
なろう系が好きな人・嫌いな人の「読書体験」の違い。なぜ同じものを読んで「気持ち悪い」になるのだろう|AI時代の創作メモ(#創作論 #Web小説 #なろう #カクヨム #文章術 #小説の書き方 #note #エッセイ #書籍化 #生成AI #画像生成AI)
なろう系主人公は、なぜあれほど人によって評価が分かれるのでしょうか。
最近も「無職転生」の主人公への賛否がXで話題になっていました。しかも、日本だけではありません。海外でも話題なのだそうです。
このように、ある人には「格好いい」「スカッとする」と感じられる主人公が、別の人には「傲慢」「幼稚」「気持ち悪い」というふうに見える。
これは単純なキャラクターの好みだけでは説明できません。
こんにちは。こんばんは。
普段はラノベを書いている「うら表紙」と申します。
なろう系主人公を気持ちよく読める人と、どうしても気持ち悪く感じる人では、そもそも物語から受け取っている報酬が違うのではないかと私は思っています。
その違いを考えるうえで重要なのが、「願望的同一化」です。
なろう系では、主人公が強ければ周囲が驚き、有能なら権力者から一目置かれ、価値があれば追放した人間が後悔し、魅力的なら価値の高いヒロインから選ばれます。
この構造で重要なのは、「主人公がどんな人間であるか」よりも、「その主人公を世界がどう扱うか」の方ですです。
だから、読書目的は「魅力的な主人公を読むこと」ではなく、
「自分が魅力的な主人公として世界から扱われること」です。
その視点で見ると、なろう系主人公を取り巻く構造がかなり理解しやすくなります。
以前のnoteで書いた、
「主人公の価値を、主人公以外のものが証明する」
という構造は、ここにつながります。
俺TUEEE、ざまぁ、成り上がり、溺愛は別々の快楽に見えますが、能力、社会的評価、恋愛、他者の後悔などを通して、「主人公には価値がある」と世界から証明される点では共通しています。
そして、この快楽を大きくするためには、主人公自身はそれほど変わらない方が都合がいい。
もし、主人公が失敗から学び、未熟さを克服してしまったら、「以前の主人公には問題があった」ことになり、過去に主人公を評価しなかった人間にも一理あったという視点を生んでしまいます。
そうなると、かつて主人公を追放した人間が後悔をする描写の快楽が台無しです。
だから主人公が世界について学ぶのではなく、世界が主人公の価値を学ぶ。
主人公は最初から価値があり、それを理解できなかった周囲の評価が後から訂正される。
これなら、
「今の自分にはすでに価値がある。ただ、それが正しく認識されていない」
という願望を満たすことができます。
そのため、なろう系主人公には現実では欠点になり得る特徴まで好意的に解釈されることがあります。
無愛想なら「クール」。
無神経なら「不器用」。
非協調的なら「他人に媚びない」。
頑固なら「信念がある」。
女性に冷淡なら「女にがっつかない」。
つまり、
「自分は他人に合わせなくていい。しかし他人は自分を理解し、評価し、必要としてくれる」
という世界です。
主人公への願望的同一化が成立している読者にとって、この特別扱いそのものが報酬になります。
ところが、客観性が強く働く人は、読んでいても常に主人公を他の登場人物と同じ物差しで評価してしまいます。
たとえば、主人公が相手の気持ちを考えずに発言し、世界はそれを「不器用」「裏表がない」と好意的に解釈している。
しかし、他人が同じ態度を主人公に取ると「無神経」「自分勝手」と描写している。
主人公が他人を疑えば「慎重」なのに、他人が主人公を疑えば「見る目がない」。
主人公が自分の利益を優先すれば「合理的」なのに、他人が同じことをすれば「身勝手」。
主人公が女性を容姿や能力で選ぶのは「好み」なのに、女性が主人公を地位や能力で見れば「打算的」。
客観性が働くと、こうした評価の非対称性が気になってしまうのです。
問題なのは、主人公が傲慢だったり無神経だったり、対人スキルに問題があったりすることではありません。
客観性の高い人でも、傲慢な人物が、傲慢な人物として描かれていれば一人のキャラクターとして納得します。
引っかかるのは、同じ種類の行動に、主人公か否かによって異なる意味が与えられていることです。
ここに、さらにメタ認知が加わると、
「この主人公は格好いい」
ではなく、
「なぜ作品は、この主人公を格好いいと感じさせようとしているのか」
まで引っかかってきます。
創作をしている人はこの感覚にかなり心当たりがあるのではないでしょうか。
敵が不自然におバカなのは、主人公に圧倒させるため。
追放した人間がことごとく失敗するのは、主人公を評価しなかったことが間違いだったと証明するため。
優秀だったヒロインが主人公にだけ反論しなくなるのは、主人公を無条件に理解する存在として機能させるため。
こうなると、「主人公が魅力的だから世界から評価されている」という世界の因果関係そのものが逆転します。
主人公を魅力的な人間として成立させるために、世界の方が調整されている。
ここがおそらく、「嫌い」が「気持ち悪い」へ変わる地点です。
主人公が優遇されていること自体が問題なのではありません。
主人公を価値ある人間として扱うために、周囲の人間の合理性や自律性、知性、世界の因果関係まで歪められていることが見えてしまう。
客観性のある読み方をする人にとっては、主人公が報われることよりも先に、その世界のつじつまが合っていることが読書体験の前提になります。
人物の行動と評価、原因と結果、世界のルールが一貫していなければ、物語そのものを信じられなくなるからです。
だから、主人公への報酬を成立させるために世界のつじつまが歪んだ瞬間、カタルシスより先にその歪みが見えてしまいます。
なろう系主人公が好きな人と嫌いな人の違いは、ここにあるのかもしれません。
一方は、主人公に与えられた特別扱いそのものを報酬として受け取る。
もう一方は、その特別扱いによって世界のつじつまが崩れた瞬間に、物語から弾き出される。
同じ装置が、一方には快感として働き、もう一方には違和感として働いているのです。
あなたはどちらの読書タイプでしょうか?
私は、疲れている日は頭を空っぽにして「特別扱い」を満喫しています。
あとがき:
ふと思ったのですが、なろう系の物語構造って、シンデレラや白雪姫とほとんど同じなんですよね。家族や継母から虐げられた弱者が、大逆転して幸せをつかむ──この骨格が完全に一致しています。人類って、国籍や時代に関係なく、ずっと昔から「気持ちよく感じる物語の型」が変わらないんだなぁと思うと、ちょっとおもしろくなってしまいます。童話は、いわば“古代版テンプレ作品”なのかもしれません。そう考えると、童話モチーフの異世界転生を書いたら、現代でも案外ウケるのかもしれませんね。
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