
ワイン界の女王、ラルー・ビーズ・ルロワ|そのカリスマとブルゴーニュへの遺産『日経xwoman Terrace』寄稿文
*本記事は、2023年8月23日付『日経xwoman Terrace』に寄稿した記事を転載・改訂したものです。
ブルゴーニュワインの世界において、ラルー・ビーズ・ルロワの存在は例外であり、象徴であり、伝説である。彼女が手がけるワインは、単なる農作物ではない。畑と対話し、自然と共鳴し、ボトルに昇華された哲学である。
男性優位のワイン業界にあって、93歳(2025年)の今なお第一線に立ち続ける彼女の姿は、カリスマを超えて、宗教的とも言える崇拝を集めている。なぜ、世界はルロワを崇めるのか。なぜ、彼女のワインは"市場で"目の眩むような高価格にもかかわらず、常に争奪戦となるのか。
それは、彼女が「造っている」からではない。「彼女でなければならない理由」があるからだ。ここでは、ラルー・ビーズ・ルロワという圧倒的な存在の本質に迫る。
世界が憧れる女王
ブルゴーニュワインの価値を世界に再認識させた人物として、ラルー・ビーズ・ルロワの名を挙げないわけにはいかない。現在93歳を迎える彼女は、メディアに姿を見せることは稀であるが、その存在は神話のように語り継がれている。彼女の手掛けるワインは、今なお世界中のワイン愛好家を熱狂させており、Musigny Grand Cruが51,998ドル(2025年4月25日)で取引されるなど、"市場価格"の上でも揺るぎない地位を誇る(この価格は、生産者の販売価格とはかけ離れた水準にある)。
神話のはじまり──伝説との出会い
ルー・ビーズ・ルロワ(本名:マルセル・マリー・エリーズ・ルロワ、1932年3月3日、パリ生まれ。愛称:ラルー)は、ドメーヌ・ルロワおよびドメーヌ・ドヴネイのオーナーであり、かつてはドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)の共同経営者、株主でもあった人物。
私にとってのラルーの記憶は、ニコラ・ジョリーが主宰する「ラ・ルネッサンス・デ・アペラシオン」の試飲会に遡る。この会は2001年に発足し、ビオディナミによるワイン造りを実践する生産者たちが、アペラシオンの真髄を表現する高品質ワインを世界に紹介することを目的としていた。当時、私はボルドーに留学中であり、名立たる生産者―コント・アルマン、ド・ヴィレーヌ、ルフレーヴらのワインとともに、ラルーのワインを試飲できることに心を躍らせ、会場へと向かった。
ラルーのスタンドにはひときわ多くの人だかりができていた。エレガントな装いで現れた彼女は、途中で静かに会場を後にしたが、それまでの間、来場者の質問に丁寧に答えていた。その立ち居振る舞いからは、並外れた威厳と優雅さが滲み出ていた。ラルーの一言を聞きたくて列を成す人々の熱量は、彼女の存在そのものがすでに伝説となっていることを物語っていた。
DRCと訣別─独自の道を歩む決意
1955年、父アンリ・ルロワの輸出業を継いだラルーは、1974年にはDRCの共同経営に参画。オベール・ド・ヴィレーヌと共にDRCを世界最高峰のワインブランドへと押し上げた。しかし、意見の対立から1992年に追放される。だがその後、彼女は自らのブランド、ドメーヌ・ルロワとドメーヌ・ドヴネイを再興し、独自の美学を貫いたワイン造りに没頭していく。

ラルーの飛躍を支えたのは、日本の百貨店・高島屋である。1988年、高島屋がドメーヌ・ルロワの株式33%を取得し、これにより資金を得たラルーはシャルル・ノエラなどの重要な畑を次々と買収。ビジネスにおいても世界市場を見据えた視点と手腕を発揮し、ブルゴーニュにおける独自の王国を築き上げていった。
血と美学が育んだ天職─父との絆
ラルーの非凡な資質は、父アンリの深い愛情と教育にも起因している。ラルーが生まれた瞬間、アンリはミュジニー・グラン・クリュの一滴を彼女の唇に落としたという逸話は、彼女の運命を象徴している。学歴には一切関心を示さず、「山に住み、小さなホテルを経営したい」という夢を持っていたラルーであるが、ある日、スイス・ローザンヌのホテル学校を訪れた際、父が見せた涙に胸を打たれ、ムルソーの畑に戻って翌朝8時から働き始めたという。親の期待と子の夢とが交錯する中で、真の天職に出会った瞬間であった。
ブルゴーニュの家族経営では、子供たちが自然と親の仕事を見て学ぶ環境が整っている。経営や顧客との関係性は、日常の中で呼吸するように体得されるのだ。ラルーもまた、父のもとでビジネスの基礎を学び、優れた栽培家・醸造家から技術を吸収し、さらに卓越したテイスティング能力をもって、唯一無二のワインを生み出してきた。
93歳の今なお現役で在り続けるラルーは、これから先、私たちにあといくつの奇跡を見せてくれるのだろうか。

ルロワの真髄
彼女が手がける「メゾン・ルロワ」の2025年最新コレクションがまもなくリリースされる予定であり、業界関係者やワイン愛好家の間で大きな注目を集めている。今回のラインナップは、2017年および2018年ヴィンテージを中心に構成され、最古のものでは2011年のワインも含まれるという。
ルロワは一貫して「品質の鍵は収量にある」と語り、ドメーヌ・ルロワおよびドメーヌ・ドヴネイのアリゴテは、ヘクタールあたり20ヘクトリットル未満という極端に低い収量を厳守している。さらに、全てのワインはブラインド・テイスティングによって品質を精査され、特にヴォーヌ・ロマネやシャンボール・ミュジニーにおいては、ルロワの名にふさわしいと認められたワインのみがリリースされる。彼女の妥協なき姿勢が、メゾン・ルロワの神話をいまも築き続けているのである。
ラルー・ビーズ・ルロワは、単なるワイン生産者ではない。歴史、血統、そして揺るぎない美意識を備えた、時代を象徴するカリスマである。彼女のワインには、ただ品質が優れているというだけでなく、時間と伝統に裏打ちされた深い精神性が宿っている。その存在は、単なるラベルの裏にとどまらず、ブルゴーニュという文化の象徴として、今後も語り継がれていくであろう。
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