
絶罪殺機アンタゴニアス 第一部 #161
瞬間――ジアドの動きが、止まった。
その情報は、無視しえぬ重みを持っていたから。
《お前はそんな簡単な疑問を晴らすために今まで存在し続けてきたのか。良かったな。答えが見つかったぞ。お前の生存は因果律の整合性を守る神による強制だ。それ以上でも以下でもない。疑問が生じる余地など、どこにもない》
そうして――ジアドは、一貫した目的意識を喪失した。
喪失、してしまった。
枷が、外れた。
辛うじてジアドの行動に一定の指向性を与えていた枷が。
ジアドはなぜ生存のための行動を続けるのか。彼自身の中に理由はない。
ジアドはなぜ人を殺すのか。彼自身の中に理由はない。
ジアドはなぜ人を殺さないのか。彼自身の中に理由はない。
なにかがあるのだと思っていた。何も感じない己の中に、それでも一見人のように見える行いをさせる何らかの指針があるのだと。
自覚していないだけで、あるのだと。
本当はないのに。ただこの世界の理によって強制された行動しか取ってはいなかったのに。人を殺すことは能動的な行為だが、なにもせずにじっとしていることもまた同じように能動的な行為だ。これらはジアドにとって完全に等価であり、どちらをやる理由も、やらない理由も、同程度にない。
脳髄の中で、蠢くものがある。
これまで、「感情」というフィルターを介さぬままジアドの生理的/危機的欲求を厳密に数値化し、理論的に判断を下してきた制御中枢が、存在意義を喪失し、本来の用途に立ち返った。
潜性遺伝子として祖先から脈々と受け継がれてきた〈原罪の欠片〉が、ある世代で芽吹き、その後で子を成したことによって発現状態のまま世代交代が行われた唯一の症例。
内臓獄吏。
かつては癸零式だったが、今はもうそのような型番では分類できないほどに変質した罪業腫瘍。
本来ならば――他の内臓獄吏の担い手たちと同じく、異形の姿へとジアドを変貌させるはずであったが、それは因果律の整合性を保とうとする神の形而上力によって阻止された。ジアドの真の本体は人の姿を保っているから、その過去の切れ端が勝手に魔獣となることは防がれた。
代わりに、変異はソフトウェア方面に及んだ。
先祖の罪を末裔に遺伝させる内臓獄吏の本義が、神の助力を得て、図らずも今ここに実現したのだ。
ジアドは、濁流のごとく流れ込んでくる自分の先祖たちの記憶と罪業に圧倒され――るようなことは特になく、淡々と受容した。
五感を通じて他者の行動原理を学ぶのとは一線を画する、実感を伴った理解が、ジアドの中に広がった。
人の想いを識り、人の業を識り、人の欲求を識り、人の愛を識った。
口の端が、吊り上がる。
それは、ジアドを知る者が見れば瞠目するほど自然で滑らかな笑み。
常人を模倣する精度が異様に低かった哲学的ゾンビは、いまようやく人間らしい振る舞いを完全に学習した。
《ねえ、アーカロトくん》
その声色の豊かな抑揚と情感に、アンタゴニアスを取り巻く曼荼羅罪業場が、動揺したように色彩を揺らめかせた。
《君はどうしても僕を殺したいんだね? 僕が前に引き裂いて飾り付けた子供たちの仇を討ちたいんだね?》
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