
呼吸と宇宙は繋がっている? 空気に気づいた日、ロゴマークの意味がつながった話
こんにちは、あい・とわ実行委員会の・はっこうにん(発行人)、
あいとです。
ぶっちゃけトークの8回目です。宜しければお付き合いくださいませ。
今日も一日、暑い日でした。
そんな中、少しだけ時間を作って、近くの公園を歩いてみました。
木々の間を風が抜けていくのを感じながら、
ふと、こんなことを思ったのです。
食べ物は、少しくらい無くても生きていけます。
でも空気は、そうはいきません。
ほんの数分無くなるだけで、命に関わってしまいます。
それくらい大切なものなのに、あまりにも「あって当たり前」
だからでしょうか、その大きさに、普段はなかなか気づけずにいます。
人間の感覚というのは、
どうやら「変化」にはよく反応するけれど、
いつも一定にそこにあるものには、
あまり反応しないようにできているのかもしれません。
だからこそ、どんなに命に直結していても、意識の外側に沈んでしまいやすいのでしょう。
逆に言えば、空気は、私たちにとって一番大きな恵みでありながら、
一番気づかれにくいものなのかもしれない、そんなふうに感じました。
見えないものが、見えるものを支えている
そのことに気づいた瞬間、以前からずっと自分の中にあった、
ひとつの問いにつながっていきました。
昔の人たちは、こういう「見えないのに、すべてを支えているもの」を、
どうやって感じ取っていたのだろう、という問いです。
私は以前から、ホツマツタヱという古い伝承や、そこに出てくる
「オシテ文字」「フトマニ図」というものに、なぜか惹かれてきました。

難しいことは分かりませんが、オシテ文字というのは、一つ一つの音の中に、宇宙の理をそっと畳み込んだような文字なのだそうです。
フトマニ図は、中心から広がる同心円の中に、小さな循環と大きな循環が、実は同じ理でできていることを示した図なのだと言われています。
もしかすると昔の人たちは、太陽や月の巡り、四季の移ろい、
作物の生死を、何世代にもわたって繰り返し見つめ続けるうちに、
その循環のパターンが身体の感覚として少しずつ染み込み、
それが宇宙全体の姿とも地続きなのだと、理屈を超えて「感じ取れて」
いったのかもしれません。
そうした自然や宇宙から届く波動のようなものを、五感以上の何かで、
受け止めて、それを表現できたということではないでしょうか。
知識として理解する前に、感じることで、すでに知っていた。
そんな順番だったのではないかと、想像しています。
そう言う感覚になぜか憧れのような
ものを感じています。
ベンチから、宇宙の果てまで
その時、ふと腰を下ろした公園のベンチで、少し考えてみました。
自分の体重は、ベンチに預けられています。
ベンチは地面に接していて、
地面は地中深くの岩盤につながり、
それは地球という一つの塊の一部で、
地球は太陽の周りを巡り、
太陽系は銀河の中を巡っている……
とたどっていくと、
途切れることなく、
宇宙の果てまで、
つながっているように思えます。
仏教の唯識という考え方の中には、
すべての存在は独立して"そこにある"のではなく、
無数の関係性が支え合って、はじめて"ある"ように見えている、
という捉え方があるそうです。
ベンチも、床も、地面も、地球も、そして自分自身も、
単体で存在しているように見えて、
実はどれ一つとして単体では存在していないのかもしれません。
全部が全部を、そっと支え合いながら、
いまこの一瞬が成り立っているのだとしたら。
空気も、きっとそれと同じなのだと思います。
ただそこにあるものというより、無数のつながりの結果として、
いま、自分の肺の中にある。そんなふうに感じられました。
一点(・)の中に、もう全部ある
今日、公園で風を感じた、あの数秒。何も特別なことではなく、
ただの一呼吸です。
でも、その一点の中に、実は世界の理の全部が入っているのかもしれない。
オシテ文字が、一つの音の中に宇宙的な構造を畳み込んでいたのと、
どこか似ているような気がします。
そして、フトマニ図が示していた
「小さな循環と大きな循環が同じ理でできている」という感覚。
あの一呼吸もまた、空気の循環、季節の巡り、命全体の循環と、
ひと続きになっているのではないでしょうか。
ロゴマーク「・(てん)からわ」の話
実は、あい・とわのロゴマークは、この感覚をそのまま形にしたものです。
あい・とわロゴマークのアニメーション
点(・)は、今日のあの一呼吸のような、取るに足らないように見える、
ささやかな気づきを指しています。
円(わ)は、それが全体とつながっていることの、
ひとつの証のようなものだと考えています。
そして、一番大切にしたいのは、この二つの「向き」です。
円が先にあって、点はその中の一部として位置づけられる、
という順番ではありません。
点、今この瞬間の、自分自身の小さな気づきや存在、
が出発点になって、そこから全体へと開かれていく、という向きなのです。
これは、「あなたはまず全体の一部として位置づけられる存在だ」
ということではなく、
「あなたのその一点にこそ、すでに全部が宿っているのかもしれない」
という、順番の逆転を意味しているように思っています。
円は、球体を切り取った断面
そしてもうひとつ、このロゴには、小さな秘密があります。
円(わ)は、平面の丸ではなく、
本当は「球体」を切り取った断面なのではないか、と感じているのです。
あい・とわのかがみ循環モデルのイメージ
さきほどの、ベンチから地面、地球、宇宙の果てまでつながっている話。
あのつながりは、平面的な輪っかというより、あらゆる方向に広がる、
球体そのものの姿をしているように思います。
地球も、太陽系も、命の巡りも、本当は丸い輪っかというより、
丸い球体に近いのかもしれません。
その球体を、人が目で見て、頭で捉えられる形にするために、
あえてひとつの断面として切り取ったものが、
ロゴの「わ」なのではないか。
そんなふうに考えています。
切り取っているからこそ、平面の円として描けますし、
誰の目にも一目で伝わります。
でも本当は、
その奥に、三次元の、
もしかしたらもっと多くの方向に広がっている
全体があるのかもしれません。
点(・)から見えている「わ」は、あくまで、
いま自分が切り取って見ている断面にすぎないのだと思います。
だから「わ」は完成された輪というより、常にその奥に、
まだ見えていない広がりを持っているものなのかもしれません。
今日見えている円と、明日見える円は、
同じ球体の、違う断面なのかもしれない。
そう思うと、少し不思議で、温かい気持ちになります。
「ひとつの・からはじまる」というキャッチコピーは、
まさにこのロゴの構造を、そのまま言葉にしたものでした。
ひとつの点、あなたのささやかな気づきから、
世界全体(わ)へとつながっていく、という意味を込めています。
今日、暑い中でただ少し散歩しただけの自分が、
実は空気の恵み、自然の循環、宇宙の理と、
地続きだったのかもしれません。
この今日の体験そのものが、あのロゴマークの、
ささやかな証明になっているような気がしています。
意識をする範囲や認識そのものが、変化するだけで、
すべての見え方が変わってきます。
もしかすると世界はもっと、違った素顔を持っているのかもしれません。
もしよろしければ、今度どこかで一呼吸するとき、少しだけ、
その一点の中にすでにある全部を、感じてみていただけたら世界は
以前より少し円く見えるのかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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