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【回復の記録⑪】 一人戦闘の時代 | 選べない世代で選ばれていた私たち

    ⑩まで書き上げて、
    その後なかなか進めずにいた「回復の記録」。

    回復よりも前の話。
    過去と向き合うには水圧が重いのだ。

    文字にするよりは軽い、
    歌にする、という行為を先に
    まとめた記事を出した。

    今回の記事は、この記事が前提になっている。


    回復の記録|鎧を脱ぎ、愛へ還るまで 11話目。

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    この記事のためのBGMです。
    静かな場所で、呼吸を整えてからお読みください。



    ずっと、
    「場所を失うこと」を恐れて生きてきた。

    私には何もない、次はない。
    そう信じ込んでいたから。

    かつて私が生きていたのは
    選ぶ側が圧倒的に強く、
    選ばれる側が極限まで弱い、
    冷たい拒絶の時代だった。

    「お祈り」という名の否定が積み重なるたびに、
    私の「土台」は砂のように崩れていった ──。


    1|「場所を失う恐怖」に支配されていた日々


    なぜ、これほどまでに
    分厚い鎧を着続けてきたのか。

    なぜ、誰にも頼らず
    「一人戦闘」をしてきたのか。

    それは、
    個人の気質だけでなく、

    私が生きてきた時代の空気が
    魂に「生存本能としての防衛」
    を刻み込んでいたからだ。

    何が正解かわからず、
    ただ悪夢に怯えていた自分がいた。


    2|「お祈り」という名の否定が降り積もる戦場


    ロスジェネ、失われた世代 ──。

    就職活動の場には
    「恐怖面接」という言葉があるほど、
    選ぶ側が強く、選ばれる側は弱い時代だった。

    何社受けても届くのは
    「今後の活躍をお祈りいたします」という定型文。

    「お祈りメール」を受け取るたびに、
    自分の存在価値が否定された。

    「自分という存在は無価値で、この世界に不要なのだ」

    「何もない私」がさらに削り取られていく
    「戦場」の景色だった。


    3|優等生の崩壊と、正解のない悪夢


    学生時代までは、
    決められた通りに通学し、
    勉強して良い点を取ってさえいれば
    「優等生」でいられた。

    けれど大学に入った途端、
    急に「自分で考えて自分で決めろ」と
    地図も持たされないまま荒野に放り出された。

    小学生、中学生、高校生 ──
    次の場所に行けば何かわかる、
    何かが見つかると思っていた。

    けれど、大学を卒業しても、
    やりたい仕事も、生きたい人生も、
    何も見つからなかった。

    そして、社会という会社からも、
    私は求められなかった。

    自分には、戻れる場所も、
    支えてくれる土台も、
    何ひとつなかった。

    今でもたまに夢を見る。
    何をしていいのか、
    何が正解なのかもわからず、
    ただただ不安しかない、
    大学時代の悪夢を。


    4|生き延びるための防衛戦 ─ 「檻」の中の六年間


    適当なところに遅れて就職したけど
    すぐに辞めてしまった。

    本当に絶望した。

    「選ばれる側」として
    場所を見つけること自体が困難な時代。

    やっと与えられた「場所を失う恐怖」にも怯えていた。
    何もない私には次がないのだから。

    だから私は、
    薬を飲みながらも、
    鬱になって休職し、異動を繰り返しながらも、
    親のコネで入れてくれた会社にしがみついた。

    それは、
    「普通」の人たちには居心地が良いはずの
    安定思考の優秀な人たちがぬくぬくと過ごす、
    「大手優良企業」だった。

    けれど、私にとってはそこは
    「肌に合わなすぎる檻」だった。

    大学卒業後三年もフラフラし、
    ワーホリにまで行ってボロボロになっていた私が
    新卒の同期と一緒にされたその場所は

    あまりにも不自由で、
    馴染めるわけがなかった。

    けれど、
    帰る場所がない私が生き延びるためには、

    身体を壊しながらも
    その檻にしがみつくしかなかった。

    それが、
    私の「必死の防衛戦」だったのだ。


    5|脱出のための実務 ─ 「現実の岸辺」の原点


    今の私がnoteに綴っている
    「現実の岸辺(実務・検証)」。

    その原点は、その檻の中にあった。

    「どうすれば、この会社を辞められるのか」
    「どうすれば、自力で自由を手にできるのか」

    それを学ぶことだけが、
    私が檻の中で正気を保つための唯一の手段だった。

    あの六年間で、
    薬を飲みながら必死に紬ぎ出した知恵こそが、
    今の私の自由を支える「生存技術」になっている。


    恋愛よりも自分らしさよりも、
    ただ「生存と脱出」を最優先せざるを得なかった。
    それが私の「一人戦闘」の正体だった。


    あの六年間があったからこそ、
    今、実務(現実の岸辺)の重要性を
    誰よりも深く理解しているのだと思う。

    それらの泥臭い実務ログは、
    組織という檻から脱出し、
    夫という安息の岸辺へ辿り着くための航海図であり、
    「会社を辞めるための学び」だったのだ。


    実はまだまだ書ききれていない技術が山ほどある。
    すでに綴っているのは氷山の一角でしかない。

    時間はかかると思うけど、
    もっとマガジンに追加していきたいと思っている。

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    【回復の記録⑪】 一人戦闘の時代 | 選べない世代で選ばれていた私たち

    6|奇跡としての今 ── 海と安息の中に帰る


    時が経ち─
    世の中は全く違う世代が主役になっている。

    「選ぶ前提」で軽やかに生きる彼らは、
    私のいた世界とはあまりにかけ離れていて、
    まるで別世界の住人のように見える。

     過去記事▶︎ 選べる世代と、選ばれていた私たち


    けれど、戦場を生き抜き、
    檻を抜け出してきたからこそ、
    私には今の景色がある。

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    朝、仕事前に海を見に行き、
    夫という名の「安息」の中に身を置いている。

    「俺の元に帰って来なさい」
    と言ってくれた彼の言葉。

    それは、
    戦場にしか居場所がなかった私に与えられた、
    終戦記念日だった。

    選べなかった時間も、
    檻の中でもがいた日々も、

    すべては今
    この岸辺に辿り着くために
    必要な航跡だったのだ ──。

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    この記事で触れた
    「会社を辞めるための実務」の具体的な記録は
    マガジン「現実の岸辺」に少しずつ残しています。
    不自由な檻から脱出したいと願う誰かの、小さな光になれば嬉しいです。


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    夫婦で飲食店を営みながら、実体験をもとに創作と記録のあいだを綴っています。 スキとフォローの返しはしておりません、すみません。 INTP-T / Cool Winter(旧名:深海のアンコウ女)

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