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絶罪殺機アンタゴニアス 第一部 #175

     前 目次

     この世界は、ごくミクロなレベルにおいては無矛盾律が成立しなくなるという性質を持つ。互いに矛盾する状態Aと状態Bが、矛盾したまま一つの世界の中で重ね合わせられて同時に成立してしまっているという事実が、観測によって実証されたのだ。この、明らかに感覚に反する事象を詳らかにしようとする試みを、量子力学と呼ぶ。
     コペンハーゲン解釈とは、一種の説明放棄だ。矛盾に対して、特に何の追加説明もせず「ミクロレベルにおいては無矛盾律が成立しない。それがこの宇宙の性質である」と、観測結果をそのまま無抵抗に受け入れ、前提にしてしまおうという立場である。
     そして、その態度はあらゆる意味で正しかった。他の解釈に比べてずっと簡単に予測や思考実験が可能になるし、そのような利便性を抜きにしても、コペンハーゲン解釈こそが正真正銘の真理であることは明らかだったから。時空間に干渉する罪業場でもって無数の実験を重ねた結果、そうとしか考えようがなかったのだ。ジアドの罪業場もまたその結論の正しさを補強する例の一つだ。
     ――それが命中した瞬間、宇宙は不可逆的に変わった。
     単一の世界に縛り付けられていた波動関数が、拡散しはじめた。星の質量に由来する勁力の乗った〈トリスケリオン〉粒子ビームが、無矛盾律を否定するジアドの罪業場と衝突した瞬間、宇宙は胚細胞が分裂するがごとく、物理定数の普遍性を崩壊させた。
     無数の可能世界が、無数の枝葉を未来方向に対して広げ始めた。
     コペンハーゲン宇宙観が、それらひとつひとつの世界の内部でのみ成立するローカルルールに堕した。
     〈彼ら〉が――ひいては神が、恐れていた事態が、そこに実現していた。
     並列多元罪業変換機関を中心に渦巻いていた多世界解釈の理が、宇宙を絡めとり、咀嚼し、消化こなした。
     無数の可能性が実体化し、並列的に成立し、それぞれ異なる歴史を刻み始めた。
     この可能世界の爆発的増殖は、亥世発勁・須弥葬送が贖罪神機に命中し、拡散し、減衰し、消滅するまでのわずかな期間のみに発生した。〈トリスケリオン〉粒子ビームが完全に胡散霧消した瞬間、増殖は止まり、一個の多細胞生物のごとく形態を安定させた。
     そして、それで充分だった。
     細かく分岐した可能世界の中で、アーカロト・ニココペクとアンタゴニアスもまた、無数に分裂し、それぞれの世界に収まった。亥世発勁・須弥葬送が命中したわずかな期間に存在しえた、微妙な物理的揺らぎのパターンごとに、少年と絶罪殺機は無数に生成された。
     一方、〈外〉の理によって成立する存在たちは、この増殖に乗り遅れた。〈彼ら〉も、ジアドも、一切分裂することはなく、それぞれの可能世界にランダムに放逐された。彼ら自身はそのことをまったく認識しなかったけれど。
     唯一の宇宙に存在する、世界崩壊の因子ではなくなった。
     ジアドが滅ぼせるのは、無数の可能世界の中の一つのみ、だ。
     人類は、存続する。

     ――だが、「この」僕は、賭けに負けた。

    【続く】

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    小説書きでミニチュアゲーマー。おもにSFを好み、三度の飯よりセンスオブワンダーが好き。小説が面白かったらフォローしておくれ。なにかあればツイッターアカウントのDMからどうぞ。https://twitter.com/shu64737980

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