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AI時代の創作メモ|創作でSSRの武器になる生きづらさ。気にしすぎる、拾いすぎる、引きずりすぎる人ほど、創作では書けるものが増えていく(#創作論 #note #エッセイ #メンタル #共感 #文章術 #生成AI #画像生成AI)

    こんにちは。こんばんは。
    普段はラノベを書いている「うら表紙」と申します。

    私は、世界から受け取ってしまう情報量が多すぎる人ほど、創作へ向かわざるを得なくなるのだと思っています。

    他の人なら聞き流してしまえる言葉が、ずっと小骨のように刺さり続ける
    誰も気にしていないような些細な出来事を、自分だけ何日も引きずる。
    相手の表情や仕草ひとつに一喜一憂してしまう。

    本人にとっては「感受性が豊か」なんて美しい話ではありません。
    普通にしんどいです。

    創作をしている方は、こういうことが多いのではないでしょうか。

    私自身、生まれ持った特性もあって、人の顔色や態度から、知らなくてもよかったものまで拾ってしまうところがあります。

    最近も、身近な人が何かを言いかけて、途中で止めたことがありました。
    結局その人は何も言っていません。

    でも、前後の文脈や表情、言葉を止めたタイミングから、何を言おうとしたのかがかなり容易に推測できてしまった。

    「ああ、本当はそんなふうに思っていたのか」
    そう分かった途端、かなりつらくなりました。

    相手には悪意すらなかったのかもしれません。
    だったら、本当は知らないままでよかったんです。

    似たようなことは昔からあります。

    投稿していたWeb小説の書籍化が決まったとき、私はその喜びを友人に伝えました。
    すると友人は、「私も考えたことがある」「私にもアイデアがある」と、自分の可能性の話をし始めました。

    その言葉は、私が積み重ねてきた道のりを「アイデアさえあればできるもの」へと軽く扱うように聞こえました。

    いえ、私にはそう聞こえてしまったんです。

    普通ならそれを言われたとしても、「あなたにもできるよ!」と友人に言葉を返せば済む話です。
    でも、私はずっと引きずってしまいました。

    友人が本当にそんな意図で話していたのかは分かりません。
    でも、私はそういう風に解釈をしてしまったのです。

    こういうものが、いつまでも胸の奥に残ります。

    相手の言ったことだけを額面通りに受け取れたらどれだけラクだろうと思います。
    もう少し鈍感だったら、生きやすかっただろうなぁ、と。

    ただ、この感覚が自分を生きづらくしている一方で、文章を書く時にはとても役立ったりしています。

    それをとても分かりやすい形で見せてもらったのが、ある方のエッセイでした。

    その方は、自宅にあったのこぎりが錆びてしまったことについて書いていました。

    古いのこぎりが一本ある。
    それだけなら、「錆びたな」「もう使えないかな」で終わる出来事です。

    ところが、そこから家族のことや、過ぎていった時間、失われていくもの、自分が生きてきた時間にまで思考が広がっていく。

    それを読んだ時、何か頭の中でカチリとはまるものがありました。

    普通の感覚なら「ずいぶん錆びたな」「そろそろ捨てようかな」くらいで終わってもおかしくありません。
    ところが、錆びたのこぎり一本から、人生の時間の流れがありありと浮かび上がっていく。

    創作をする人って、こういうところがすごくありますよね。

    午後の部屋に光が差しただけで、昔の家を思い出す。
    幼い頃に一度見た景色と、三十年後の景色を重ね合わせる。
    何気ない会話から自他境界を考え始める。

    別に、その出来事そのものに最初から意味が書いてあるわけではありません。
    それでも、何も書かれていない場所から、勝手に意味を拾ってしまう。

    だから、日常生活が大変なんですけども……。

    これが、創作する人の中にはかなり強くある気がします。

    私には、相手の言葉も表情も額面通りに受け取れてしまう明るい性格の友人がいます。
    当然ながら、その友人には友達もすごく多いです。
    いろんな人からのお誘いがあるので、週末は常に予定でいっぱい。

    私はずっとその友人になりたいと思っていました。
    羨ましいではなく、「なりたい」です。

    気にしないことや気付かないことがどれほど精神を安定させるのかを身近でイヤというほど見てきましたから。
    だから、彼女みたいになりたかったんです。
    彼女が見ている世界にずっと住みたかった。

    私は創作をする前まではずっと、自分が余計なものまで拾ってしまう性質を、生きづらくするだけの不要なものだと思っていたんです。
    実際、この感覚は社会生活ではかなり面倒です。

    知らなくてもよかった本音を察して傷つくし、流せばいいことが流せない。
    誰も問題にしていない違和感を、自分だけ抱え続けることもあります。

    たとえ、「それは才能だよ」と言われても、腹が立ちます。
    こっちはそれで何年も苦しんどるんじゃい!と(笑)

    これは立派な「呪い」です。

    でも、その呪いを全部なくした自分を考えると、今と同じように文章を書いている姿があまり想像できません。

    創作って、以前は、世界にある特別な出来事を見つけて書くことだと思っていました。
    でも実際には、誰もが過ごすような日常の中から何かを拾って、心で練って、文字として紡いでいることの方が多いんですよね。

    「お茶を淹れる」。
    ただそれだけの日常の動作から、異世界で「グリーンティー革命」を起こす話に飛躍する。

    同僚の言葉を裏読みしてしまった経験から、異世界で内政チートを邪魔する悪役のセリフを思いつく。

    考えてみたらかなり特殊なことをしています。

    だから、創作というのは、世界から拾いすぎてしまう人が、拾いすぎたものを置く場所なんだろうと思うんです。

    もちろん、それで社会生活の苦しさが消えるわけではありません。
    知らなくてよかった本音を察してしまえば、やっぱり傷つきます。

    生きる上では呪いになる。
    それでも、書く時には同じものが祝福にもなる。

    心理学でも「感受性の高さは負荷と創造性の源泉が同居する」と言われますが、まったくその通りです。
    創作は、呪いが深いほど筆が乗るのかもしれません。

    皆さん、いつも日常生活、本当にお疲れ様です。

    あとがき:
    人間って、知性だの感受性だの洞察力だの、いろんな能力について考えますよね。でもうちの姫猫様を見ていると、知性は「かわいい」を超えられないんだなとつくづく感じます。ある統計では、全国の猫飼いが飼い猫に向かって最も発している言葉の第一位は「どちたのぉ〜?」だとされています(笑)これには私も納得しかありません。猫好きで知られる養老孟司氏もきっと「どちたのぉ~?」と言っているに違いないからです。普段は難しい仕事をしている人も、本を何百冊読む人も、猫の前ではきっとIQ3。人類が積み上げてきた知性を一瞬で溶かす猫、強すぎます。きっと人間は猫の前では全くの無力なのです。


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    ── 創作純喫茶「ミケ」のドアを開ける。

    カランコロン

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    創作純喫茶ミケの看板娘“みっちゃん”

    明日も創作純喫茶ミケでお待ちしております♪


     
     
    書籍化作家で、マーケター歴20年。 なのに中身はだいぶ繊細気質。 創作の裏側や、読まれる仕組み、時々ちょっと人生の話。 うまく言えない感情を、言葉にしていく場所です。

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