
絶罪殺機アンタゴニアス 第一部 #106
シアラは〈接続棺〉の中で、そわそわとアーカロトの帰りを待っていた。
――僕が戻ってくるまで、決して〈棺〉を開けてはいけないよ。
そう言い残して外に出て行った彼を、どういうわけかシアラは引き止めたくなった。手を伸ばしかけ、しかし戻した。
――もう二度と、会えないような気がして。
ぶんぶんぶん、と力を込めて首を振る。もちろん、そんなわけがないのだ。
だけど、わけもなく心細くなって。
さっきまで常に肩に触れていたアーカロトの体温が、今はなくなっているという事実がもう寂しくて。
シアラの目尻に雫が浮かんだ。
だから、〈棺〉の外からこんこん、とノックされたとき、思わず体が震えた。
「シアラ、僕だ。ちょっと両手が塞がっていてね。頭上のレバーを引いてくれないか」
あぁ、よかった。二度と会えないなんて、気のせいだった。
――結論から言えば。
絶対に開けたりするべきではなかった。
そもそもアンタゴニアスにも簡単な状況判断能力はあり、繰り手が帰還したならば勝手に〈棺〉の蓋を開けるはずである。
本当にアーカロトが帰ってきたのなら、シアラが何か操作を行う必要などないのだ。その程度のこと、シアラにもわからないわけがない。
だけど。
声を聞けたのが嬉しくて。
どこか疲れ果てた、でも優しい眼で微笑みかけてほしくて。
一刻も早く頭を撫でてほしくて。
シアラの脳裏から、違和感はすっぱりと抜け落ちた。
レバーを、引いた。
身を起こし、目を輝かせて、彼を待つ。
だけどそこにいたのは、全然違う人物で。
カールを描いた口髭をしごきながら、その男は朗らかに嗤った。
「やあやあフロイライン。お初にお目にかかるヨ。私はクロロディスという者でねェ、突然だけど君かわいいねぇ、おじさんとお医者さんごっこしないかい? うん?」
お道化たその言葉とは裏腹に、その男の眼には形容不可能な混沌が渦巻いていた。
●
アーカロトは、意識を取り戻した。
咳き込んで肺の中に残った血を吐き出す。第一大罪との超次元的な繋がりは、即死でさえなければ強力な自己再生をもたらす。
「ぐ……ぅ……」
徹頭徹尾、意味がわからない邂逅だった。
あの男……あの男?
アーカロトは、さっきまで会話をしていた男の名前をまるで思い出せないことに気づく。それどころか、顔や声の記憶すらどんどん消えてゆき――やがて「記憶が消えた」という事実すら認識できなくなる。
「ともかく……ギドと合流を……」
彼女は死んだのではなかったか? その思考が脳裏を駆け抜け、いったいなぜそのような発想が浮かんだのか思い出すことができず――しかし原因不明の焦燥感ばかりが全身を突き動かし、アンタゴニアスのもとへと駆け戻り、なぜか〈接続棺〉が開いていることに寒気を感じ、シアラの姿がどこにもない事実に愕然とし――
「アンタゴニアス。僕がいない間、ここに誰か来たのか!?」
《――否定。繰り手の帰還までに千八百二秒経過。その間生命反応も動体反応もなし。磁気・放射線・罪業波・空間震、いずれも正常値のままである。いかなる存在も、接近してはいない》
「ではなぜシアラがいないッ!!」
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