
絶罪殺機アンタゴニアス 第一部 #98
ゼグは、一度、取りこぼした。
ギドの養い子は、かつては八人いたのだ。ゼグよりひとつ上の、姉貴面がうっとおしい奴だった。
――ビナ。
誰より銃の扱いが上手く、誰より機知に富み、誰より笑った顔がババアに似ててむかつく奴だった。
その遭遇は誰の予定にもないもので、きっと当の機動牢獄自身にも予想していなかったことだったのだろう。あいつが何の任務で〈栄光〉セフィラにいたかなんて知らないし興味もない。
前面の装甲を開き、ビナの頸椎を締め砕きながら腰を打ち付けている野郎の後姿を、ゼグは茫然と見ていた。
立ち上がる力が、どうしても湧いてこなかった。
だってそうだろう。触れただけでこの顔の半分を焼けただれさせた怪物だ。膂力も〈原罪兵〉の比じゃない。
自分にできることなど何もない。
そう、思い込もうとした。
心の底で、そうではないことは理解していた。ビナに暴行を加えるために、奴は罪業ファンデルワールス装甲の前面を開いている。正面に回り込んで、鉛玉をブチ込めば。
そうすれば、少なくともビナの仇は討てるかもしれない。可能性はゼロではない。
だが、ゼグは立ち上がれなかった。ことが終わる前に動き出さなければならないのに。今しか勝機はないのに。
足腰に、力がどうしても入らなかった。
ビナの死に顔が、ここからでも見えたから。
鬱血し、引き歪み、舌をだらりと口の端からはみ出させながら、この世のどこも見ていない、その濁った瞳を。
涙の跡が、まだ乾いていない。ついさっきまで、生きて、苦しんでいたから。
ああなりたくなかった。
機動牢獄よりも、その死に顔に心の底からビビっていた。
己に対し、吐き気がした。きっとあと一秒でもこの光景を見せつけられれば、実際に殺される前にゼグの心は再起不能となっていただろう。
爆音。
耳を聾し、腹の底を震撼せしめる衝撃。
直後、怪物の咆哮のごとき唸りとともに、黄金の光を放つ弾体が視界を横に貫き――機動牢獄の上半身を爆裂四散させた。メタルセルの壁面にべしゃりと赤い臓物や脳髄が叩きつけられる。下半身はゆっくりと横転していった。引き抜かれた男性器が、ぬらぬらと汚らわしかった。
そこへロングコートを羽織った大柄な男が駆け寄ってくる。ビナの亡骸の前にしゃがみ込み、その陰気な目に一瞬だけ耐え切れないほどの悲哀の色が宿った。
大きな手でビナの目を閉ざし、ロングコートを脱いで体に被せてやった。
そして再び鉄面皮を装うと、決然とどこかへ駆け出して行った。吹き抜ける風よりもなお速く、あっという間に視界から消え去る。男は最後までゼグに気づくことはなかった。
きっと、他にも機動牢獄どもがいるのだろう。
――大人に対し、憧憬の念を抱いたのは、その一度だけだった。
そして、悔しかった。
どうして自分はああじゃないんだろう。
弱い自分を、許せなかった。認められなかった。ここで「ありのままの自分で良い」なんておためごかしで自分を誤魔化したら、きっと俺は一生ダセェ生き方をして、ダセェ死に方をする。
その確信だけは、あった。
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