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怍物画ずは䜕かヌ「花鳥画」の矎の由来。

     長文になりたす。最終結論郚分ですので分割はしたせんでした。時間の䜙裕を芋おお読みください。
     すでに前蚘事にお、II章の䞋蚘郚分倪字を報告したした。本蚘事は、章IIの最終項、になりたす。

    II. 東掋の花鳥画の矎ずは䜕か、倧いなる勘違いから日本独自が生たれた  西掋、日本共に独自性確立に200-500幎かかった。
    蚘述の元になる、これたで芋た䞭囜絵画ず日本絵画
    䞭囜絵画花鳥画、山氎画から受けるこず
    日本絵画花鳥画、山氎画から受けるこず
    珟圚の私が考える日本絵画の独自性に぀いお

    前蚘事で蚘述枈みのII章の項倪字の、、の郚分

     なお、項、、は、本蚘事項「珟圚の私が考える日本絵画の独自性に぀いお」を蚘述するための準備郚分ですので、ただ読んでおられない方は、ざっず目を通しおいただくず、より理解しやすいず思いたすただし可胜な限り読たなくおも枈むようにいたしたす。

    珟圚の私が考える日本絵画の独自性に぀いお

     䞋蚘前蚘事では、日本絵画愛奜家ずしおの珟圚の私ではなく、以前の西掋絵画䞀蟺倒だった時の私の立堎から感想を述べたした。

     感想の骚子は埌述したす。

    🔳花鳥版画に぀いおの私の疑問、気づき

     たず、長幎私が感じおいた疑問や最近の気づきに぀いお述べたす。

    日本の浮䞖絵版画が圓時の西掋の前衛芞術家達に匷い圱響を䞎えたゞャポニスムの䟋ずしお、ゎッホなど浮䞖絵颚景版画が䞎えた圱響が䞀般に頭に浮かぶが、実際は「北斎挫画」あるいは「浮䞖絵花鳥版画」の人物、動怍物の方が西欧絵画だけでなく他の芞術䜜品圫刻、工芞品に圱響を䞎えた皋床は浮䞖絵颚景画よりもはるかに倧きい。
    ゞャポニスムの解説の䞭で必ず匕甚される、サミュ゚ル・ビングが刊行した著名な雑誌「芞術の日本」1888-1891の衚玙は、なぜ颚景版画よりも花鳥版画、動怍物版画が倚いのか
    線スケッチを始めおから、花鳥版画の実䜜品を芋る機䌚が増えたが、葛食北斎の花鳥版画よりも、喜倚川歌麿の《画本虫撰画本虫ゑらみ》、歌川広重の「花鳥版画」を芋お、そのすばらしさに衝撃を受けた。
     しかし私の幎代埌期高霢者が受けた教育、あるいは私が以前読んだ浮䞖絵版画の解説曞は、歌麿なら矎人画、広重なら颚景画が䞻に取り䞊げられ、なぜ圌らの動怍物画、花鳥画の高い芞術性に぀いお語らないのか
    琳掟がその装食性や倧胆なデザむンが、西欧の工芞品に圱響を䞎えたこずは理解できる。しかし西掋絵画の革新ぞの日本の絵画の寄䞎ずいう芳点で芋るず、江戞時代に存立した数倚くの絵画様匏狩野掟、土䜐掟、琳掟、円山四条掟、南画文人画、肉筆浮䞖絵、浮䞖絵版画の䞭で、マネや印象掟、埌期印象掟など圓時の前衛画家達が揃いも揃っおなぜ浮䞖絵版画に心を奪われたのか そもそも浮䞖絵版画は日本の䌝統的な絵画だず蚀えるのか

     以䞊の疑問のうち、は、線スケッチを始めお日本絵画をよく芋るようになったそれ以前、すなわち西暊幎以前に抱いおいた疑問で、、に぀いおは、幎頃から珟圚たで、すなわち線スケッチを始めお日本絵画の䜜品を集䞭しお芋だしおからの疑問です。

     少し、補足したす。

     たずの浮䞖絵版画の各ゞャンルが西掋芞術に圱響を䞎えた比率ですが、兞型的な䟋ずしお垞に䟋瀺される葛食北斎の浮䞖絵の堎合、「北斎ずゞャポニスムヌHokusaiが西掋に䞎えた衝撃ヌ」ず題する䌁画展が2017幎に囜立西掋矎術通で開催されたこずを最近知りたした。

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    図 囜立西掋矎術通、読売新聞東京本瀟事業局文化事業郚線「北斎ずゞャポニスムヌHokusaiが西掋に䞎えた衝撃ヌ」読売新聞本瀟1917
    出兞筆者撮圱

     その䌁画展のミニカタログによれば、動怍物は53頁で、総ゞャンル人物、動怍物、颚景137頁のうち玄40を占めおいたすなお、北斎のみに特城的なゞャンル「波ず富士山」の27頁分は特殊ゞャンルずみなし浮䞖絵版画の䞀般ゞャンルから倖したした。

     すべおの浮䞖絵版画ず西掋芞術ぞの圱響を厳密に集蚈したわけではありたせんが、少なくずも葛食北斎の浮䞖絵版画に関する限り、無芖できない高い比率であり、西欧の人々が圌の「動怍物版画」、「花鳥版画」に衝撃を受けたこずは間違いないでしょう。たた䌁画展䞻催者は、「䞖界で初めおの䌁画展」ず謳っおいるので、2017幎圓時の最新の研究結果が反映されおいるはずです。

    雑誌「芞術の日本」に぀いおの疑問に぀いおは、䞋蚘の図をご芧ください。

    画像
    図 雑誌「芞術の日本」1888-1891の衚玙の䟋
    出兞巊、埩刻版「芞術の日本」のパンフレットよりhttps://mirai.kinokuniya.co.jp/wp-content/uploads/2020/10/34e185e01e7568544b4e9c3c1c84aa39-1.pdf ) 、䞭倮ず右wikimedia commons, public domain

     珟圚、むンタヌネット䞊で埗られる画像は、歌麿の矎人画の衚玙を陀いお動怍物画が䞻で、颚景画の衚玙は芋かけたせん。「芞術の日本」の党おの号の衚玙を芋た蚳ではないので、軜々しく断定できないのですが、2000幎以前に私がのような印象を抱いたずいうこずは、圓時私が芋た「芞術の日本」の衚玙は、やはり動怍物の衚玙を芋た䞊での印象ではなかったでしょうか 動怍物画よりも颚景画が西欧人に衝撃を䞎えたのであれば、その衚玙を䟋瀺するはずだからです。

     疑問、に぀いおは、浮䞖絵版画に぀いおの私の最近の立堎すなわち、日本絵画愛奜家ずしおからの回答の䞭で説明したいず思いたす。

    🔳日本絵画を愛する立堎からの感想、結論

     回答に入る前に、前蚘事「怍物画ずは䜕かヌ」の䞭で述べた項「日本絵画花鳥画、山氎画から受けるこず」の感想の芁旚を䞋に瀺したす。

    🔳画材および絵画技術を䞭囜から受け入れおいるので、日本絵画は䞭囜絵画の暡倣、二次的䜜品にすぎないように芋える。その暡倣も衚面的で、䞭囜絵画の特城、「緻密さ」や「厳しさ」は薄れ、䞭囜絵画の栞心である「気」や「士倧倫の粟神性」、「政治性」はほずんど感じられない。
    🔳日本の倖囜絵画の受容の歎史は、飛鳥・奈良・平安における䞭囜絵画仏画を含む、鎌倉・宀町における䞭囜仏画、氎墚画、江戞初期の|沈南蘋《しんなんぎん》の写生的花鳥画、江戞䞭期、吉宗の蘭曞茞入解犁による西掋絵画の順ずなり、それに䌎い、やたず絵、障壁画、土䜐掟、狩野掟、琳掟、円山四条掟、南画、浮䞖絵肉筆、朚版など、倚くの日本絵画の掟やゞャンルが生たれた。
    🔳桃山・江戞初期
    の商業経枈の発展ず町人の台頭、身分、性別に差のない高い識字率を基盀に、俳諧、狂歌の文芞熱ず身分を越えた亀流、倧郜垂における出版文化が興隆し、西欧瀟䌚ず類䌌の政治経枈状況が生じた。
    🔳絵画的には、読本の倧量出版ず朚版による挿絵の高床化が進み、江戞においおは垂民向けの浮䞖絵版画が生たれた。それは今日の商業矎術にあたる。
     絵垫の出身は、歊士から町人たで様々で、圌らは様々な垂堎的制玄消費者ニヌズ、コストや政治的制玄幕府芏制などの䞭で絵垫間の競争ず切磋琢磚ずにより独創的な絵画様匏を生んだ。
     それは絵垫だけでなく、版元、朚版職人圫り垫、摺垫の協業の䞊に成り立぀。あたかも今日の挫画家が優れた䜜品を生み出すプロセスに䌌おいる。
    🔳日本絵画のもう䞀぀の特城は、西掋絵画の技法の導入である。吉宗の掋曞茞入解犁を契機に線遠近法による「浮絵」が生たれた。しかし、浮䞖絵版画においおは、䟋えば北斎、広重は、必ずしも盲目的に線遠近法を採甚せず、䌝統的な平行線遠近法ず混ぜたり、意図的に消倱点を増やすなど絵画的効果を考慮しお遞んでいる。

    蚘事「怍物画ずは䜕かヌ」の
    項「日本絵画花鳥画、山氎画から受けるこず」の芁旚

     以䞊を受けお、先に提出した私の浮䞖絵版画に察する疑問、ぞの回答私論を以䞋に蚘したす。

    ゞャポニスムに぀いおの䞀般向けの解説曞では、印象掟の画家達に䞎えた圱響の䟋ずしお、北斎や広重の「浮䞖絵颚景版画」の茪郭線による造圢描写、倧胆な構図や明るい色䜿い、あるいは日垞生掻を画題ずしお描くこずなどが取り䞊げられるが、西欧文化党䜓に䞎えた圱響は、むしろ「花鳥版画」の方がが倧きいのではないか。
    北斎の花鳥版画、北斎挫画の人物、動怍物画に比べるず、歌川広重の堎合、江戞名所癟景など颚景版画の名䜜の、西欧絵画ぞの圱響に぀いお語られるこずが倚く、浮䞖絵花鳥版画の圱響に぀いお觊れられるこずが少ない。
     実は広重の花鳥版画は、点以䞊もあるず蚀われ、䜜家本人は颚景画ず同等かそれ以䞊に絵画的画題、構図、描法、圩色に工倫をこらしおおり名䜜が倚い。
    浮䞖絵版画を県にした圓時の欧米の前衛画家達は、「浮䞖絵版画」を異質で゚キゟチックな東掋の絵画ずは考えず、「近代西欧絵画」を先取りする「前衛絵画」の仲間だず芋なしたのではないか。しかも浮䞖絵版画の絵垫本人はその自芚は無くおも、その画家粟神は、西欧の近代絵画を起こした画家達に䌌かよっおいた。だからこそ、浮䞖絵版画が西欧の前衛画家達の心をずらえたのではないか。

     以䞊の私の回答は、補足説明なく挙げたのですぐには玍埗されないず思いたす。以䞋、補足いたしたす。

    今でこそマネやその埌に続く印象掟、埌期印象掟の画家達の功瞟は偉倧なこずが分かっおいたすが、西掋絵画史を珟代から過去に遡れば、圓時圌らは前衛的な少数者にすぎたせん。ですから、圓時の䞀般の人々から芋れば、圌らぞの圱響は知る人ぞ知る皋床のはずです。
     ずころが浮䞖絵版画が玹介される前のペヌロッパは、すでに陶噚の茞入を通じた日本趣味の時代その前には䞭囜趣味があったがあり、その埌あるいは同時に倧量の団扇や扇子が茞入されお、䞀般家庭の郚屋を食るこずが流行しおいたこずから、すでに䞀般の人々はすでに生掻の䞭の矎ずしお受け入れおいたず考えられたす図。
     その際、西欧の人々の県に觊れたのは䞻に「花鳥画」であり、たたよく知られおいるように動怍物や昆虫も、西欧にはなかったモティヌフであり、陶噚やガラス䜜品のデザむンに広く応甚されお、身の回りの生掻にゞャポニスムの圱響を受けた䜜品があふれたのです。ですから、西欧の䞀般の人々にずっおは印象掟の画家達に䞎えた圱響よりもそれらは身近な存圚で匷く感じられたこずでしょう。

    画像
    図 団扇や扇子が描かれた油絵の䟋 
    䞊段巊゚ドワルド・マネ 䞊段右ベルト・モリゟ 䞋段巊クロヌド・モネ 䞋段䞭ゞェヌムズ・マクニヌル・ホむッスラヌ 䞋段右グスタフ・クリムト

    逆に、マネやドガ、モネ、セザンヌ、ロヌトレック、ホむッスラヌ、カサット、ゎッホ、ゎヌギャンなど、日本の浮䞖絵版画に圱響を受け、近代西欧絵画を生み出した人々や圌らを取り巻く芞術家や関係者達、すなわち詩人、䜜家、批評家、画商などの立堎から「浮䞖絵版画」がどのように芋えたのかを考えおみたしょう。
     私は、マネや印象掟、埌期印象掟の画家達の発蚀を間接的に読む限り、圌らは日本の浮䞖絵垫達を異䞖界東掋の人間ずしおではなく、絵を描く同じ画家仲間ずしお考えおいるように思えるのです。

     その理由ずしお、䞀぀ぱドモン・ド・ゎンクヌルが『歌麿』および『北斎』を著したこずが倧きいず思いたす。なぜなら、ゎンクヌルず蚀う西欧の䜜家による文章でフィルタヌがかけられおいるので、これらの䌝蚘を西掋の巚匠たちの䌝蚘を読むのず同じように読んだからに違いないからです。

     二぀目の理由ずしお、画家達は盎接浮䞖絵版画䜜品を県にしお、自分たちず同類の魂を感じたからだず私は思いたす。䟋えば花鳥画においおは、描写だけでなく、茎ず花、動物の姿態など、絵画空間の䜜り方、たた圩色・配色など画家ずしおの工倫を盎接感じ取るだけでなく、浮䞖絵絵垫たちは、颚景画に眮いお西掋の線遠近法を䞀旊手䞭にした埌、それらを絵画モティヌフにより䜿い分けおいるこず、たた日本絵画に長らく䌝統的だった霞や霧をできるだけ枛らしお、以前なら隠した䞭景、遠景をより明瞭に描いお奥行きを匷調するなど、むしろ欧米の颚景画に近づいおいるこずなどです。

     実際、日本の浮䞖絵版画に圱響を受けた画家の発蚀からもそれはうかがえたす。
     各画家の発蚀をここではいちいち挙げたせんが、ここでは以前投皿した、「ゎッホの手玙」の蚘事の䞭で玹介したゎッホの蚀葉を再床玹介したす。

     なお、ゎッホは600点以䞊の浮䞖絵版画を収集しおいたしたが、䜜家の内蚳は以䞋の通りです。

    歌川囜貞250、蔊谷吉蔵109、歌川広重88、歌川囜芳56、歌川囜貞二䞖31、䜜者䞍明31

    泚蔊谷吉蔵は問屋の名前

    前略僕の仕事はみんな、倚少ずも日本画が基瀎になっおいる。䞭略
     自囜では衰退したこの日本芞術は、フランスの印象掟芞術家たちの間にその根を䞋ろしおいる。
     これらの日本画は僕にずっお技術面で、売買以䞊に興味があるし必芁なのだ。䞋略

    䞭巻テオ宛 p146 第五十信

    日本人は玠描をするのが速い、たるで皲劻のようだ、それは神経が现かく、感芚が玠盎なためだ。

    䞭巻テオ宛 第五信 p105

    君は北斎を芋お、「この波は爪だ、船がその爪に捕らえられおいるのを感じる」ず手玙に曞いおいたが、北斎もたた君におなじ叫びをあげさせたわけだ。もちろん北斎はその線ず玠描ずによっおだがね。

    䞭巻テオ宛 第五䞉䞉信 220

     僕はビングの耇補の䞭では、䞀茎の草ずなでしこず北斎がすばらしいず思う。
     誰が䜕ずいっおも、平板な調子で圩色したどんなありふれた日本版画でも、僕にずっおはルヌベンスやノェロネヌズずおなじ理屈で玠晎らしいのだ。それが原始芞術でないこずも僕は充分心埗おいる。

    䞭巻テオ宛 第五四二信 269

     僕は、日本人がその䜜品のすべおのものにもっおいる極床の明確さを、矚たしく思う。それは決しお厭な感じを䞎えもしないし、急いで描いたようにも芋えない。圌らの仕事は呌吞のように単玔で、たるで服のボタンでもかけるように簡単に、楜々ず確かな数本の線で人物を描きあげる。
     ああ、僕もわずかな線で人物が描けるようにならなければいけない。䞭略
     この手玙を曞いおいる間にも、僕は䞀ダヌスは玠描した。僕は圌らの方法を芋぀けようずしおいるずころなのだが、なかなか面倒な仕事だ。぀たり僕が求めおいるのは、わずかな線で男の顔や、女や、子䟛や、銬や、犬などが、頭も、胎も、足も、腕もしっくり぀いおみえるようにしよう、ずいうわけだからね。

    䞭巻テオ宛 第五四二信 276

     以䞊は、ゎッホが日本の絵垫の描写のすばらしさを述べおいるのですが、特にビングの耇補の䞭では、「䞀茎の草ずなでしこず北斎がすばらしい」ず述べ、あきらかに北斎の花鳥画を取り䞊げ、「僕にずっおはルヌベンスやノェロネヌズずおなじ理屈で玠晎らしいのだ。それが原始芞術でないこずも僕は充分心埗おいる。」ずたで蚀っおいるのです図。

    画像
    図 葛食北斎《Kawasemi shogu nadeshiko》1834倧英博物通所蔵 
    出兞浮䞖絵怜玢 https://ja.ukiyo-e.org/image/bm/AN00535765_001_l
    コメントゎッホが蚀うBingの耇補のなでしこが、この絵かどうかわかりたせんが、なでしこの花ず䞀本のシャガからなるずころにカワセミが飛ぶめずらしい組み合わせ。配色が矎しい。

     たた、䞋蚘の蚘事の䞭で、私は次のように指摘したした。

    ・日本絵画のゎッホぞの圱響の䞀぀にモチヌフがある。その䞭の䞀぀が、広々ずした平野および畑の俯瞰図である。畑の颚景を描いた画家は他にもいるが、難床が高い畑そのものを䞻圹ずしお描いたのはゎッホがはじめおではないか。たた日本の絵が鳥瞰、俯瞰的であるこずを意識しお描いた䞀人かもしれない。

    https://note.com/wataei172/n/n306a8103e90f?magazine_key=mee34de4141ba

     ゎッホは、日本の絵垫にならっお描いた䞀連の畑の絵、《クロヌの䞘陵》に぀いお次のように蚀いたす。

     ペンで倧きな玠描を描いおみた。二぀ある。広々ずした平野で―高い䞘から眺めた鳥瞰図だ―葡萄畑や、刈入れのすんだ麊畑がある。その無数の区別がクロヌの䞘陵を境ずする地平線たで海の面のように拡がっおいる。
     これはあんたり日本的な感じがしないはずだ。が、実際には今たで描いたものの䞭では䞀番日本らしいものだ。肉県では芋えないほどの蟲倫、麊畑の間を走る小さな汜車。そこにすべおの生掻がある。

    䞊巻 第十信 p131

     実際、ゎッホが描いた畑の絵をご芧ください。

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    図 《ラ・クロヌの鳥瞰図》
    出兞wikimedida commons, public domain
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    図 《クロヌの䞘陵》
    出兞党おwikimedida commons, public domain

     ゎッホは、䞊述したように日本の絵垫たちの線描の巧みさだけでなく、北斎、広重らが採甚した地平線を䞊郚に䞊げる構図により、畑を䞻圹にしたのです。しかも俯瞰構図をそっくりたねたした。

     ゎッホは、たた単なる構図だけでなく、浮䞖絵颚景画が持぀重芁なモティヌフ䞊の特城、「肉県では芋えないほどの蟲倫、麊畑の間を走る小さな汜車。そこにすべおの生掻がある」こずに気づきたす。すなわち、垂井の人々の営みの描写です。

     これは、近代絵画の父ず蚀われるマネが、浮䞖絵版画が、郜垂生掻を営んでいる人々を掻写しおいるこずに倣い、パリの郜垂生掻を描き始めたこずず察応しおいたす。

     以䞊、私は江戞絵画の倚くのゞャンルの䞭で、浮䞖絵版画がなぜ欧米の画家達の心に響いたのかを考えおみたした。

     最埌に、歌川広重の花鳥画に焊点を圓おおこの蚘事を終えたいず思いたす。

    🔳歌川広重の花鳥画に぀いお

     さお、読者は、本シリヌズがあたりにも長いので、冒頭で䞋蚘の今橋理子氏の著曞を玹介したこずをお忘れになったず思いたす。それは、近衛家煕の《花朚真寫》ず《花朚真寫貌亀屏颚》の玹介のために匕甚したのですが、実は、第7章に「浮䞖絵花鳥版画の詩孊ヌ俳諧・狂歌文芞の興隆ず博物孊」ず題する玠晎らしい論考があるのに気が付きたした。特に花鳥版画生成論は圧巻で、これたでの矎術史にはない芖点を入れお論を進めおおり぀い぀い読み蟌んでしたいたした。

     今橋理子氏「江戞の花鳥画 博物孊をめぐる文化ずその衚象」㈱スカむドア1995

     詳しくは、この本党䜓に぀いおの感想をい぀か玹介したいず思いたすが、今回は私が冒頭に述べた疑問の䞭で、䞋蚘の二぀に぀いお、今橋氏がたさに論じおいるこずが分かりたしたので、玹介したす。

    🔳サミュ゚ル・ビングが刊行した著名な雑誌「芞術の日本」1888-1891の衚玙は、なぜ颚景版画よりも花鳥版画、動怍物版画が倚いのか
    🔳なぜ圌ら歌麿、北斎、広重、特に広重の動怍物画、花鳥画の高い芞術性に぀いお語らないのか

     たず第7章の冒頭で私はサミュ゚ル・ビング䞻催「芞術の日本」の創刊号1888の衚玙絵に県が留たりたした図。

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    図 サミュ゚ル・ビング䞻催「芞術の日本」の創刊号1888衚玙
    https://mirai.kinokuniya.co.jp/catalog/le-japon-artistique

     䜕ず、創刊号の衚玙には歌川広重の颚景画ではなく花鳥画の「雪䞭芊に鎚」が取り䞊げられおいるこずを知ったのです。

     著者は蚀いたす。

     圌歌川広重の花鳥版画は、その埌もたびたび『芞術の日本』に取り䞊げられおいる。぀たり今日浮䞖絵の分野では、矎人画や圹者絵、颚景画に比べれば、第二、第䞉の䜍眮を䞎えられがちな花鳥画は、十九䞖玀末ゞャポニスムの颚の䞭では、日本人の繊现な詩情性を最も豊かに、しかも端的に衚地する題材ずしお、実は倧倉に重芁芖されおいたず蚀えるのである。

    今橋理子「江戞の花鳥画 博物孊をめぐる文化ずその衚象」㈱スカむドア1995283頁

     やはり、長幎私が感じおいた疑問は、圓然の疑問だったのです。

     著者は、初期花鳥版画ず江戞期における俳諧・狂歌ずいう詩歌文芞の隆盛ずのかかわりを述べ、埌半の27頁に亘り歌川広重の花鳥画の魅力を分析しおいたす。

     しかしながら、今橋氏は広重の花鳥画の図版21枚を䜿っお、解説をしおいるのですが、必ずしも絵画的な芖点での魅力ずいうよりも、広重が詩歌の制玄から離れお新しい花鳥画を生み出したずいう氏の䞻匵をのべるこずに重点が眮かれおいたす。

     すでに述べた様に、私は広重の花鳥版画を始めお芋た時に、きわめお近代的で卓越したデザむンセンスを感じたした。その点に぀いお、今橋氏は論じおいたせんが、たさに䞭囜の花鳥の䌝統挢画の䌝統どころか日本の䌝統からも倖れおいるのであり、西欧の画家達も、その広重の花鳥画の前衛性を感じ取ったのではないのでしょうか。

     以䞋、東京囜立博物通の垞蚭展で芋た、歌川広重の花鳥版画の実䜜品を取り䞊げ、どこに私が感激したのかコメントをキャプションに蚘述したす画像はすべお筆者撮圱。

     なお、この蚘事の結論を曞き始めたその日、千葉垂矎術通にお花鳥画展が開催されたこずを知り、倚くの広重の花鳥画を芋るこずが出来たした䞋蚘蚘事。䜵せおお読みください。

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    図 《藀花に燕》江戞時代・嘉氞7幎(1854) 間短冊刀 錊絵
    コメントあえお総圩色にせず、圩色は黒い燕のあごの郚分圩色にずどめおおり、藀の葉䞊郚ず垂れ䞋がった枝ず藀の花房を氎墚の挆黒のシル゚ットで衚したのが玠晎らしい。右䞊からしなりながら真䞋に匕かれた枝のシル゚ットが小気味良く、近代的なデザむンセンスを感じる。くちばしを僅かに開け、矜を少しすがめお枝にずたろうずする䞭倮の燕の姿態も動きを感じ泚意を惹く。右䞊の燕は癜い腹を芋せ、䞭倮の燕は背䞭の黒を芋せる、癜黒のの察比も狙ったか。
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    図 《花菖蒲に癜鷺》江戞時代・19䞖玀 倧短冊刀 錊絵
    コメント短冊を䞊から䞋たで斜めに分け、右斜め半分は花菖蒲の葉ず花で底蟺たで埋め、巊斜め半分に開いた䜙癜に、倖隈で衚珟した癜鷺を配しおいる。それは日本のやたず絵に特城な斜め構図を掚し進めおおり、おそらく䞭囜の花鳥画にはない配眮であろう。
    泚目すべきは、花菖蒲の背埌は霞で䞭景、遠景を消しお、遠近感のない䌝統的な描写であるにも関わらず、右䞋の隅に菖蒲の葉の根元が右奥ぞ䞊ぶように斜め䞊に描写しおいるこずである。これにより、菖蒲の株が前埌に奥行きが生たれる。同時に菖蒲の葉が先が、巊から右ぞ短冊の察角線の高さに沿っお描くこずで、菖蒲の株の前埌の奥行きがさらに匷調されるこずになる。䞀方、察角線の反察偎に描かれた癜鷺は、あたかも察角線に沿っお、巊手前の舞い降りおくるように描かれおおり、さらに動的にも前埌の奥行きを感じるようになっおいる。いかに緻密に広重が画面構成を考えおいるかが窺える。たた、付け加えるず、氎墚画の墚蘭図の葉ののびやかさず同様、菖蒲の葉の䞋から垂盎に突き䞊げるように䌞びた様もリズミカルで心地よい。
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    図 《朝顔に鶏》江戞時代・19䞖玀 倧短冊刀 錊絵
    コメント朝顔の葉の緑ず鶏のずさかの赀を郚分圩色にし、朝顔の花、傘の柄、鶏の尟矜の黒ベタが目立぀郚分圩色画である。傘の黒ベタ暡様ず黒の尟矜の䞭に鶏の癜い胎䜓が浮かび䞊がるこずで、ずさかの赀が県に入る。ここでも、巊䞋から右䞊にすぱっず切った斜め線の構図が採甚されおいる。傘の右半分が断ち切られおいるのも右ぞの空間を想像させる。巊斜め䞊の䜙癜の詩文の賛のおさたりがよい。党䜓に近代的なデザむン感芚を感じる。
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    図 《黄蜀葵に瑠璃鳥》江戞時代・19䞖玀 䞭短冊刀 錊絵
    コメントこれたでの絵ず違い、鳥以倖は圩色されおいる。ほが短冊の巊半分に絵を寄せた、非察称構図である。トロロアオむの花びらの間から顔をのぞかせる瑠璃鳥の姿態がどこずなくカワむむ。
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    図 《菖蒲に翡翠》江戞時代・19䞖玀 間短冊刀 錊絵
    コメントめずらしく真ん䞭に絵を寄せた構図。䞊空で䞋を窺うかわせみず、䞊に向かっお䌞びる菖蒲の葉ずがぶ぀かりあい、䞊䞋の察比を芋る者に匷く意識させる。
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    図 《雪䞭南点に雀》江戞時代・19䞖玀 間短冊刀 錊絵
    コメントもう䞀床実物で確認しなければならないが、南点に積もった雪も降る雪も、玙の癜ではなく、癜い絵具を茉せおいるように芋える。もしそうならば、䌝統的な氎墚画の描法を螏襲しおいないこずになる。たた、南点の葉っぱの茪郭線がないため、雀の癜い胎䜓の線以倖は茪郭線がなく、党䜓の印象が、江戞時代の浮䞖絵版画や、明治・倧正・昭和の「新版画」ではなく、珟代の版画のように芋える。
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    図 《雪䞭怿》江戞時代・19䞖玀 間短冊刀 錊絵
    コメントゞグザグに折れ曲がっお䜙癜を開けながら、䞋から䞊に䌞びる怿の枝が印象的である。雪が半分芆う、倧きめの怿の花を䞋に、䞊には同じく雪で芆われた小さめの花を配眮しお、重心のバランスをずっおいる。氎墚画では倖隈で描写する怿の花にかぶる癜い雪を茪郭線で描いおいるのも珍しく、モダンに感じる。
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    図 《月䞋朚賊ずくさに兎》江戞時代・19侖简  重芁矎術品
    コメント月明かりの䞭の倜景を墚䞀色で描き切っおいる。地面ず朚賊の配列を右䞊に斜めにし、兎を前埌に配眮するこずで、《花菖蒲に癜鷺》ず同様奥行きをしめす。しかも、朚賊の向こうの癜い垯の䞊の空を薄墚で倜空にし、巊䞊の月に向かっお、グラデヌションで埐々に癜く明るくするこずで月あかりを衚珟しおいる。その明るさの䞭に、文字を収めるずいう、玠晎らしいデザむンセンス。なお、朚賊の根元を薄墚で黒く、兎がいる地面も薄墚で塗り、癜うさぎの肩から埌ろ脚にかけお、たた手前の癜うさぎではない兎の䞡耳裏、背䞭、から尻尟にかけお薄墚をかけおいるのは、西掋の陰圱法ずは違う䜿い方だが、朚賊が生える空間が倜の颚景であるこずを感じさせる。

     参考たでに、喜倚川歌麿の《画本虫撰画本虫ゑらみ》図、葛食北斎の花鳥画図、䌊藀若冲の花鳥版画図を䞋に瀺したす。

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    図 歌川広重《画本虫撰画本虫ゑらみ》
    コメント拡倧しないずその凄さはわからない。
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    図 葛食北斎《鵀、黄鳥・長春、鶺鎒・藀、牡䞹に蝶、癟合》䞭刀・錊絵 江戞時代19侖简
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    図 䌊藀若冲 六枚揃花鳥版画 1900幎頃埩刻版
    䞊段巊《Swallow and Camellia》、䞊段䞭《サトりチョりに青桐図》、
    䞊段右《タむハクオりム図》、䞋段巊《Golden pheasant in snow》、
    䞋段䞭《Red Parrot on the Branch of a Tree》、䞋段右《オりムに薔薇図》
    出兞浮䞖絵怜玢、䞊段巊は倧英博物通、それ以倖党おボストン矎術通所蔵

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