
主体性と安全意識の関係
今日、仕事中に怪我が2件起きた。
ひとつは、僕が怪我をしたこと。
もうひとつは、僕に怪我をさせた相手が、その数時間後に自分も怪我をしたことだ。
相手は瞼をぱっくり切って、病院に行くことになった。
この出来事を見て、僕はかなり考えた。
怪我そのものは、現場仕事をしていれば起きる可能性がある。
道具を使う。
部材を動かす。
滑りやすい場所を歩く。
人と連携して作業する。
そういう環境では、どれだけ気をつけても事故の可能性はゼロにはならない。
でも今日の2件は、ただの不運には見えなかった。
普段の仕事への向き合い方が、そのまま怪我として表に出ただけに見えた。
僕が怪我をした時、上司は事前に言っていた。
現場の構造を理解して、ゆっくり操作しろ。
急に動かすな。
状況を見てから動かせ。
それはかなり明確な指示だった。
でも相手は、それを聞き流して、急に部材を動かした。
その結果、僕が怪我をした。
これは偶然ではないと思う。
「ゆっくりやれ」と言われていた。
「構造を見ろ」と言われていた。
「急に動かすな」という前提があった。
それでも聞き流して、雑に動かした。
その結果、他人が怪我をした。
そして数時間後、今度は相手自身が怪我をした。
これもかなり分かりやすかった。
その場所は滑るから気をつけろと言われていた。
ショートカットするなと言われていた。
歩くならゆっくり歩けと言われていた。
しかも一回ではない。
三回、指摘されていた。
そのたびに転けかけていた。
そのたびに注意されていた。
それでも、同じように動いた。
そして四度目で、顔から転けた。
結果、瞼を切って病院に行った。
ここまでくると、運が悪かったでは済まない。
注意されていた。
危ない場所だと分かっていた。
何度も転けかけていた。
それでも行動を変えなかった。
だから怪我をした。
僕は、これは必然だったと思う。
今まで怪我をしなかったのは、ちゃんとしていたからではなく、運が良かっただけだったのだと思う。
相手は普段から、人に指摘されても「自分は聞き流すタイプだから」とか、「自分は効かない人間だから」というようなことを言っていた。
たぶん本人からすれば、それは自分の性格の説明なのだと思う。
でも現場では、それは性格ではなくリスクになる。
人の話を聞き流す。
注意を受けても、自分の行動を変えない。
指摘を、自分への改善材料として扱わない。
自分の行動が他人にどう影響するかを見ない。
そういう姿勢は、日常ではただのだらしなさに見えるかもしれない。
でも現場では、それがそのまま怪我につながる。
「聞き流すタイプだから」で済むのは、結果が出ていない間だけだ。
実際に人が怪我をした時、もうそれは性格の問題ではなくなる。
安全の問題になる。
責任の問題になる。
今日起きた2件の怪我は、根っこが同じに見えた。
注意を聞き流す。
危険を軽く見る。
自分の行動の影響範囲を見ない。
指摘されても、次の行動を変えない。
だから他人が怪我をした。
そして自分も怪我をした。
これは因果応報というより、同じ仕事OSから出てきた当然の結果だと思う。
ただ、僕が本当に気になるのは、怪我そのものよりもこの後だ。
この出来事を、ちゃんと自分の責任として受け取れるのか。
それとも、環境が悪かったと言うのか。
タイミングが悪かったと言うのか。
たまたま運が悪かっただけだと言うのか。
自分はこの仕事に向いていないから仕方ない、という形で責任を外に逃がすのか。
それとも、真正面から向き合って改善するのか。
そこが気になる。
怪我をしたこと自体を責めたいわけではない。
人は失敗する。
ミスもする。
怪我をすることもある。
大事なのは、その後だと思う。
なぜ起きたのか。
何を聞き流していたのか。
どの注意を軽く見ていたのか。
自分のどの動きが他人に危険を与えたのか。
次から何を変えるのか。
そこに戻せるかどうか。
失敗を自分の改善に戻せる人は、次に変わる。
でも失敗を環境やタイミングや向き不向きのせいにしてしまう人は、また同じことを繰り返す。
今日の怪我は、その分岐点だと思う。
ただ痛かった。
運が悪かった。
向いていなかった。
そこで終わらせるなら、何も変わらない。
でも、自分が何を聞き流していたのか、自分のどの雑さが怪我につながったのか、そこを見られるなら変われる。
責任感は、綺麗ごとではない。
現場では、責任感は安全装置だ。
人の話を聞くこと。
細かい注意を軽く扱わないこと。
危ないと言われた場所では動きを変えること。
急に動かすなと言われたら、急に動かさないこと。
転けかけたなら、次は歩き方を変えること。
そういう小さなことの積み重ねが、他人も自分も守る。
逆に、それを聞き流し続ければ、いつか身体に返ってくる。
今日起きたことは、まさにそれだったと思う。
怪我は突然起きたように見える。
でも、本当はその前から予兆があった。
その予兆を聞き流していたから、今日、現実として返ってきただけだ。
僕はこの出来事を見て、改めて思った。
仕事で一番怖いのは、できない人ではない。
注意されても、自分の行動を変えない人だ。
できないことは教えればいい。
分からないことは聞けばいい。
ミスは直せばいい。
でも、聞き流す人は変わらない。
自分の責任として受け取らない人は、同じ危険を繰り返す。
そしてその危険は、本人だけでなく周りにも向く。
今日の怪我は、かなり分かりやすかった。
今まで怪我をしなかったのは、運が良かっただけ。
今日怪我をしたのは、偶然ではなく、普段の姿勢が表に出ただけ。
問題はここからだ。
この出来事を、ちゃんと自分の中に戻せるのか。
それとも、また外に逃がすのか。
そこに、その人のこれからが出ると思う。