メインコンテンツへスキップ
見出し画像

幾度目の初──『水辺のつつじ』ep.50

    「あけましておめでとう。」

    彼女の声が響く台所で、僕は炊きたてご飯でおにぎりを作っている。
    せっかくだから、塩むすび。
    三つ作って、残りの米はタッパーに入れて凍らせるつもりだ。

    「え? じゃあ初日の出、見なかったの?」
    「うん、まあ……」
    「なんか、意外。」
    「そう?」
    炊飯器に立てかけたスマートフォンの向こうで、彼女はきっと目を丸くしている。
    仮に今日の僕が彼女の想像通りの僕だったとして、初日の出を見られたのかと問われれば答えは──
    雫だらけの窓ガラスの眩しさに眼を細めた。

    「ご飯は? ちゃんと食べた?」
    どうしてそんなことを聞くのだろう。
    純粋な疑問と同時に、とてつもなく大きな違和が膨れてきた。
    危うく例のかやく、、、が爆発しかけて、僕は「食べたよ」と答えた。
    「なら、よかった。」
    彼女の本気で安堵したような声に、わずかな罪悪を覚えた。
    皿の上には雪合戦の雪玉のなれの果てみたいなものが二つ並んでいる。
    僕は手の内で三つ目を転がしていた。

    「あ、ごめん! 一回切るね。」
    受話器の先、彼女の名前を呼ぶ声を聞く。
    「うん、じゃあ……」
    「そうだ……私が戻ったらさ、一緒に初詣……行かない?」
    僕の返事を待たずして、雑踏は途切れた。
    途端に部屋は静まり返った。
    今日は妙に、ひとりが身に沁みる。
    指先が思い出したかの如く痛み始めた。
    右手の薬指、中指側。
    薄く皮が浮いている。
    蛇口が吐き出すクロル・カルキのぼやけた匂いが鼻の付け根でとぐろを巻いた。

    ほとんど惰性でテレビの電源を入れる。
    画面の中は人でごった返していた。
    色と色が押し合い圧へし合い、僕は擬似人酔いに目を回す。
    たまらずチャンネルを変えた。

    ──今年は全国的によく晴れ、美しい初日の出が見られました。
    アナウンサーは淡々と述べる。
    蜜柑色の太陽が藍を黄金色にぼやかしながら今年最初の太陽が昇る。
    心を振るわせるような映像に無感動なアナウンス。
    コントラストの衝撃インパクトだけでいえば、初日の出以上に印象的だ。

    ──しかし正午頃、関東地方では突如として猛烈な雨が降り……
    画面は神社の境内へ切り替わる。
    身をかがめ、雨から逃げる初詣客はもう皆びしょ濡れになっていた。

    僕が目を覚ましたのはこの雨の一時間後だった。
    部屋はもう、光で満たされていた。

    彼女は今から初詣へ向かうらしい。
    いや、もう今頃は賽銭箱に小銭を投じて、「二礼、二拍手……なんだっけ?」と笑っているかもしれない。

    ともすれば僕と行く時には、彼女にとってそれはもう「初詣」でもなんでもなくて、ただの「詣もうで」だと思うとたちまち面白くなってきた。
    何がどう面白いのかと聞かれるとそれは参ってしまうけれど、油断せずとも口角が重力を忘れたみたいにふわふわと持ち上がってくる感覚を覚えた。

    画面はまた色の大洪水に転じている。
    僕は慌ててテレビの電源を切った。
    雑踏がほんの少し尾を引いて、ひとりの影が徐々に徐々に濃くなってくる。

    誰かに当たって白く沈んだ雪玉みたいな塩むすびをひとかじり。

    絵馬に書くことは決まった。
    ──三角形のおにぎりを作れるようになる。

    独りの部屋に、一人の笑い声が響く。

    初日の出を見逃した僕は、今年最初の朝食、、を食べ終えた。
    もう、日の入りのほうが近かった。

    ↑
    【創作大賞2026】
    恋愛小説部門エントリー中。
    正月を迎えた貝原瑞樹は、恋人の桐生ゆうかと電話をしていた。
    しかし、やっぱり彼が気になるのは言葉の原理の方で……?

    ↑
    貝原の大晦日。

    ↑
    大正時代の上原朔也も年末を迎えている。

    ↑
    番外編(詩人酒場の)

    ↑
    ゆきお様・解説
    きっと見える、貝原瑞樹の行動の理由。

    この記事が参加している募集

     
     
    ラブラドールの匂いで肺を満たしたいアラウンドサーティ。 9歳児に親育てされている本末転倒人間。 文字に嫌われた人間が、しつこく文字を掻き集める滑稽な姿を東京の片隅からお送りしております。 ※連載小説も基本的には一話完結として読める構成を目指しているので、おじけづくことなかれ。

    あなたへのおすすめ