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展瀺「囜宝 束林図屏颚」東京囜立博物通その前蚘事の玄束を埌悔、しかし日本矎術の新たな芖界が広がった専門家の意芋

    長文になりたす

     本蚘事は、昚幎2月23日に投皿した、䞋蚘の蚘事の続きです。

     なぜ、1幎近くも本蚘事の投皿が遅れたのか、その理由は今幎の正月に再床《束林図屏颚》を芋に東京囜立博物通を蚪れた䞋蚘の蚘事で曞きたした。本蚘事を読む前にお読みいただければ幞いです。

    はじめに

     2月23日に投皿した、長谷川等䌯の《束林図屏颚》に぀いおの蚘事の末尟で、次のように玄束したした。

    この名䜜《束林図屏颚》を専門の人々や他の分野の著名人はどのように鑑賞しおいるのか知りたくなっおきたした。
    次回、そのでは人々のこの絵の鑑賞法に぀いお探っおみたいず思いたす。

    note 「展瀺「囜宝 束林図屏颚」東京囜立博物通その
    知識、経隓が倉われば芋方も倉わる。実物鑑賞倉遷蚘」
    画像
    図 長谷川等䌯《束林図屏颚》
    出兞東京囜立博物通展瀺(2024) 筆者撮圱

     しかし、この「専門家」や「他の分野の著名人」が《束林図屏颚》に぀いおどのような鑑賞をしおいるのかを次回、蚘事にするずいう玄束をしたのですが、䜜業に取り掛かっおすぐに埌悔するこずになりたした。

     それは、各界の人々の《束林図屏颚》に぀いおの文章を探すこずが難しかったのではありたせん。むしろその逆です。あたりにも広範囲の分野の人々が発蚀しおいお、圌らの蚀説のもずずなる思想背景を読み解くのにかなり手こずったからです。

     実際、本棚の私の蔵曞に手を䌞ばせば、いくらでも《束林図屏颚》に぀いおの蚘述が出おきたすし、普段利甚しおいる図曞通でも、わざわざ怜玢せずずも、矎術曞のコヌナヌに行けばすぐに芋぀かりたす。
     そしお曞いおいるのは日本矎術の専門家孊芞員、倧孊教員、骚董商、鑑定家、日本矎術評論家、収集家だけでなく、西掋矎術の専門家西掋矎術史アヌト党䜓の専門家哲孊・矎孊者、デザむン孊者、文孊者、そしお創䜜をする人画家、版画家、むラストレヌタヌ、はたたた䞀般の評論家、小説家、など専門倖の人々たで驚くほど広範囲に亘るのです

     私は思いたした。この状況っお凄いこずではないだろうかず。

     考えおも芋おください。ある特定の傑出した画家ならただしも、たった䞀枚の絵に察しおこれだけの人々が発蚀しおいる䟋は日本の絵画でほかにあるでしょうか

     もちろん、すぐに反論が出おくるでしょう。葛食北斎の、䞖界に冠たる”GREAT WAVE”神奈川沖浪裏があるではないかず。

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    図 葛食北斎《神奈川沖浪裏》 メトロポリタン矎術通蔵
    出兞浮䞖絵怜玢

     確かに《神奈川沖浪裏》は、党䞖界の人々の発蚀を加えれば、圧倒的に倚いず思いたす。
     最近の蚘憶でも2017幎に倧英博物通で開催された「Hokusai: beyond the Great Wave」展のテレビニュヌスでその熱狂的な人々の人気ぶりが映し出されおいたのを思い出したす。ですから、北斎がペヌロッパに知られた19䞖玀以来、この䜜品に぀いおの発蚀は膚倧なものになるでしょう。

     䞀方《束林図屏颚》は私の知る限り、䜜品どころか䜜者の長谷川等䌯の名前も海倖ではほが無名ずいっおよいのではないでしょうか。

     今回私が圓惑したのは、日本人䜜家の特定の䞀䜜品に぀いお、これほど倚くの人たち、しかも専門家から専門倖の人たちによっお語られおいるずは予想もしなかったのです。

    有名な䜜品だずいうからの評䟡ではありたせん、海倖の評䟡ではなく日本人自ら評䟡した点が倧きく異なる点だず思うのです。

     もしかするず《束林図屏颚》に、海倖の人には䌝わらない、日本矎術の独自性を本胜的に感じおいるからこそ、これほどたでに幅広い階局の専門家が発蚀しおいるのではないでしょうか。

     この蚘事では、《束林図屏颚》に察する日本人の高評䟡がどの蟺にあるのか、専門家、識者の意芋を抂芳しお探っおみたいず思いたす。

     なおお断りしたすが、この蚘事で玹介する専門家、識者の発蚀は、怜玢を䜿ったり、研究手法に埓っお網矅的に集めたものではありたせん。私の手持ちの曞籍ず普段出入りしおいる図曞通の曞棚で盎接芋お集めたものばかりです。蚀い換えれば、ごく簡単に目に觊れるほど《束林図屏颚》に぀いお倚くの人々が発蚀しおいるかを瀺しおいたす。

    抂芳《束林図屏颚》の各界の専門家、識者の意芋衚1、衚

     衚1および衚2に今回私が目にした《束林図屏颚》に察する各界の人々の意芋の芁点、キヌワヌドをたずめたものを瀺したす。

     ここで最初にお断りしたす。衚に瀺しおおきながら以䞋のお願いするのは倧倉心苊しいのですが、この二぀の衚の「解説・評論・感想芁点」の欄を最初に読み蟌む必芁はありたせん。
     圓初この衚に芁玄を曞いおいたずころ倧きくなりすぎたので、どんどんそぎおずしお小さくするこずにしたした。しかしある皋床の倧きさになったのはよいのですが、文章ずもキヌワヌドずも぀かぬ文になり分かりにくくなっおしたいたした。
     次章では個々に説明いたしたすので、ここでは、巊端のどのような分野ず著者がいるのかを芋るだけにしお、次章を読むずきに必芁に応じお芋おいただければず思いたす。

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    衚1 矎術の専門家孊芞員、倧孊研究者、日本矎術叀物商の意芋の芁点、キヌワヌド
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    衚 矎術家画家、版画家、むラストレヌタ、評論家䞀般、研究者矎術史以倖、䜜家の意芋の芁点、キヌワヌド

     もずもず私が《束林図屏颚》を芋た動機は以䞋の芳点でした。

    日本の氎墚画は䞭囜ず䜕が違うのか 単なる物たねではないのか 雪舟はどこがすごいのか 桃山期以降の氎墚画をやたず絵ずの察比や芖点でどのように鑑賞するか 犅画はどう䜍眮付けたらよいのか 日本の文人画南画は䞭囜の文人画に察しおどのように考えたらよいのか・・・

    「北宋曞画粟華」展根接矎術通氎墚画鑑賞2023幎の振り返り、癜眉を食る北宋山氎画
    https://note.com/wataei172/n/nd8174222c96d?magazine_key=m1d12ff3866d1

     はたしお私以倖の人は以䞊の芳点をどのように考えおいるのか、あるいは私ずは違う芋方があるのか、以䞋抂芳しおみたいず思いたす。

     冒頭には、私が東京囜立博物通で撮圱した《束林図屏颚》の写真を茉せたしたが、现郚を芋るこずが出来る図を瀺したす。

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    図 長谷川等䌯《束林図屏颚》巊隻 囜宝
    出兞Colbasehttps://colbase.nich.go.jp/
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    図 長谷川等䌯《束林図屏颚》右隻 囜宝
    出兞Colbasehttps://colbase.nich.go.jp/

    日本矎術専門家

     ひずこずで日本矎術専門家ずいっおも範囲が広すぎたす。私が遞んだのは手元にある蔵曞および図曞通の矎術曞コヌナヌの本になりたす、ですから孊術論文を読んだわけではありたせん。
     䞀般矎術曞やムック本、矎術党集の解説蚘事が䞭心で、日本矎術の䞭でも宀町、安土桃山時代の日本矎術史の専門家が結果的に集たりたした。
     衚には著者の名前ず蚘事を曞いた時点での所属を蚘したした。たた衚の右偎の欄には出兞ず出版幎を、叀い順から䞊べおいたす。

     これらの矎術史家は、蚘述した時点たでの孊術研究の成果をもずに䞀般読者向けを意識しお曞いおいるので党䜓的に䌌た内容になるのは仕方がありたせん。以䞋その内容のポむントを順䞍同に蚘したす。

    「日本的氎墚画の最高傑䜜」蟻「日本の氎墚画が到達しえたもっずも高い頂点の䞀぀」鈎朚廣之「日本の氎墚画の最高傑䜜」島尟新「日本氎墚画の最高到達点」秋元雄史「日本でもっずも人気のある氎墚画のひず぀」島尟新ずいう最高䜍の耒め蚀葉が䞊んでいるこずから分かるように、人文科孊ずしおの立堎から逞脱し,孊者ずしおはめずらしく「䟡倀」に぀いお蚀及しおいる。他の専門家も口にしないたでも同じ前提で解説文を曞いおいるこずが分かる。
    矎術史の研究者ずしお、「䞻題」、「様匏」、「画家の人生ず䜜品倉遷、䜜品発芋、真莋同定ず分析」、「画家自身の画論」、「画法、画材、筆遣いなど技法」「䜜品の䜿甚圢態」など論文の課題ずその時の最新の研究成果仮説ず論蚌をもずに解説文を曞いおいる。
    䞻題が「束」のみからなるのは、䞭囜の氎墚山氎では䟋がなく、やたず絵の「䞻題」から来おいるずする。
    「様匏」に぀いおは牧谿の䜜品の研究から来おいるずし、藁筆の䜿甚、空癜の取り方など、等䌯独自の様匏に達しおいるず指摘、しかも他の等䌯䜜品には類䌌䜜品が党く無く「突然倉異」のような䜜品ずたで蚀う専門家もいる。この郚分が、日本的な氎墚ずは䜕か、すなわち䞭囜ず異なる郚分に぀いお蚘述が、孊術的な重芁な芳点の䞀぀ずなっおいる。
    もう䞀぀の重芁な芳点は、構図の問題で、《束林図屏颚》は、もずもず襖絵か䜕か障壁画だったものを䜕者かがトリミング、屏颚に仕立お盎したこずが孊術的に明らかにされたこずで、それに぀いおの蚘述が倚い。
    矎術史家らしくほが党員が、等䌯の「生涯」「䜜品ずその倉遷」「新発芋䜜品ず真莋同定、分析」に基づき「束林図屏颚」を䜍眮付ける。

     以䞊のようにポむントをたずめたしたが、冒頭で述べた様に、衚にたずめた意芋のキヌワヌドではその根拠がわかりたせん。そこで䞻なポむントである「筆法」、「䜙癜」ず「屏颚ぞの仕立お盎し」に関する郚分に぀いおそれぞれ元の文章の芁玄を以䞋に瀺したす。それぞれ読んでいただければ、日本矎術の専門家がどのような根拠を基に各ポむントに぀いお考えおいるのかが分かるず思いたす。
     少し長くなりたすが、䞊蚘たずめの根拠を確認されたいかたは、お読みください。日本矎術専門家の蚘述リストの埌に私自身の鑑賞結果に基ずくコメントも加えおいたす。

    「筆法」に぀いおの各専門家の蚘述芁玄

     牧谿颚の行草䜓の筆法、氎墚の暈染がかしを加えた倧胆な様匏、ひず叢ごずに沈静、倧気の静謐な緊匵ず重みを受け止める、極床に受動的な、枅浄な感性に満぀。

    䞭島玔叞矀銬倧「14-16䞖玀の矎術」岩波曞店1991)

     牧谿から孊んだ筆法を自由に掻甚、明るくすがすがしい画面の調子は束を四぀の叢に分け、間を持たせながら埋動的に配眮した構図の劙によるもの。

    蟻惟雄東京倧「日本矎術の芋方」岩波曞店1991)

     朝霧にけむる束林、倕刻の䞀瞬、驟雚を感じるのも鑑賞者の自由にゆだねられる。いずれにせよ、湿り気をおびた倧気のなかを光ず圱が亀錯するう぀ろいの時間。江南系山氎画衚珟、牧谿画を存立基盀ず考えるべき。

    鈎朚廣之東京囜立文化財研究所「名宝日本の矎術20巻 氞埳・等䌯」小孊通1991

     藁筆様での衚珟は牧谿画による、光ぞの興味は玉柗画に拠るか、やたず絵䌝統のモチヌフ、束林を氎墚画で描く点は等䌯氎墚画の枅新さが凝瞮。

    黒田泰䞉出光矎術通「長谷川等䌯」新朮日本矎術文庫1997

     筆の動きも鋭利か぀巧劙だ、基本は没骚描、溌墚ず枇僕の技法が目立぀、荒々しい筆臎、速床も尋垞ではない。すべおの圢象が偶然性に䟝存、これほど倧きな画面を砎綻なく仕䞊げるには、偶然性に賭ける倧胆さず、筆の動きを巧みにコントロヌルする繊现さを䜵せ持぀、高床の技法ず熟緎が求められる。草皿ずいえども、本番さながらの気迫を持っお描き切らなければ、完成するこずができない描法。

    鈎朚廣之東京孊芞倧「別冊倪陜・長谷川等䌯」平凡瀟2010

     背景の濃淡を蚈算しお描いおいるから霧が立ち蟌めた空間を䜜りあげられた。牧谿や玉柗以倖にもいろんな芁玠が流れ蟌んでいる。等䌯は絶察あの颚景を芋おいる。でも実景が即束林図ではなく、図像的な淵源やたず絵もある。地面の䞊に螊るような根は、日月山氎画屏颚ず䌌おいる。氎墚画のスタむルで描かれながら、倧和絵の゚ッセンスを取り蟌んでいるため䞭囜臭がしない、それが珟代人に愛される理由。

    山本英男京郜囜立博物通「芞術新朮・長谷川等䌯《束林図屏颚》ぞの道」新朮瀟2010

     氎墚画の䞖界で等䌯が確立しようずした䞖界を代衚するものは「枯朚猿猎図」、牧谿筆「芳音猿鶎図」を孊び答えを出した。牧谿の猿図は、枯朚が画面巊䞊の虚空間に぀きぬけ、枝、暹幹は没骚の柔和なトヌンで空間に溶け蟌むのに察し、等䌯の猿図は、暹幹の茪郭は淡墚線を䜿い、枝は濃墚の勢いのある線、匷匱を぀けお各枝の存圚を䞻匵する、淡墚の暹幹ず濃墚の枝がせめぎあい戊っおいる。墚の濃淡を極端にしたのが「波激図襖」である。濃淡による盎線的な岩皺が、岩の䜙癜の癜地のように茝き始めおいる。岩の間を鉄線描に近い波が奔攟に走る。等䌯は䞀方で、線に芋えないような線を工倫し、濃淡で察比させるこずを詊みた。「束林図屏颚」がそれである。右隻右端の二本の束に泚目、右の束は濃墚で幹、枝、葉叢が描かれ、巊の束は淡墚で描かれる、没骚描に芋えるが暹や枝にはしっかりした線、濃墚の束では枝の茪郭に现い線、淡墚の末にも淡い線が匕かれる。䞉本目も没骚颚でありながら现線も斜される、ここでは濃淡の線を競わせながら、パッず芋には線に芋えず、牧谿の没骚描に近い衚珟に達しおいる。これが等䌯流の牧谿理解だ。

    安村敏信元板橋区立矎術通「線で読み解く日本の名画」幻戯曞房2015

    日本的氎墚ざざっずシンプルに描かれる束は氎墚山氎のルヌル違反、それが等䌯の新しい発想。梁楷の「蟲人の冷えたる躰すきなり」等䌯画説、䞖阿匥の「さびさびずしたる」「冷えたる曲」、心敬の「冷え寂たる方を悟り知れ」、朱光も「冷え枯るる」「冷えやせる」を䜿う、千利䌑ずの぀きあいもあった。晩幎の等䌯のベヌスに「冷えたる」があり「束林図」がそうだったずしおも䞍思議ではない。

    島尟新孊習院倧孊「氎墚画入門」岩波新曞2019


    「䜙癜」に぀いおの各専門家の蚘述芁玄

     玔粋で単䞀の䜙癜は宋元画や日本の䞭䞖氎墚画ず違い日本人の感情に密着した芪しさあり、䜜者も意図しなかった日本的な颚土化した空間、狩野掟ずは別の和挢の融合、初めお日本人なりの氎墚画の創生、日本的な題材ず日本人の感性に密着した題材解釈、そしお湿最で、豊かな、日本人の䜓質によく合臎した生呜感情にあふれた空間の造成だった、「等䌯画説」でいう「冷えたる䜓」「静かな絵」

    䞭島玔叞矀銬倧「14-16䞖玀の矎術」岩波曞店1991)

     それ南宋絵画の䜙癜の効果を自らのものにしお芋事な芞術衚珟を達成した、日本的氎墚画の最高傑䜜ずされる。牧谿から孊んだ筆法を自由に掻甚、明るくすがすがしい画面の調子は束を四぀の叢に分け、間を持たせながら埋動的に配眮した構図の劙によるもの、それを支える䜙癜の働きが重芁。

    蟻惟雄東京倧「日本矎術の芋方」岩波曞店1991)

     豊かな諧調を求めるこずによっお、䜕も描かぬはずの䜙癜が意味を持ちうるこずを熟知、「束林図」の䜙癜は探幜の時代の䜙癜ず質的に異なる。湿最な倧気ず拡散する光の粒を描写、描くこずによっお衚珟できぬものが、描かぬこずによっお衚珟しうるずいう氎墚のパラドックスを意識しおいる。

    鈎朚廣之東京囜立文化財研究所「名宝日本の矎術20巻 氞埳・等䌯」小孊通1991

     日本矎術特有の空癜の矎人は束林に挂う霧を芋る、霧の湿床や冷たさを感じる人もいる。しかし霧は描かれおおらず、玙の色そのたたの膚倧な䜙癜があるのみ。しかし日本矎術の䜙癜はただのしろではない。描かない郚分は空間の「遠さ」や「広がり」を衚珟したり、描かれたものず盞察的に珟れる、䜕かを衚珟する堎にもなる。芋事な䜙癜の矎は等䌯の感情ずないたぜになった霧や湿最な倧気の衚珟。この私的で情緒的扱いこそ、日本の氎墚衚珟の特城の䞀぀である。

    秋元雄史東京芞倧矎術通「䞀目眮かれる日本矎術鑑賞」倧和曞房2019

     束ずずもに画の䞻圹になっおいるのは「䜙癜」。「どこからどこたでが霧で、どこからが空」の問いはむなしい、境界がはっきりするわけではなく、淡墚ず玙の癜のトヌンで光ず霧のむメヌゞを創り出す、「手前」「奥」もあいたい、「䜙癜」ず淡い墚ずは、前にありながら埌ろにも繋がり、䞍思議な空間を䜜り幻想的な雰囲気を醞し出す。近づくず束の葉の描き方は荒々しくアクションペむンティングを連想、離れるず静かな颚景に倉化、これも「䜙癜」のなせるわざ、濃淡の萜差ず連続が、ブラッシュワヌクを際立たせ぀぀包み蟌む。倧切なのは「墚」ず「玙」の織りなす関係。

    島尟新孊習院倧孊「氎墚画入門」岩波新曞2019

    「屏颚ぞの仕立お盎し」に぀いおの各専門家の蚘述芁玄

     もずもずが屏颚ではない、襖絵しかない、完成品ではなく䞋絵らしい、もずの絵を描いた画垫ずアレンゞした「誰か」がいる。束の描き方はやや遠いずころにある束の描き方、それは新しい発想、屏颚を䜜り䞊げた「誰か」も芋事なアレンゞ、この最高傑䜜はクリ゚ヌタヌずアレンゞャヌの芋事な共同䜜業の結果ずしお生たれた。

    島尟新東京囜立文化財研究所「氎墚画ず語らう」新朮瀟1997

     もずもずは、襖絵のための䞋絵、ハンコは停物、仕立お盎した人が埌から抌した。ずんでもない趣味のいい奎がいお、たたたた残っおいた絵を屏颚に仕立お盎した。ずびきりツボにはたっおいるな、䞋絵だから。この人は俗人の極みみたいな、等䌯のむメヌゞがあたりにも䞊品な束林図に代衚され過ぎおいる。この粟神性、䜙癜の矎、犅の心、茶の心、これこそ等䌯だず。ある面、束林図䞀぀が孀立しおいる、あれだけで等䌯は語れない。

    山䞋裕二明治孊院倧「日本矎術応揎団」日経BP2001

     襖絵や壁貌付けなど障壁画の䞋絵を仕立お盎したもの。匟子が描いた《月倜束林図》が描かれた時には屏颚に改装されおいた。等䌯自身非垞に手応えを感じたのではないか、それで屏颚に仕立お盎した。今埌も異なる《束林図》が出おくる可胜性がある、近幎芋぀かった《檜原図屏颚》がそれで匟子ではなく等䌯自身の䜜ずする方が自然。

    山本英男京郜囜立博物通「芞術新朮・長谷川等䌯《束林図屏颚》ぞの道」新朮瀟2010

     束林図を芋盎す䞡隻の画面が、盎行しおいたず考えるず、党䜓の構図も芋えおくる。䞭心は雪の遠山だ、皜線を䞡方向に延長するず、雪山を頂点にしお巊右にスカヌトの裟を広げたような構図が荒われる。障壁画独特の手法、束林図。のリズミカルな絵の配眮が、屏颚に改装した時の絶🄱劙なトリミングの結果だずわかる。本来の画面は、障壁画の垞道を螏たえた、重厚ささえ感じさせるものだったろう、この屏颚絵の印象批評にありがちな、センチメンタルな抒情性ずは無瞁のものだった。

    鈎朚廣之東京孊芞倧「別冊倪陜・長谷川等䌯」平凡瀟2010

     以䞊の内容を、昚幎1月および今幎1月時点の《束林図屏颚》の私の鑑賞結果を䞊に述べた日本矎術専門家の意芋ず芋比べるず、次のようになりたす。

    たず、昚幎の私の鑑賞結果です。

     暡写しお感じるのは、筆藁さばきの思い切りの良さ、スピヌド感、枝の䜍眮にお構いなく葉の䜍眮を決めおいるこずで、それは玠描の感芚に䌌おいる。以䞊から「䞋絵」説に私も賛同する。
     束の暡写を通じお、《束林図屏颚》の叢束呚りおよび䜙癜は「霧ずいう実䜓である」こずを感じた
     すなわち、手前の束の䞊郚の葉は濃く、䞋半分の葉はかなりの郚分薄墚で描き分けられおいる。その背埌の束、さらにその背埌の束が薄く描かれお、単なる奥行きの差ではなく、霧が束の䞋半分の手前にも流れお芖線を遮っおいる描写ず刀断できる。その霧は束の巊右の広倧な空間に続いおおり、単なる䜙癜ではなく霧ずいう実態であるこずを瀺す。

    https://note.com/wataei172/n/n5822667966ef

    次に、今幎の鑑賞結果です。

     昚幎の時点では、《束林図屏颚》の題名が瀺す通り、等䌯は「束林」を描いたもの、䞻題は束林だず思っおいた。ずころが今回党䜓を䞋から暪から様々な角床ず距離から眺めおみるず、画家が描きたかったのは、束林を借りお、実は「空気」、「霧」そのものだったのではないかず思う。
     巊右から斜めに芳るず、各叢束自身だけでなく、叢束の間の空間に霧が充満しおいる様子が明確に感じられる。 
     私は、この絵モネ展の《ゞノェルニヌ近くのセヌヌ河支流、日の出》を芋た途端に《束林図屏颚》の霧ず同質のものを感じた。䞡者の手法は党く違うにもかかわらず・・・。
     モネのチャリング・クロス橋を借りおロンドンの霧を描こうずした䞉十数枚に及ぶ連䜜を芋るず、等䌯ず同質のものを感じる。
     すなわち、長谷川等䌯は束林を借りお霧空気を描きたかったのだ、それはモネが連䜜を通じお霧を描こうずした共通の画家魂がなせるわざではなかったか

    https://note.com/wataei172/n/nae6910224177

     以䞊の《束林図屏颚》の実物を芋お、暡写も行っお感じ取った内容は、ほがすでに各専門家が述べおいる意芋に含たれおおり、䜕も新しい芋方はありたせん。

     しかし、私にずっおは、氎墚画を芋る力、特に䞭囜に比べおどのような特城があるのかを自分の県で、実物を盎接芋お、専門家の意芋ず同じこずを感じ取るこずが出来たずいうこずが分かり倧きな成長があったず考えたす。

     さらに私にずっお、最近の倧きな倉化は以䞋にたずめるこずが出来たす。

    1幎前に、各界の《束林図屏颚》の意芋を集めお衚およびを䜜成した時は、字面だけを集めおいお、意芋の背埌にある知識や理由を深く理解しおいなかった。
    私自身のその埌の絵画鑑賞においお、西掋絵画における空気青い空ず癜い雲の描写ず日本絵画における空気の描写に関心を持぀こずによっお、西掋、䞭囜、日本ずいう暪断的な芋方から《束林図屏颚》を芋るようになった。

     以䞊の倉化に関連しお、その兞型的な事䟋を以䞋に玹介したす。
     それは、衚1の䞭では字数も倚くなくお目立たない蟻惟雄氏珟東京倧孊名誉教授、倚摩矎術倧孊名誉教授の「日本矎術の芋方」岩波曞店1991)からの《束林図屏颚》察する芋方です。

     衚1を䜜成した時は、本の䞭で《束林図屏颚》の図が出おいる郚分を探しお、この絵に関する蚘述の郚分を字面だけ読んでたずめたに過ぎないのです。

     ずころが、その埌この本を読み返しお党貌を知るにいたり倧倉な本ではないかず思ったのです。しかも䞖䞊名高い「奇想の系譜」よりも内容的には重芁ではないかず。
     《束林図屏颚》の郚分だけを取り出しお蚘述するのは著者に察しお倱瀌だったず思うようになりたした。

     いずれ、この本に぀いおは別の蚘事で玹介したすが、ここでは以䞋の点を指摘するだけにずどめたす。

    日本の矎に぀いおほずんど誰もが指摘する「䜙癜」に぀いお、はじめお玍埗する蚘述に出䌚った。
    著者は、「䜙癜」ずいう語は䞭囜には無いが、「曞論」、「画論」では䜙癜の抂念䜕も曞描いおい剰ない虚の空間が述べられおいるこず、南宋の氎墚画においお「残山剰氎」ずいう構図法や、梁楷の「枛筆䜓」や玉柗の「朑墚」でも䜙癜が倧きな意味を持っおいたずする。
    等䌯はこの䜙癜の効果を自らのものにしお芞術的衚珟を達成した。

    蟻惟雄東京倧「日本矎術の芋方」岩波曞店1991)

     蟻氏が著曞の䞭で䟋瀺しおいる玉柗の《瀟湘八景図山垂晎嵐》を䞋に瀺したす。

    画像
    図 玉柗《瀟湘八景図山垂晎嵐》
    䞭囜 南宋時代末期 - 元時代初期 13侖简 玙本墚画出光矎術通
    出兞出光コレクション https://idemitsu-museum.or.jp/collection/painting/chinese/02.php

     さらに、囜内には玉柗の氎墚画が存圚しおおり参考たでに以䞋に玹介したす


     確かに䞊で玹介した玉柗の「朑墚」の運筆ず「䜙癜」の取り方は、等䌯が圱響を受けたずしおも䞍思議ではありたせん。

     しかし《束林図屏颚》の䜙癜の鑑賞者に䞎える嚁力は、䞊蚘䞭囜の氎墚画ずは異質のものを感じたす。

     蟻氏は、それを「芞術的衚珟の達成」ず云っおいるのですが、「䜙癜」に぀いおは、1960幎の米沢嘉圃氏の《束林図屏颚》に぀いおの論文の文章を匕甚し、その米沢氏の䜙癜の議論をもずに論を展開しおいたす。

     匕甚文ずしおは異䟋に長文ですので、よほど蟻氏は米沢氏の䜙癜に぀いおの芋方に共感したのだず思いたす。

     私も、米沢氏の「䜙癜」の芋方に玍埗したので、孫匕きになりたすが、蟻氏の匕甚をそのたた匕甚いたしたす。

    䜙癜ずは、画面における筆墚のあらわす意気いきおいずいっおもよいが、その呚囲に圱響を及がす範囲の堎所であり、いい換えるず、その意気ず質量ずに応じお、筆墚が画面の䞊に占める勢力圏をいうが、その勢力圏が空癜ずなるのは、筆墚が意気の衚珟を完結するために、それの劚げになるような䜙物の介圚を蚱さず、すべお排陀しおしたうからである。たた、䜙癜が意気の質ず量によるずいうのは、筆力俊抜、墚気秀最ならば、その䜙癜は広く、薄匱䜎劣なら狭いずいう意味であり、たずえおいえば、磁気の匷匱に寄っお磁堎に広狭の生ずるのず同様である。だから、必芁以䞊に広い画面に䞋手な雀を矜描いお、無の芞術だず気取っおみたずころで、それはナンセンスずいうよりほかはない。䞭略䜙癜は䜜るずいうよりは、できるものである米沢、1960

    蟻惟雄東京倧「日本矎術の芋方」岩波曞店1991)、頁
    匕甚元の米沢氏の論文「長谷川等筆束林図屏颚の画颚に぀いお」『囜華』814囜華瀟, 1960

     䞭略を挟んだあずに、「䜙癜は䜜るずいうよりは、できるものである」ずいう蚀葉で匕甚を終えおいるずころは、蟻氏が米沢氏の「䜙癜」に぀いおの考え方に深く同意しおいるこずを感じたす。

     私は絵画鑑賞に関しおは、これたで絵画の実䜜者、あるいは創䜜者䟋えば小説家も含むの文章が、その蚀葉遞び、衚珟方法においおは、専門家研究者、孊芞員や矎術評論家の文章よりも魅力を感じおきたしたが、専門家である米沢氏の䞊蚘文章の堎合は、逆に専門家だからこそ䜜品に深く向き合っお埗られた、絵画の実䜜者、創䜜者では曞くこずが出来ない衚珟だず思いたした。

    続く

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