
絶罪殺機アンタゴニアス 第一部 #139
何も。
語る言葉を持たなかった。
今、この男は、シアラの生涯を踏みにじった。
「アッ、怒ってるね? 今キミたち怒ってるネ? いやいやいや、お気持ちはごもっとも!! ごもっともだヨ!! 私としても君たちを怒らせるつもりは毛頭なかったんだけど、でもまぁギド氏のオーダーを遂行するためには君たちをカンカンに怒らせる結果になったとしてもまぁ仕方ないかなぁ、ぐらいのつもりでことに臨んでいたんで、実は別に焦ってないし特に驚いてもいないんだ!!」
愛はわかる。情もわかる。わかっていながら特に躊躇なく踏みにじる。
「本当に、君は昔から私の予想を何一つとして逸脱しないねぇ、アーカロトくぅん? いったいこれで何度目だい? 私に煮え湯を飲まされるのはサ、エッ? 何度目だァい? ちょっとそろそろいい加減こっちとしても飽きてきたんだけど、まぁでも仕方ないよネ!! 私の大罪神理権限で誰も彼もぜんぶ忘れちゃうし? うんうん、しょうがないしょうがない、君のせいじゃないヨ、気に病むことはないさアーカロトくぅん!! でもホント、何度目なのかなァ!! 君ィ!!」
「――おい、ジジイ」
ゼグが、言った。
「なんだい」
「お前、頼まれないとデカブツを動かせないんだっけ」
「あぁ」
「じゃあ、あいつらを殺してくれ。頼む」
「わかった」
絶罪規定1095条、第三項の例外措置に該当。
《――絶罪・執行――》
我ら、求められることなく力を振るうことまかりならぬ。
虚空が波紋に揺らぎ、基準界面下より超質量が浮上する。
数十メートルに達する掌が出現し、ギドとクロロディスを握り潰さんと猛進する。鉤爪に大気が引き裂かれ、悲鳴を上げる。
そこへ――アンタゴニアスと似た、しかし決定的に異なる声が響き渡る。
《――絶罪・執行――》
低く、深く、囁くような声と、喉が腫れあがって詰まりながら絞り出されるような声が、同時に聞こえてきた。アンタゴニアスの声が、どこかにいたであろう無数の老若男女のパッチワークであるのに対し、このような声を持つ人類は存在しなかったであろう異形さ。
アンタゴニアスの黒き御手の前に、空間の揺らぎが生じ、そこから濁った緑青色のエネルギーラインを絡みつかせた掌が出現する。それは、常時形状を変化させ続けながらそこにあった。実際には変化していないにもかかわらず、視認している間不定形に姿を変え続けているようにしか見えない。矛盾と不条理に満ちた腕部。
凄まじい質量同士の激突が、大気を激震させ、その場にいた全員の衣服や髪をはためかせた。
第三の絶罪殺機――識別コード「カタリスタス」。
二柱の巨神が、指を互い違いに喰らい付かせ、星を押し潰すがごとき膂力で拮抗している。それは、今にも撃発しかねぬエネルギー同士が危うい均衡の上で鬩ぎ合う、動的な静止だった。
「おやおやおや、拮抗してしまったねぇアーカロトくぅん。わかっていたことだけど、君は本当に導き手がいないまま活動しているんだねぇ」
「つまりはゼグが消えれば何もできないってわけだ」
無造作に。食卓の調味料に手を伸ばすような気やすさで。
老婆はライフルを伸ばし、発砲した。
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