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「踏み込みすぎた」と悔やむ夜に。川の向こうで手を振る練習。

    夜、眠る前にモヤモヤと頭の中で反省会が始まる。

    「あの言い方、どう受け取られたんだろう」
    「少し言いすぎちゃったかもしれない」

    一人反省会が始まってしまうと、眠れません。
    どんどん不安になってきます。

    相手のちょっとした表情の曇りや返信の遅さが気になって、「嫌われた」の証拠のように思える。胃が重い。

    今日はそんな、人との「距離」に迷うあなたと、少しだけ考えてみたいと思います。

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    優しさは「形」でできている

    みなさんは人と話す時に気をつけていることって、ありますか?

    私は言葉を選ぶときにすごく慎重になります。
    たとえば、

    ・相手の心に踏み込みすぎていないか
    ・逆に、他人行儀すぎて冷たくないか
    ・無意識に「教えてやる」というような上からの物言いになっていないか
    ・「あなたはこうだ」と決めつけず、「私はこう思う」と話せているか
    ・相手の状況・感情に対して適切か
    ・その上で、言葉が、相手の励みになる可能性が高いか

    考えますが、いつも完璧にはできません。

    それでも、私の言葉をもし「優しい」と感じてくださる方がいるなら、それは私が聖人君子だからではなく、単純にめちゃくちゃ考えているからだけだと思います。

    「でも、コミュニケーションは考えることより気持ちが大切…」

    そう思いたいのですが、悲しいことに、気持ちだけでは伝わらないことも多いのが現実ですよね。

    たとえば、疲れ切っている相手に「無理しないで、たまには人を頼っていいよ」と伝えたい時。

    「なんで一人でやろうとするの? だからいつまでも成長しないんだよ。人を頼ることを覚えなさい」

    と言われるのと、

    「今までお一人で、本当に頑張ってこられましたね。でも、誰かを頼ってもいいんですよ。次は勇気を出して、声をかけてみませんか?」

    と言われるのとでは、受け取りやすさが天と地ほど違いますよね。
    (もちろん、人によって感じ方に差はあると思います)

    でも、内容は全く同じであることも事実です。

    多くの方にとっては、やっぱり「形(言い方)」が整っていないと、中身を受け取る前に拒否感が先に出ますよね。

    特に発信活動をしていると、内容よりも言い方が9割、いや8割くらい大事だと実感します。

    でも、もしかしたら、「言い方」以上に私たちを苦しめるのは、「距離感」なのかもしれません。

    私たちの間には渡り切れない「川」がある

    先日、「このるかラボ」代表の心瑠華(このるか)へべれけさんが、ハッとするような動画を出されていました。

    「なぜ、優しさですれ違うのか。「橋」ではなく「合図」を送る、関係の作り方。」

    語られていたのは、「人と人の間には常に川が流れている」というお話です。

    私たちは、好きな人や大切な人とは「わかりあいたい」と願います。

    でも、現実は残酷です。どれだけ親しくても、血が繋がっていても、自分と他人は別の人間。

    完全に同じ気持ちになることも、完全に理解し合うこともできません。

    私たちは、決して渡りきることのできない川の対岸に立っている。

    少し寂しいと感じましたか?
    私は逆に、この整理で安心しました。

    なぜなら、私たちが人間関係で失敗する時の多くは、この川に無理やり「橋」をかけようとした時だからです。

    「あなたのためを思って」
    「もっと仲良くなりたくて」

    そんな善意をきっかけに、私たちは相手の岸辺に橋をかけ、乗り込んでいこうとしてしまう。

    それは、相手からすれば「侵略」かもしれません。

    どんなに親しくても、「ここから先は入ってこないで」という聖域、パーソナルスペースは誰にでもあります。

    良かれと思ってかけた橋が、相手の庭を踏み荒らすことになる。
    そして拒絶され、「こんなに想っているのに」と傷つく。
    これが、私たちが陥りがちな「距離感の失敗」なのかもしれません。

    「察する」のをやめて、「合図」を見る

    では、どうすればいいのでしょう。
    川を渡れないなら、私たちは孤独なままなのでしょうか?

    心瑠華さんは動画の中で、橋をかける代わりに「合図」を送ることの大切さを話されていました。

    相手が「ここまでなら来ていいよ」という区切りを見せる。
    あるいは「今は一人にして」という空気を出す。
    それを、対岸からじっと観察するんです。

    「あ、今日はそっちに行かないほうがいい日ですね」
    「ここまでなら、近づいても大丈夫そうですね」

    そうやって、川の向こう側にいる相手の「合図」を尊重し、決して無理に渡ろうとしないこと。

    それが大人の、そして成熟した優しさなのかもしれません。

    私自身、実はパーソナルスペースがかなり広めです。
    人との距離が遠いほうが安心するタイプです。

    グイグイ来られると引いてしまうし、逆に自分が誰かに近づきすぎて「あ、失敗した」と落ち込むこともよくあります。でもたまに距離を保ったまま、それでも近づいてもらえると嬉しかったりして。

    でも、「川が流れている」という前提に立てば、無理に近づかなくてもいいのだと思えます。

    遠くから手を振るだけでも、気持ちは伝わるかもしれませんし。

    応援も、心地よい距離で

    そんな気づきをくれた心瑠華さんが、最近noteのウィジェット機能を使って、ご自身の動画だけでなく「おすすめの動画」を紹介するという試みをされています。

    「私が応援したい、学びがあって、もっと知ってほしい」

    心瑠華さんの「ウィジェットの使い方を変えてみます🍀」記事から引用

    そう感じた動画を紹介されているとのこと。素敵ですよね。誰かの素敵な作品を、棚に並べるみたいです。

    これもまた、程よい距離感の「応援」の形ですね。いつも、どうしたら応援になるかな? と考えているので、新しい発想を知れたこと自体が、嬉しかったです。

    私も真似をして、今回の記事のきっかけをくれた心瑠華さんの動画を、許可を得て、私のnoteのウィジェットに置かせていただきました。

    もしよければ、皆さんも、川の向こう岸から眺めるように、覗いてみてくださいね。

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    今日は、言葉の「形」と、人との「距離」について考えてみました。
    完璧な距離感なんて、きっと一生掴めません。

    それでも、「私たちは別の岸にいる」と知っているだけで、今日よりも少しだけ、相手にも自分にも優しくなれる気がしませんか。

    過去に、私も距離感についてメンバーシップマガジンで書いたことがあります。

    5月の『人間関係リセット術』~新年度の疲れを癒す心地よい距離の見つけ方~

    あなたの心に合ったヒントが、見つかるかもしれません。


    ▶シリーズマガジンはこちらです。

    最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


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    「知る」ことは優しさ。不登校/双極症の経験を持つひきこもりのITエンジニアが、生きづらさを抱えるあなたへ「それでもきっと、大丈夫」のヒントを3年間、毎日発信しています。病気でも、不登校でも、ひきこもりでも。きっと、私たちそれぞれの「だいじょうぶ」を見つけられる。(毎日19時更新)

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