している人はいる。
ただ、個人的な見方を言えば——そういう人は、優秀な他人を捕まえる力を持っている時点で、もう純粋な「個人」の枠に収まっていない。事実上、小さな組織を動かしている。自分は一つに専念し、残りは信頼できる誰かに委ねられる。その「委ねられる」ことこそ、とてつもない力だ。人を見抜き、口説き、任せ、機能させる。それができる人は、看板は個人でも、中身はもう組織だ。
つまり「個人で片側に振り切る」は、超一流だけがたどり着ける、かなり例外的な地点にある。多くの人がイメージする「専門を磨けば個人で食える」は、その手前で、もう片側の面倒を自分で見ざるを得ない。振り切れるのは、全体を握った先にある話であって、握る前に振り切ろうとすると、たいてい足元が抜ける。
全体を握る、というのはどういうことか
では「握る」とは何か。全部を自分で完璧にやれ、という意味ではない。それは無理だし、非効率だ。
そうではなく、作る側と売る側、その両方が視界に入っていて、今どこが詰まっているかを自分で見える状態を指しているのかもしれない。詰まった箇所を、自分で動かすのか、誰かに頼むのか。その判断ができる。これが握るということだと思う。
「全体を握れ」と言うのは簡単だ。しかし、これまで何かの専門を磨いてきた30代・40代が、今から全体を握り直すには、具体的に何をすればいいのか。
どんな問いを自分に立てれば、今の自分の現在地が分かるのか。そして、その「往復」を、どこから始めればいいのか。
ここから先は、40代からでも遅くない「全体を握るための具体的な手順と、3つの問い」について書いていく。