
絶罪殺機アンタゴニアス 第一部 #115
アーカロトは、ゆっくりと青年の全身を見た。
全身が血塗れで、部位もわからぬ肉の細切れが爪の中に引っかかっていた。
青年が喜んですらいないことに、アーカロトは耐えられなかった。
「お、まえ……」
声が震える。なのに涙は一滴も流れなかった。
「おまえェ……ッ!!」
無駄なのだ。この存在に対して意味や理由を問うことなど。
だが、しかし、そうであるなら、つまり、子供たちの惨死には。
なん、の、意味、も。
悲鳴のような絶叫が喉からひり出された。
「――ァァァァァァアンタゴニアスッッ!!」
ジアドの上空に、巨大な波紋が広がった。
血を吐くように絶叫した。
「潰せェッッ!!」
逆さまの水面から、黒き巨神の掌が出現し、ジアドの存在していた空間一帯をその超質量で叩き潰した。轟音と衝撃波が撒き散らされ、遅れてメタルセルの破片が乱舞する。
そして太い鉤爪の生えた五指が同時に曲がり、ジアドを鋼鉄と一緒に掌中に握り込んでゆく。指の間から、圧搾された金属の光沢が絵具のごとくはみ出てきた。完全密閉できるなら、原子同士を圧縮して核融合反応を容易く引き起こせるレベルの、人智を越えた握力。
〈接続棺〉に搭乗していないので、アンタゴニアス精密な感覚情報は伝わってこない。掌の中でちゃんと潰れたかどうか、確信が持てない。
そして――ことを為したあとで、おかしなことに気づいた。
本来なら動くはずがないのだ。絶罪殺機が。
この究極の暴力装置は、絶罪規定に強固に縛られている。この時代の人間に頼まれない限り、人を殺すための行動など起こせるはずがないのだ。
なぜか、寒気が走った。
「アンタゴニアス。お前の掌中には何がある。精査して報告しろ」
《報告:内部にナノ回路を有する金属結晶の集合物。ポリブタジエン。微量の大気。微量の有機物。鉄バクテリア。ケイ素樹脂。――以上》
「そんなはずがないだろうッ! 成人男性一人分の有機物があるはずだッ!」
《推論:当機の掌中に、探査波を反射しない人体型の解析不能領域あり。当機はこれを「人類」とは認識せず。「生物」とは認識せず。「物質」とは認識せず》
原形を、留めている。
「そこに生物がいないのなら、誰も殺傷しない範囲で〈空虚論考〉を展開できるなッ!?」
《肯定:それは絶罪規定に抵触しない。警告:この状態で〈空虚論考〉を展開すれば当機のマニピュレータは無視しえぬ損害を――》
いいからはやくやれ。そう言いかけた瞬間。
異様な、音がした。アンタゴニアスの巨大な関節が軋む、あり得ざる音だ。
「はや――」
くやれ、とは言えなかった。一人の人間が、アンタゴニアスの指を押しのけて、顔を覗かせてくる情景など。自らの正気が、軋みを上げるのを感じた。
「見つけました。見つけました」
青年は――青年の形をした因果律の破れは、無造作にアンタゴニアスの手から這い出してきた。寸毫も力を緩めさせていないにもかかわらず、ジアドは絶罪殺機の圧搾を力ずくで押しのけた。
いや――
冷たい汗が背に滲むのを感じながら、別の直感を得る。
――力ずくではない。腕力などよりも、もっと遥かに救いようのない原理があの青年には働いているのだ。
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