
お琴が好きだったというより、平安の空気が欲しかった。|SUNOで気づいたこと
一時期、SUNOにめちゃくちゃハマっていた。いろんな曲を作った。
(これらの曲以外にも、SUNOでは歌や曲をたくさん作っています。)
でも最近、SUNOのアップデートの影響なのか、以前のように思うような曲が作れなくなっていた。
そして、自分自身も少し変わってきた。
最初の頃は、とにかく大量に作る時期だった。
「これもいい」「これも面白い」「じゃあ、次!」と、どんどん作っていた。
でも最近は、少しずつ「作る」から「選ぶ」へ。
大量生産の時期を終えて、厳選する時期に入っていた。
そんなこともあって、私は少しSUNOから離れていた。
ずっと、お琴の曲を作りたかった
以前から、お琴のような音色の曲を作ってみたいと思っていた。
その頃に生まれたのが、「はじまりの雨、踊る」。
琴のように跳ねる、澄んだ音。
生まれたての雨粒が、嬉しくて跳ねながら踊っている。
そんなイメージを音にした曲で、自分の中でもかなりお気に入りだった。
私は、お琴の音色が好きだ。
でも、ここで少し不思議なことがある。
私は、別に和楽器が好きなわけではない。
三味線も、尺八も、太鼓も、特別好きというわけではない。
むしろ、和のリズムは私にとって少し難しい。
私は、とにかくビートが必要な人間なのだ。
私には、ビートが必要だった
作業をするため。BGMとして流すため。
仕込みをするため。仕事中に手を動かし続けるため。
私には、身体を止めずに動かしてくれる音楽が必要だった。
だから、ドラムのビートはほぼ必須。
どれだけ美しい音でも、リズムが自分の身体に合わないと、作業用BGMにはならない。
たぶん私は、
「聴くための音楽」より「動くための音楽」を必要としている。
ここは、曲をたくさん作ってきて分かった自分の好みだった。
平家の曲を朝の仕込み用にしてみた
そんなことを考えていた頃。
前の記事で作った、「Heian aristocratic Tsumugi|平安貴族の紬」という曲を、朝の仕込み用にアレンジして、アルバムにしてみた。
平安っぽい雅な雰囲気。でも、ちゃんと現代的なビートがある。
朝の仕込みをしながら聴ける。すると。「これだ!」と思った。
ずっと欲しかったのは、これだったのかもしれない。
私は、お琴が好きだったわけじゃなかった。
和楽器が好きだったわけでもなかった。
きっと、平安の空気が欲しかったのだ。
雅で、静かで、少し遠い時代を感じさせる。
でも、そこに現代のビートがある。
過去と現在が一緒に流れているような音。
私が作りたかったもの
考えてみれば、私はずっと、
「和楽器を使った曲」を作りたかったわけではなかったのだと思う。
欲しかったのは、平安の雰囲気。
その空気を、今の自分が使える音楽にしたかった。
だから、ドラムが必要だった。現代的なビートが必要だった。
そして、琴のような澄んだ音と合わせたかった。
こうやって考えてみると、今まで自分が作ってきたものにも、少しずつ共通点が見えてくる。作っている最中は分からない。
でも、たくさん作って、並べて、振り返ってみると、
「ああ、私が好きだったのはこれだったんだ」と、後から分かることがある。
これも、観測記録なのかもしれない。
そして、前の記事で私は、
「どうやら平家側らしい」という話を書いた。
その直後に、
「平安の空気が欲しかった」という自分の音楽の好みまで見つかった。
……もしかして。
本当に平家の末裔だからなのだろうか。

知らんけど。笑
でも、こういう偶然の一致は、ちょっと面白い。
「平家の末裔らしい。」
そんな話から始まって、遠い先祖と今の自分をつなぐBGMが、
まさか朝の仕込み用になるとは思わなかった。

✦ このnoteについて
→ はじめての方へ