
絶罪殺機アンタゴニアス 第一部 #142
彼女は、そのことを理解しているのだろうか。
していないはずがないのだ。
だが、もう、止まれないのだ。
人を原材料に、人であることを止め、人を越えた彼女。自分の成そうとしていることの結末が絶対の孤独であることがわかっていながら、そこに救いなどないことがわかっていながら、もはや飢餓でしか思考ができなくなっているのだ。
――ならば私が、貴女を救おう。決して一人になどさせはしない。
そう決意したはいいものの、当時のナーガリア・クロロディスは無力だった。技術祭祀の一人でしかなかったクロロディスにとり、世界を喰らい尽くさんとする女神をどうにかしようなどと、まさしく無理難題と言うほかなかった。
結局、彼女を救ったのはクロロディスではなく、人の形をした救世の修羅――ヴァーライド・ジェナナトルであった。
いや――救ったと言ってよいのか。ヴァーライドのしたことは、彼女の生殺与奪権を握り、強引に交渉のテーブルにつかせ、逆らえば殺すと脅しつけながら彼女の人智を越えた知性の成果たる罪業テクノロジーのすべてを強奪する所業であった。
感情の面で、クロロディスはヴァーライドを憎んだ。
理性の面で、クロロディスはヴァーライドを認めざるを得なかった。
そうして、人と女神の間に成立した奇跡のような和解――ソピア=テオトコス条約が成立した。
このままでいいのか。何度も自問する。いいわけがない。
では、ヴァーライドを殺し、彼女を解き放つか。それもダメだ。元の木阿弥だ。ヴァーライドほどの天才は二度と現れるまい。
成すべきことが何も定まらず、悶々とするばかりの日々。
だが、あるときヴァーライドの方からクロロディスに接触を持ってきたことが、すべての転機となった。
――君の人類に対する長年の献身と功績を見させてもらった。ぜひ力を貸してくれないか。ヘッドハンティングという奴だ。
英雄は、想像よりもずっと若い男だった。明らかに年上のクロロディスに対し尊大な物腰で接してきても、それが嫌味にならないだけの風格を持った青年だった。
彼はクロロディスを、とある場所に連れて行った。
人類の、新たな社会秩序となったソピア=テオトコス条約機構――その内部において、彼女に由来する技術の解析と改善を司る部署があった。
それが、〈静寂機関〉。
クロロディスは、そこで脈打つ巨大な肉塊が三つ、無数の血管と神経節で繋がった代物と対面させられた。
――あの女に頼らずに、文明を恒久的に維持するための希望だ。今度こそ人類を救う。ナーガリア。こいつの完成のために手を貸してくれないか。誰も俺の理論を理解してくれない。
もしもこれが完成すれば、彼女は解き放たれるかもしれない。人類と、彼女との、新たな関係性が始まりうるかもしれない。
クロロディスは、その希望に縋った。
かくして、二人は、並列多元罪業変換機関の完成のため、研究に没頭することになった。
それがいかなる結果を招くかも知らずに。