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どこにも属さない

    『誰の味方でもありません』

    古市憲寿さんの著書のタイトルです。

    古市さんか……と思う方もいるかもしれません。
    なかには敵意のようなものを向ける方もいるかもしれません。

    確かに古市さんは、物事をズバッと言うところがあり、「そこまで言っちゃう?」とヒヤヒヤすることもあります。
    でも、世の中の恒常性を保つためには、彼のような存在も必要だと思うのです。

    以下の記事で書いた、「覚悟」のある方だと思います。
    大衆受けする主張、多数派への同調・迎合ばかりの世の中は健全であるとはいえません。
    「社会にノイズをたてる」ような存在であっても、排除してはならないと思います。

    だから、私は ひろゆきさん だったり、ホリエモンだったり、時に異端者のように毛嫌いされる方の主張にも触れるようにしています。

    このような形で紹介するのはご本人たちにとっては不本意かもしれません。
    もしかすると、一括りに取り上げられることも好まれないかもしれません。
    もし、目に触れることがあったらご容赦ください。

    そして、このように書いてはいますが……

    古市さんについては、「誰の味方でもありません」と題する著書を書いているので、私も古市さんの「味方ではありません」


    前置きが長くなりましたが、「誰の味方でもありません」という姿勢は必要だと思っています。

    私もそのスタンスをとります。

    冷たかったり、寂しい印象を受けるかもしれませんが、必ずしも悪いものではないです。

    「誰の味方でもありません」と言いつつも、
    「誰の敵でもありません」という姿勢でもあるからです。

    私は私です。

    たとえば、Aさん vs Bさんの喧嘩に巻き込まれて、「どっちの味方なの!?」と聞かれたときに、どちらかを選んでしまえば、選ばなかった方の敵になっちゃいます。

    明らかにどちらかが悪い場合は別として、主張と主張がぶつかる喧嘩の場合、どちらが正しいのかはなかなか分かりません。どちらにも言い分はあります。

    だから、どちらも選ばない立場が一番納得できたりするのです。


    何かと属することを求められる世の中です。

    支持政党だったり、信仰する宗教・思想であったり、
    犬派猫派だったり、キノコ・タケノコだったり。

    正解はないし、それぞれに尊重するべきところがあると思います。

    犬も猫も可愛いし、キノコの山もタケノコの里も美味しいです。

    必要に応じて、どちらかの立場に立つことはあるにせよ、
    ずっと我が身を捧げて「属する」というのは難しいです。

    以前に「信」という漢字の由来について調べてみたところ、「信」とはとても重みのあることなのだという気づきに至りました。

    「信」という字は、神に誓いを立て、互いを信じて交わされる約束のことを示しています。
    https://www.excite.co.jp/news/article/TokyoFm_vX5oIDaYqQ/
    信じることは少なからずリスクを負った上での行為なのだと思います。
    https://wefnote.com/koto-shin-kanji/

    「属する」ためには「信じる」ことが必要です。
    リスクを負った上で「信じる」ことのできる立場を選ばなくてはならない。
    とても難しいことだと思います。

    だから、全否定も全肯定もしないという意味で、「属する」ことに慎重になります。


    もう少し、具体的な話をしましょう。

    私はジェンダー論に関心があり、多数派とは少し異なる性への向き合い方をしています。
    しかし、その立場を言葉で表現することに苦労しています。

    LGBTQ、フェミニズム、反フェミニズム、マスキュリズム、反マスキュリズム……等と、概念・境遇や思想を言語化したキーワードはあるものの、まだどれかを選ぶ段階には至っていません。

    今後到達するかどうかもわかりません。

    それもあって、一番違和感の少ない「ジェンダーレス」「自分らしく生きる」といった表現や「男の娘」という客観的に観察可能な表現を採用しています。
    ただし、これも固定されたものではなく、違和感ゼロというわけでもありません。

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    話は変わります。

    最近、面白い本を読みました。


    進化学者のチャールズ・ダーウィンはこんな言葉を残しているそうです。

    「もともと分けられないものを分けようとするからダメなのだ」
    チャールズ・ダーウィン

    あのダーウィンもそう言っているのか!そりゃそうだよね。
    おかしいくらいに納得してしまいました。

    生物の分類はとても難しいようです。

    たとえば、この本の中ではクジラとイルカの分類について書かれています。

    「クジラは大きくて、イルカは小さい」
    そんな単純なものではありません……と言いたいところですが、実はそれが正解です。
    稲垣 栄洋(2020)『はずれ者が進化をつくる —生き物をめぐる個性の秘密』 (ちくまプリマー新書)
    水族館にいるゴンドウイルカは、図鑑に書かれた正式な名前はゴンドウクジラです。
    稲垣 栄洋(2020)『はずれ者が進化をつくる —生き物をめぐる個性の秘密』 (ちくまプリマー新書)
    マイルカ科の中にゴンドウクジラ亜科とシャチ亜科という分類があります。そして、ゴンドウクジラ亜科の中に分類されるゴンドウクジラと、シャチ亜科に分類されるシャチの仲間のゴンドウクジラがあります。
    稲垣 栄洋(2020)『はずれ者が進化をつくる —生き物をめぐる個性の秘密』 (ちくまプリマー新書)

    3つ目の引用で頭がフリーズして、「あ、分類って難しいんだな」という感想だけが残りました。

    そこで先程のダーウィンの言葉です。

    「もともと分けられないものを分けようとするからダメなのだ」
    チャールズ・ダーウィン

    そりゃあ仕方ない。


    性別も思想も同じことがいえると思います。

    もともと多様で分けられないものを分けようとするから違和感が残るのだと思います。

    「属する」ということは、自分自身を「分類する」ことに等しいと考えます。

    だから、「属さない」生き方も悪くない。

    ワタシ目ワタシ科ワタシ亜科で良いじゃないか。

    そうなれば、マジョリティ・マイノリティの区別も意味をなさず、誰もがマイノリティとなり得ます。

    誰もが新種です。他の種と似ている特徴があったとしても新種です。

    自分らしく生きることに、少し自信をもてました。

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