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古本屋 【シロクマ文芸部】

    #シロクマ文芸部参加作品です。
    小牧幸助様、いつも素敵なテーマをありがとうございます。ご覧くださる皆様にも、心からお礼申し上げます。

    古本屋で、一冊の『アエネイス』を求めた。

    革表紙は至るところ剥がれがある。数葉が失われ、虫食いもある。番頭は、読むには差し支えないが、と前置きして、値を告げた。

    値ではない。余白の書き込みに惹かれたのだ。
    細く整った字で、本文の異読や、別の著者への参照がいろいろと記されている。手慣れた人文主義者の筆致に見えた。

    書斎には、ウェルギリウスもダンテも一通り揃っている。新しい蔵書を棚に収める前に欠けた箇所を確かめようと、手元の別の『アエネイス』を開く。すると、買った本の余白に、見覚えのない書き込みがあることに気づいた。

    Hic deest aliquid.

    ココニハ何カガ欠ケテイル。

    その時は、失われた本文についての注釈だろう、くらいに思った。

    翌朝。本を開くと、枯れた白百合が一輪、頁のあいだに挟まっている。
    花弁は薄く、触れれば崩れそうだった。しかし色は不思議なほど鮮やかで、こんなものが挟んであったとは知らなかった。綺麗だったので栞にした。

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    Vvici, ≪ Ego lilium convallium ≫, 2026

    その晩。百合は別の頁に移っていた。

    ウェルギリウスの本文から、余白の参照に従って『神曲』の地獄篇を開いた。そこにも、また同じ細い文字があった。

    Non omnia pereunt.
    スベテガ失ワレル訳デハナイ。

    古い持ち主の癖だろうか。そう思うことにした。

    次の日、百合は天国篇の間に隠れていた。さらに翌日には、書見台の聖書の上に置かれていた。

    誰も部屋に入っていない。窓も閉じてある。にもかかわらず、百合はいつも、私が最後に読んだ本の次に読むべき箇所へ移っていた。

    ダンテから福音書へ。
    福音書からオウィディウスへ。

    私は何度も花をつまみ上げた。白い花弁は一枚も落ちず、乾いた茎も、鮮やかな緑のまま折れなかった。

    ある晩、ルクレティウスの余白に書かれた一語を見つけた。

    Memini ――我覚えたり。

    そういえば、見覚えのある筆跡だった。
    文字の末尾の上がる角度。m と n の最後の線が短いところ。

    最後に会ったあの日、彼女は窓辺に座っていた。
    庭に百合が咲く、と嬉しそうに話していた。一緒に見ようと約束したが、結局それはできなかった。

    翌朝。乾いた百合は、雅歌の一節とともに横たわっていた。

    我は野の花、谷の百合。

    「雅歌(ウルガータ訳)」第2章1節

    声に出して読み、手に取った白百合を長いあいだ見つめた。

    頁を閉じる。すると百合は音もなく崩れた。
    指のあいだに残ったのは、細かな白い灰だけだった。

    そのとき、ほのかに蜜と花粉の香りがした気がして、急いで窓を開ける。

    ひとりの娘が通り過ぎる。
    その横顔を呼び止めかけて、口を閉じた。

    机に落ちていた花の灰が、白く舞った。


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    ご覧いただきありがとうございました。同じイタリアルネサンスの世界観で小説も連載しています。ぜひ覗いてやってください。

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    Vvici(ウウィキ) AIという新たな絵筆を用いた絵画と意匠、歴史/物語が融合するメディアミックスアートを展開。「Vici(征服)」と「Wiki(瞬時の集積知)」のはざまで美を巡る思考の断片を記録します。 『フィレンツェの春』:イタリアルネサンスが舞台の連載小説。日曜夜更新。

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