
ある淑女のわがまま
――おじいさまは、泣く子をあやすのに、躊躇えなんて一度も言わなかった。
自分自身の中にも、躊躇う気持ちなど微塵もなかった。
それがどれほど無意味でも、無価値でも。
それでも、動かないという選択肢はなかった。
自分には、それができると思った。
いったいどうしてこういうことになったのか、よくわからないけれど。
〈手〉を伸ばせば、感じ取ることができた。
弾力を帯びた、無数の根の感触。分岐し、脈打つ樹状構造。
そのひとすじひとすじの中に、小さな宝石のような煌めきがある。
自分が見ている物が何なのか、長いことわからなかった。
自分が、時系列を越え、すべての可能世界を認識していることに、長いこと気づかなかった。
ほとんどの枝で、人々は生き延びていた。〈美〉セフィラの穴を自力で修復し、どうにか復興を目指そうとしている。状況は厳しく、予断を許さないが、ともかく即座の滅亡はないだろう。
一部の枝は、滅亡した。運悪く、〈彼ら〉がそこに固まって存在しており、侵略に抗することはできなかったようだ。
さらに一部の枝は、月の無慈悲なる女神を〈外〉に「出産」した。生れ落ちた女神がその後どうなったのか、自分には観測できなかった。〈外〉は〈ここ〉とは異なり、依然としてコペンハーゲン宇宙観の法が敷かれる世界であったから。人類のみならず、およそ「存在」の呼称に当てはまるものはことどとく崩壊し、消滅した。
そして、アーカロト・ニココペクとアンタゴニアスは、ほとんどの世界で生存した。彼が――彼らが、今後どうなるのかは、やはりわからなかった。
だけど。
ひとつだけ。
美しい青年の姿をした特異点が存在を続けた、たったひとつの可能世界。
そこで、彼らは。
――君は最善以上のことをした。負い目を感じる必要なんかないけど、それでも悲しいのならば、思い切り泣くといい。それが君なのなら、それでいい。
ふたりぼっち、取り残されて。
――何もいらないはずだったのに、僕は弱くなってしまった。
ふたりぼっち、存在し続ける。
――ごめん。ごめんね。びっくりしたよね。僕が悪かった。ごめんよ
だから、自分は。
シアラ・ニックアントム・ヴァルデスは。
――いつか必ず、温かい思い出として、力に変えられる日がくる。だから、どんなに胸が痛くても、おじいさんとの思い出までなかったことにしてはいけない。
誰一人として、取り零したくなかった。
――良く言えたね。きついことを言わせて、ごめんね。
きっと、人類全体のことを考えるならば、無数の可能世界に分裂させたままのほうがいいのかもしれない。
無事に人類を守り抜けたアーカロトたちを見守りながら、心に蓋をしておくべきなのかもしれない。
だけど、自分は。
それでも、自分は。
さみしくて泣く子を、どうしても、どうしても「仕方がない」とあきらめることができないのだ。
シアラだけが、それを認識できた。
シアラだけが、それを結びつけることができた。
シアラ、だけが。
二つの結末から、選ぶことができた。