
マーケ起点のゲームが面白さをなくす
最近、いろんな現場で企画書を見ていると「ユーザーが求めているのはこういうゲームです」というマーケティングデータから入る企画が多い(多かった、特にソシャゲ、アプリゲーム)。
最初に断っておくが、20年以上マーケティングをしている私自身を否定するかもしれないが、マーケティングそのものを全否定しているわけではない。 何を隠そう、私自身が過去にそれをやりまくって失敗してきた人間だからだ。
わかる。痛いほどわかる。アイディアが思いつかない時、でも締め切りが迫っている時、あるいは莫大な予算を通すための「売れる根拠」が必要な時、まずはリサーチから始めてみようということはよくある。
ここで一度、私がこの記事で使う「マーケティング」という言葉の定義を整理しておきたい。
私が反省しているのは、「何を作るか(コア)」を顧客の声や競合分析から決めようとするマーケティング手法である。これを「間違えたマーケティング」と呼びたい。いや、正確にはその手法が有効なときはあるが、今はその時代ではない。
プロダクトが少ない状態では成り立つことも多いが、飽和した状態で成り立つ可能性は極めて低いということを伝えたい。
一方で、「作った狂気をどう届けるか」を設計するマーケティングは、商業ベースでモノを作る以上、絶対に必須だと思っている。めちゃ重要。
さらに言えば、作る前の段階から「これはどう語られるか?」「どこでバズるか?」という拡散の文脈を意識しながらコアを磨いておくことも、広義の正しいマーケティングだと断言できる。
この2つを混同したまま、「何を作るか」の部分までマーケティング主導で動いてしまうとどうなるか。
その背景で、私は何度も同じ過ちを犯してきた。
競合分析をしてマッピングをし、ヒアリングやアンケートを行って「これだったら今、市場で体験できないゲームが作れるかもな」と意気込んで作った結果、リリースしてみたらユーザーから全く求められていなかったのだ。
どれも、既存のタイトルの「1.2歩」か、せいぜい「1.5歩」先を行く無難な作品にしかならなかった。
25年この業界でプロデューサーとマーケティングをして痛感していることがある。「ユーザーが求めているもの」をパッチワークのように繋ぎ合わせたゲームは、「最高に面白いゲーム(サービス)」にはなりづらいということだ。
アンケートの罠:マクドナルドとガラケーの失敗
この「間違えたマーケティング(顧客の声を聴きすぎた結果の失敗)」は、ゲーム業界に限った話ではない。歴史から学べることは多い。
有名なのが、マクドナルドの「サラダマック」の事例だ。
かつて日本マクドナルドが顧客アンケートを実施した際、「低カロリーでヘルシーなメニューが食べたい」「サラダを置いてほしい」という声が多数寄せられた。消費者の要望に応えるべく、マクドナルドは「サラダマック」を発売した。
しかし結果は歴史的な大失敗に終わり、ほどなく撤退を余儀なくされた。
一方で、その裏で肉の量を大幅に増やした「メガマック」や「クォーターパウンダー」を発売したところ、こちらは大ヒットを記録したのだ。
アンケートで「ヘルシーなものが食べたい」と答えた女性客たちが、平気でメガマックを注文していたのである。
これは、アンケートという手法の限界と、顧客自身が「自分が本当に欲しいもの(本能的な欲求)」を理解していないという顧客理解不足の典型例だ。
日本の携帯電話(いわゆるガラケー)も同じだ。
徹底的なユーザー調査に基づき、「カメラの画素数を上げてほしい」「テレビ(ワンセグ)が見たい」「おサイフ機能が欲しい」という市場の声をすべて詰め込んだ結果、機能が肥大化した「ガラパゴス端末」が量産された。
そこに颯爽と現れたのが、市場調査を否定し「画面に直接触れるインターフェースが絶対に最高だ」というジョブズの強烈なエゴから生まれたiPhoneだった。

隣の部署の「狂気」への嫉妬
私の失敗談に戻る。
私が無難なゲームを作って苦しんでいた一方で、NHNに在籍していた時代、横の部署でとんでもない熱量を持ったプロジェクトが立ち上がるのを目撃していた。それが今も売れ続けている「ディズニーツムツム」と「妖怪ウォッチぷにぷに」だった。
彼らのチームは、マーケティングデータから逆算するようなお行儀の良いものではなかった。プロデューサーの圧倒的な熱量で、「ここをこう触ったら絶対に気持ちいいはずだ」という狂気じみたこだわりを持って、チームで圧倒的な手触りとクオリティでクリエイティブな世界を構築していった。
そのプロセスを間近で見ていて、私は「本当に素晴らしい」と感動すると同時に、クリエイターとして心底悔しかったのを今でも鮮明に覚えている。結果は10年以上も売れ続けているパズルゲームの代表的なゲームになっている。
データが教えてくれるのは「過去の平均値」や「顧客の建前」であって、「未来の熱狂」ではない。「間違えたマーケティング」から導き出された「面白さ」は、あくまで「無難な面白さ」にしかならない。これは身をもって体験した。
じゃあ、真の「面白さ」の定義は誰が決めるのか?
それは結局のところ、作り手自身の「狂気にも似た偏愛」でしかないと思っている。
しかし、商業ベースでゲームを作る以上、ただエゴを振りかざすだけでは「ただの独りよがりなクソゲー」になってしまうのもまた事実。
では、令和の時代の開発現場において、この「クリエイターのエゴ」と「商業的な成功」をどう両立させればいいのか?
ここから先は、私が現場で実践している「エゴをコアメカニクスに昇華させ、チーム全体に感染させるための具体的なアプローチ」について書いてみる。
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