メインコンテンツへスキップ
見出し画像

燃ゆるアンスリウム

    「自分の方が優れてるって、心の奥底で思ってたんだろ? あいつは馬鹿だから、相談したって理解できないなんて、思ってたんだろ?」

    誇りに満ち満ちていた憎たらしい俺の顔は、汗と涙でぐしょぐしょに濡れ、眼から鼻から頬まで、ほとんど全てを赤く腫らしていた。
    うわずる胸部臓器の圧迫に苦しんでいるらしい。
    激しい嗚咽に揺さぶられ、壁に凭もたせかけた頭を打ちつけている。
    その度に白い壁はごとごと音を立てた。

    「なんとか言ったらどうなんだよ。」
    どういうわけか、その男はスプーンばかりの入った透明な袋を銀のフォークで幾度も幾度も突き刺していた。
    屋敷中のスプーンをかき集めたのだろう。
    袋の中には、ティースプーンからブイヨンスプーン、三連の軽量スプーンから薬匙まで、ありとあらゆるスプーンが詰められている。
    奴は脱力しているくせに右手だけは奇妙なまでに正確な拍を刻み、フォークを振り下ろす。
    その度、かちゃり、かちゃりと金属のぶつかり合う音が響く。
    時折キィ、と音を立てた。
    空になった脊椎に、よく冷やした昇汞水HgCl₂を注ぎ込まれるような不快感を覚える。

    「いつまで不貞腐れているつもりだ。」

    床にへたり込むそいつの前に跪ひざまずき、俺は問うた。

    「何が憎い。」
    「俺。」

    奴は間髪入れず、答える。

    「どう、憎い?」
    「どう?」

    気づけば俺はそいつの手首を掴んでいた。
    足の横に転がっているのはさっきまでこの男が握りしめていた銀色のフォークだ。
    どういうわけか、持ち手がひしゃげている。

    泣き腫らしの俺の顔は、甘ったれた声で言った。
    「わからない。わかりたくもない。」

    奴の指が俺の涙丘を押し付ける。
    喉の奥に粘着性の何かがぼとぼと落ちたように思う。

    一発、いや二発。
    三発でも四発でも五発でも、殴ってやろうと思った。
    できなかった。
    骨髄反射的に殴りかかってしまいそうな程の怒りの感情は、まず脳を支配した。
    脳は胸を狂わせた。
    心臓は収まりどころを失い、胃を圧迫し始める。
    俺は嘔吐えずく。
    胸を抑え、絶え間なく上がってくる苦酸っぱい液体を身体の内へと吐き出していく。

    「ねえ、俺が憎い?」

    白い壁に嵌め込まれているはずの鏡は見当たらず、そこにはぽっかり穴が空いている。
    俺はその穴に、奴が抱えていたスプーンを二、三本引っ掴んで投げ入れた。
    スプーンは音も無く、軌道を描くこともなく消えていく。
    縦の楕円形に空いた闇の中には白い炎が燃えている。
    俺は炎めがけてスプーンを投げ続けた。

    「俺が、憎い?」

    どちらの声か、誰の声か、もうわからなくなっている。

    最後の一本を投げ込んだ後、俺はしばらく茫然とそれまでの言葉を思い出していた。

    「俺は、憎いよ。」
    声のする方へと目を遣った。

    そこには楕円の鏡が嵌め込まれ、元の通りの景色を映し込んでいる。
    壁と枠との境界がはっきりしない。
    そうだ。
    此処は間違いなく俺の家だ。

    鏡を覗き込む。
    頬に触れ、額に触れ、笑顔を作っては壊し、壊しては作り直した。

    鏡の奥では白いアンスリウムが薄ぼやけの部屋の風景を拒絶するかの如く、ぱっきりと空間を割っている。

    「兄さん? 兄さん、どこ?」

    アンスリウムは踊り場のキャビネットの上に、いつもの通りに置かれている。

    俺は階段を駆け降りる。
    何段目かで、片方のスリッパが脱げた。
    もう片方も失くしてしまった。

    でも取りには戻らない。
    裸足のまま、裏庭へと続く扉の鍵を回し始めている。


    今日も習作です。
    昨日、仙台から戻りまして気づいたら眠っていたわけです。
    すると緊急地震速報のけたたましい音と共に家がぐらぐらと揺れまして。
    おし、これで目が覚めたから書くぞい、と思ったのにまた寝ていたわけです。
    そんなこんなで連載書けず。
    見た夢をそのまま書きました。

    ↑
    書きそびれているんだ、100話目を!

    ↑
    仙台で書いたもの二つ。

    ↑
    これは男子高校生がライブ観にいくだけの話。

    ↑
    大学生が初恋に挑む。
    キュンとさせない恋愛小説。

    ↑
    夏の話。

    ↑
    ゆきお様・解説
    訳の分からない話も、ゆきお様の手にかかればなんなく解決。

    この記事が参加している募集

     
     
    ラブラドールの匂いで肺を満たしたいアラウンドサーティ。 9歳児に親育てされている本末転倒人間。 文字に嫌われた人間が、しつこく文字を掻き集める滑稽な姿を東京の片隅からお送りしております。 ※連載小説も基本的には一話完結として読める構成を目指しているので、おじけづくことなかれ。

    あなたへのおすすめ