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『殴り殴られ詩人酒場』ep.19「在りし日の向日葵」

    秋の空は高らかで、雲だけが掴めそうなところで灰色に垂れ下がっている。

    ──お空の青の片隅の 傾かしぐ灰の藤の房
     薄硝子にぞ注ぎ込むらむ

    下駄の歯で同じ小石を砕き続けている。

    相変わらずタックの死んだままの洋袴の腰の辺りを幾度となく引き上げながら、密やかに地団駄を踏む。

    「朔ちゃん! いつまでそこにいるんだい?」

    背中を押されてふらついた拍子に口から言葉が溢れた。

    「世界が止まっている……」

    俺は佇んでなどいない。
    立ちすくんでなどいない。
    停滞しているのは寧ろ世界で、他人だ。
    俺は後ろへと歩き出している。

    「ほれ、なにごちゃごちゃ言ってんだ! 行った行った!」

    つんのめりそうになりがら進み始めた足。
    周回遅れで俺は季節を追いかける。

    派出所の前では白い服の男が真面目な顔の下であくびをすりつぶしていて、その横を茶色の犬が走っていく。

    果たしてこれが街の日常なのだろうか。

    わからない。
    あまりにも眠り過ぎた。

    「おとぎ話のお姫様……か。」
    ふと、過ぎし日のことを思う。

    ──チリン!

    「どこ向いて歩いてんだ! 前! 前見れ!」

    慌ただしい日常に追い立てられ、俺はうんざりした。

    おぼつかない足は、日常を邪魔しながら進む。

    零れ種の秋桜が咲きかけて、川縁かわっぺりは薄らと華やいでいる。
    蕾の丸く、艶やかな姿に今なお後ずさる。
    構いなく幼き少女はぷっつりとそれを摘み取り、器用に石を避よけて駆け戻って行く。

    枯れ草と化け物の寝巻きのような屑布ボロキレが揺れている。
    その周ぐるりのみ土が剥き出していて、芽吹いてすぐに朽ちたような名もなき草々が悲しげに囁きあっている。
    不気味な呻めきの如き風がその囁きごと吹き攫ってしまう。

    ──其処のお人、待たれよ。

    声なき声が輪郭を持って耳に届く。

    ──此方です。

    俺はその声に手を引かれ、気づけば屑布をたくし上げている。

    自分のひしゃげた鞄より少し小さめの枠の中で、向日葵が死んでいる。
    まだ「生」の湿り気を残しつつ。

    その姿に、閉じきらない咽喉から掠れた体温を漏らした。

    拾い上げた俺の指先はべったりと匂いなき「死」を纏っている。

    茜色した蜻蛉が舞い遊ぶ。
    無意識に屍色に染まった左の人差し指を空に向けていた。

    「この……指、止ま……れ……」

    虚ろになっていく瞳を自覚するこの恐怖は幾度目だろうか。
    踏ん反りかえるえらそうな喉は苦しくて、囁きを攫う風は舌を乾かし、影を作る睫毛はなびいていた。
    ただ時のみが凪いて、俺を跪ひざまずかせる。
    頭の上を低空飛行でかすめ跳び、茜色はどこへともなく去っていった。

    その軌道を辿り続け、眼を廻した俺は秋桜の命の上で偽物の屍と化している。
    胸には絶命した夏の面影を抱いて。

    ──屍肉香りて鈷コバルトの くすみたる空仰いでは
    我が生いのちなど塵芥ちりと等しからぬや

    垂れ落ちる灰色の雲を煽って酩酊している。
    ただゆったりと、ゆったりと花に背を預けたまま。

    風呂敷包みを振り回し、季節にそぐわぬ草履の足が駆けていく。
    あの日より、少々大人びた横顔たちが跳ねている。

    「あ……」

    手を伸ばせども彼らは止まることなく進んでいく。
    或る夏の空を駆けた西瓜すいかの馬車の王子のことなどとうに忘れて、南瓜かぼちゃの馬車のお姫様を追い駆けている。

    たったひとり、あの日のままの少年が佇んでいる。
    空蝉を詰めた虫籠を下げ、俺と同じ瞳めをして佇んでいる。

    虚ろだ。
    網膜に空を溶かした水彩を垂れたような睡気にも似た視線だ。

    ああ、このまま眠ってしまいたい。

    或る国の王子は、秋の初めの秋桜の畑に散る。
    別れの盃は朝露の煌めき一滴。
    その胸に、夏の屍を抱いて。

    太陽が眩しくて、瞼の上にかざした手掌の命のぬめりはただ、ただ色を深くして乾いてゆく。

    ──淡き毒、優しき毒
    我が肺を、我が春を緩やかに穢し給へ
    清らなるわずかな日々を
    澄み渡りし声を奏でた声帯を
    ひとおもいに、ひとおもいに……
    願わくば、散りし春を夏へ
    失われし夏を秋へ
    冬は元より汚辱の月灯り
    秋で終えよう、秋にて終えよう

    偽物の屍の上、秋茜が折り重なって舞っていた。

    (続)

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    ゆきお様・作
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    韻を踏み、ふんだんな知識を散りばめて。
    毎度新発見のあるリリックたち。

     
     
    ラブラドールの匂いで肺を満たしたいアラウンドサーティ。 9歳児に親育てされている本末転倒人間。 文字に嫌われた人間が、しつこく文字を掻き集める滑稽な姿を東京の片隅からお送りしております。 ※連載小説も基本的には一話完結として読める構成を目指しているので、おじけづくことなかれ。

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