
AI生成マンダラ集(ペンギン編)その2
マンダラとは、分けて、選んで、こだわろうとして止むことのない人間の心が(分別心)、自ら「ああ、わたしは、分けて、選んで、こだわろうとしているなあ」と如実に知るための見取り図のようなものにもなる。
マンダラは、私たちの分別してやまないいつもの意識に、分けるでもなく分けないでもなく、選ぶでもなく選ばないでもなく、こだわるわけでもなく束の間こだわらないわけでもない、という境地があることを知らせてくれる。
そして、ひとたび「分けて、選んで、こだわる」自心の癖のようなことを常に自覚したうえで、分けるでもなく分けないでもなく、選ぶでもなく選ばないでもなく、こだわるわけでもなく束の間こだわらないわけでもない境地に入ってみれば、今度はマンダラの第二番目の活用法がわかってくる。
すなわち、人の心の深みは、自在に分けたり分けなかったりできるし、選んだり選ばなかったりできるし、こだわってみたりこだわってみなかったりすることができる。言い換えれば、ありとあらゆる分別、つまり分節、すなわち意味分節、意味ある経験的現実を(自己も世界も、主体も客体も、ありとあらゆる他と分別できる事柄を)、自在に生成したり消滅させたりすることができるし、なにがどう生成しようが消滅しようが、どこか一辺にこだわるものではない。
そういうことを知悉する境地に入ってみると、マンダラは、今度はあらゆる分節システムの見取り図、あるいは永久に試作用のままの設計図のようなものになる。
と言うわけで、今回は、上掲の記事の続きにあたるAI生成マンダラをご紹介しようと思う。
無論、マンダラはAIに生成させるよりも、意密を加持して(つまり身近なところでいえばイマジネーションの力を、分けて選んでこだわらない境地に変容させて)自心の深い深いところ、第八阿頼耶識のさらに奥の方でちりちり、きらきらと鳴っている法界の波紋と共鳴するようにしたところに浮かび上がらせるほうがよい。
とはいえ、いきなりそううまくできるものでもない。
我々のイマジネーションの力は、普段はすっかり第七末那識の虜になっている。
つまり「感情」、好き/嫌い、自/他を分けて、自分と結合すべきものか/自分と分離すべきものか、を分別する第七末那識のフィルターでもって分けられ済みのイメージたちを「見る」ように染められている。我々の普段のイメージは、あれがよいこれはいや、あれは好きこれは嫌い、あれが怖い、これも怖いと、感情の分別で厳格に交通整理されている。そんな状態のイマジネーションの力を、分けて選んでこだわらない境地に変容させるなんて、一体どうしたら良いのだろう、ということになるわけであるが、その一つの方法が、マンダラを観想するということになる。
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マンダラといっても色々ある。
ユングが言うようにUFOを見ても良い。
あるいは、満月、まどかな満月をみるのもまたよい。
薄く剥離した黒曜石の「サングラス」のようなものを通して、太陽をみてもよい。
あるいは、ペンギンのキャラクターを配したAI生成画像を眺めるのでも、よい。機縁に随って、ということである。

「法界と共鳴するマンダラを建立せなあかんのよ。」
「これがその部品かいな?」
「四角い導波管。高専で散々実験したやろ?」
「せやね。おもしろかったね。いまはこの四角が分離と結合の伸縮が減衰して定常化したΔ四項関係の象徴としてちょうどええんやね」
「せやせや。ほな、これを使うてマンダラ建立といきましょうか」

「先にシミュレーションやね。」
「チューニング、いけるんとちゃう?」

振動モード、いろいろ。

つくりましょう。

いい感じにできてきた。

もっともっと。

おお、いい感じに。

まだまだ。






よし、行こう!

分別心もまた法界のあらわれなのよ。
と、知っておくこと。

無上甚深微妙法
百千万劫難遭遇
我今見聞得受持
願解如来真実義
みなさん、どうぞご自愛ください。