
短編小説|そのチャットは、同期にしか送っていない
「……僕と主任がホテルから出てきたの、
見たって本当?」
課長にそう言われて、息が止まった。
チャットに書いただけの話を、なんで知ってるの。
その日の昼休み。
上原さんがわたしの机に、
ツナマヨのおにぎりを置いた。
「平野さん、これいる?」
「また?
いるー。ありがと」
「うん、
今朝も買い過ぎちゃった。やせないと」
上原さんは隣の席に戻り、
自分のおにぎりを開けた。
同期で、この支社に配属されてから
ずっと隣の席だ。
女同士ということもあって、
外回りがない日は大体一緒に昼を食べる。
「上原さん、昨日も担当先に行ってた?」
「うん。午後ずっと」
「最近よく行くね」
机の上の上原さんの私物スマホが震えた。
画面を見て、眉を寄せた。
「どうかした?」
「ううん。前の会社の人。
今は競合会社にいて、
ちょっと面倒くさい人でさ」
「へえ。まだ連絡取ってるんだ」
「たまにね」
画面には、うちの顧客名と担当者名があった。
前にも見たことがある。
「ところで、平野さん。
昨日も鮭じゃなかった?」
「違うよ。
昨日は塩鮭。今日は鮭の西京焼き」
「どっちも鮭ですな」
笑った。
「平野さん、そういえば、
商品企画部の異動希望どうなった?」
「まだ。最近、仕事忙しくて」
「遅くまで残ってるもんね」
「うん。でも今年も出すよ」
「おー、3年目だよね」
本社の商品企画部。
異動希望は自分で出せる。
ただ、支社推薦がないと、まず通らない。
推薦は毎年1人だけ。
書くのは、
以前商品企画部にいたうちの課長だ。
去年は、
異動希望書の志望理由を
上原さんが最後の1行まで一緒に直してくれた。
「これ、平野さんのいいとこ出てるよ」
と笑った。
今年こそ行きたかった。
「平野さんなら行けそうだけどね」
「それ去年も言った」
「今年も言っとく」
わたしも笑って、
ツナマヨの包装を開けようとした。
そのとき、
課長が営業フロアへ戻ってきた。
「平野さーん。午前中の提案書、よかったよ」
「ありがとうございます!」
「この前の商品改善案、
商品企画部で採用されたんだろ。
初めてだよな。やるじゃん」
課長は細かいことには口を出さず、
困れば助けてくれる人だった。
課長はそのまま主任の席へ行った。
「昨日の新規、よく取れたな。
今月の数字、これで届きそうだな」
主任が笑った。
課長が主任の机に手をつき、
その後もずっと何か話していた。
わたしは隣を見た。
「ほら、あれ見て」
上原さんも2人を見た。
数秒後、
パソコンにチャットの通知が出た。
わたしはチャットを開いた。
上原『ほう、怪しいね。』
『だいぶ、距離近くない?』
上原『近い近いw』
1か月前の仕事帰りのことを思い出した。
『わたし、実は見たよ。
課長が主任っぽい人とホテルから出てきたとこ。』
『最近、主任ばっかり評価されてるのも、
それじゃない?
課長って、好き嫌いで評価決めてそう。
ほんと最低。』
上原『それ本当ならやば。。。』
隣を見ると、
上原さんが口だけ動かした。
(ふりん?)
吹き出しそうになって、
口元を手で隠した。
定時前。
課内ミーティングが終わると、
課長に呼ばれた。
「平野さん、ちょっと」
「はい」
課長の席まで行く。
課長は周りを確認してから、声を落とした。
「……僕と主任がホテルから出てきたの、
見たって本当?」
「え……何の話ですか?」
なんで知ってるの。
「あのさー、平野さん」
課長がパソコンを指した。
「社内チャットって、会社のシステムだろ」
「え……」
「誰にも見られないと思って、
何でも書かない方がいいよ」
上原さんにしか送っていない。
「僕の悪口なら別にいいよ」
課長の声は昼間と変わらない。
「でも、人事評価を私情で
決めてるって書いてるよね」
「……すみません」
「……ここじゃ話しづらいな。
奥の打ち合わせスペース行こう」
課長が席を立つ。
上原さんと目が合った。
わたしは口だけ動かした。
(やばい。ばれた)
上原さんの目が大きくなった。
打ち合わせスペースは、
営業フロアの端を
背の高いパーテーションで囲っただけだ。
わたしが座ると、
課長も向かいに座った。
「ほかに誰に言った?」
「……上原さんだけ……です」
「本当?」
「はい」
課長が背もたれに身体を預けた。
「最初に言っとくね。
ホテルの話は見間違いだよ」
「……」
「それを主任の評価と勝手に結びつけてる」
課長がわたしを見る。
「主任を評価してるのは、仕事ができるからだよ」
返せなかった。
それは、わたしも分かっている。
「平野さん、
今年も商品企画部に希望出すんだよね」
「……はい」
「僕はもう、
平野さんの推薦は書けないよ。
根拠のない噂を社内チャットで流して、
主任が評価されてる理由まで勝手に決めつけた人を、
支社推薦に出せると思う?」
課長の言う通りだった。
だから余計に腹が立った。
3年目で、
やっと狙えた支社推薦まで、ここで終わるの?
「平野さん……見間違いだから、
あと、二度とああいうことするなよ」
課長が机を指先で叩いた。
「もう行っていいよ」
課長は椅子を引いた。
「……課長」
わたしはスマホを取り出し、
写真を開いて机の上に置いた。
「噂の根拠は、一応あります」
課長の目が、写真に止まった。
ホテルから出てきた2人を、
後ろから撮った写真。
主任っぽい人が、
課長の腕に手を回している。
横顔も写っている。
「……写真、撮ってたの?」
「はい……」
課長は座り直した。
写真から目を離さない。
「主任とは、何もないんでしたっけ?」
返事がない。
「これ、ほかの人が見たらなんて思いますかね」
課長は目を閉じた。
しばらくして、息を吐いた。
「……ちっ。うぜーな。
ホテル行ったらダメなのかよ」
「え?」
「仕事の評価とは関係ねーよ」
「でも……課長、結婚してますよね?」
課長が腕を組んだ。
もう写真は見ていなかった。
「あのさー、平野さん」
「はい?」
課長がわたしを見る。
「最近、残業多いよね」
「……はい」
「退勤記録だと、
21時半になってる日が結構あるよね。
でも、会社を出てるのは19時半すぎだ」
何も言えなかった。
「2時間、どこで働いてたの?」
最初は、
本当に退勤ボタンの押し忘れだった。
家でスマホから退勤ボタンを押したら、
そのぶん残業代が増えていた。
返さなかった。
それからは、わざと遅く押した。
課長が笑った。
「悪いことしてるのは、僕だけじゃないでしょ」
わたしはスマホを手元に戻した。
「……では課長、先月の営業成績は?」
課長から笑みが消えた。
「何の話?」
「まだ注文をもらってない案件、
受注済みにしてましたよね」
「……翌月には
決まる案件だったからね……」
「まだ決まってないのに?」
課長は黙った。
「……部長の指示だよ。
本社から毎月、
何があっても目標は達成しろって言われてる」
「それで、
決まってない案件まで入れるんですか?」
課長は答えなかった。
パーテーションの向こうを、
誰かが歩いていった。
コピー機が動き、笑い声がして、
電話の呼び出し音が鳴った。
会社はいつもの音で動いていた。
「……課長」
「……何?」
「わたしを、
商品企画部の支社推薦にしてください。
主任との話、誰にも言いません」
「……おまえ、取引してんのか?」
課長の声が低くなった。
わたしは一瞬、目をそらした。
「……課長だって、
わたしの弱みを使ったじゃないですか」
「そういう意味じゃねーだろ」
「……わたしは3年待ってます」
声が震えた。
「今年のチャンスまで、
こんなことでなくしたくない」
課長は黙っていた。
しばらくして、
口元だけで笑った。
「おまえ、思ってたより本社向きかもな」
褒められた気はしなかった。
「推薦の件……わかったよ」
課長が立ち上がる。
打ち合わせスペースを出ようとして、
足を止めた。
外に、上原さんが立っていた。
笑いながら、スマホを持っていた。
「……上原さん?」
上原さんが画面を見せた。
録音中だった。
「課長、平野さん、仲がよろしいですねー」
「……いつから聞いてたの?」
上原さんがスマホを軽く振った。
「不倫も、会社の数字も、平野さんのおかしな勤怠も」
わたしを見た。
「最後の取引まで、全部入ってまーす」
「……どういうこと?」
上原さんは首を傾けた。
「商品企画部、わたしも希望出してるから。
今年は、どうしても本社に行きたくてね」
「……え?」
上原さんが笑った。
「平野さんが一番近そうだったし。
通ったら、わたしはまた来年じゃん」
課長が上原さんを見た。
「平野さんとのチャットを僕に見せたのも、
困らせるため?」
上原さんはうなずいた。
「平野さんが候補から外れたら、
わたしのチャンス増えるかなって。
でも、ここまで出てくるとは思わなかった」
課長が吹き出した。
「怖いね、君」
「そうですか?」
「一番営業向いてるかもな」
「褒めてます?」
上原さんの表情が緩んだ。
課長が打ち合わせスペースを出た。
「あのさー、上原さん」
課長が振り返った。
「昨日も、担当先に行ったんだよね?」
上原さんの笑顔が止まった。
「……はい」
「昨日の案件の確認で、
上原さんの担当先に電話したんだ」
「……」
「昨日、上原さん来てないって。
日報には訪問って書いてあるけど、
何してたの?」
上原さんのスマホが下がった。
「それは……」
課長が笑った。
「持ってるカードは、すぐ切るもんじゃないよ」
上原さんは何も言わなかった。
「お二人さん。
ここでの話は全部なかったことにしよう」
誰も笑わなかった。
「まあ、商品企画の推薦は期待しないでくれ」
課長は先に自分の席へ戻った。
わたしも上原さんと並んで席へ戻った。
どちらもパソコンを開かなかった。
上原さんが先に口を開いた。
「……ごめん、平野さん」
「もういいよ」
しばらく、どちらも何も言わなかった。
机の端に、ツナマヨがあった。
「……これ」
「え?」
「もらったのに、まだ食べてない」
上原さんがツナマヨを見る。
「平野さん、せっかくだから、食べてよ」
「もう、いらない」
上原さんが笑った。
わたしも笑った。
上原さんがパソコンを開いた。
「退勤、忘れないようにしないとね」
「……そうだね」
上原さんはパソコンを閉じ、
鞄を持って立ち上がった。
「じゃ、お先……」
「お疲れさま。……また明日」
「うん、また明日」
上原さんが営業フロアを出ていった。
姿が見えなくなるまで待った。
パソコンを開いた。
課長とのチャットを表示した。
『上原さん、競合会社にうちの顧客情報流してます。』
送信。
――上原、裏切ったのは、おまえが先だから。
読んでくださって、本当にありがとうございます。
※本作はフィクションです。
ご紹介くださった記事
これまでに僕の作品を読んで、
記事にしてくださった方がいます。
本当にありがとうございます🙇
迷探偵マツ さん こと「女豹のマツ」
書いてくださった記事は、
大切に読ませていただきました🥹
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