
私がなぜ意味と構造ばかり考えるようになってしまったのかの考察
こんにちは、ブラキンです。
今日は「なぜ私が “意味と構造” に呪われたように生きてきたのか」について書いていきます。
私は、この思考が形成された時期と理由をはっきり理解しています。
それは 小学1〜3年生のわずか数年間 に一気に起きた出来事でした。
■ 親の喧嘩──家に帰っても安全ではなかった
私の記憶では、小学1〜3年生のころ、家に帰ると毎日のように両親が激しく喧嘩していました。
金銭面が中心だったと思いますが、とにかく 家の中に“安心”が存在しない。
子どもにとって「家が安全基地でない」というのは、その後の人生に深く影響します。
私にとっても、その体験が“意味づけ”の原点になっていました。
■ 日本でのいじめ──外人呼ばわりと、理解されない怒り
私は日本とアメリカのハーフですが、当時はそのことで上級生から集団でいじめられていました。
放課後教室では積み木を投げられ、
「外人は国に帰れ」
と言われる日々。
当時の私は妙に胆が据わっていて、投げ返した積み木で相手を殴って抵抗していた記憶があります(笑)。
特に忘れないのは、小学一年のときに
「お前らも海外から見れば外人だろ?」
と言ったら、
「は?俺たちは日本人だぞ」
と返され、
“この人たちは世界の構造をまったく理解していない”
と強烈に感じた瞬間です。
■ 親の離婚と突然の渡米──言葉も文化もゼロの地へ
そんな環境が続く中、ある日突然校長室に呼ばれました。
そこには父親がいて、いきなり転校手続きの話が進み、気づいたときには翌日にアメリカへ。
言葉も文化もまったく通じない土地に放り込まれ、
毎日がサバイバル でした。
しかも住んだ場所はアメリカの中でもかなり田舎で、アジア人差別が強く文化として根付いている地域。
私は “ジャップ” と呼ばれ、白人にも黒人にも差別され、先生もそれを容認していました。
さらに一年後、日本へ戻ると、
そのとき初めて 両親が離婚していたこと を知りました。
■ 2〜3年で重なりすぎた負荷が生んだ「意味の問い」
この短い期間に、私はこう考えるようになります。
自分を守ってくれる存在はいない
自分の存在を肯定してくれる人はいない
生きているだけで否定される
そもそも自分は“人”として扱われていない?
生きる意味とは何か
死んだほうがいいのでは?
この手の話は、真っ当に愛されて育った人には理解されないと思います。
でも当時の私は、毎日この問いを頭の中で回し続けていました。
そして、たどり着いた結論がこれです。
誰も自分を認めてくれないなら、
自分だけは自分を認め、愛し、大切にして生きよう。
そのために誠実に生きよう。
私はこの結論に到達したからこそ、死なずに済んだと思っています。
これは私の人生における最大の財産です。
■ “構造” に呪われた生き方の始まり
このベースができてから、私は無意識に
物事の意味
背後の構造
そこから最適な行動を導くこと
を 徹底的に観察し続ける OS で生きるようになりました。
ただ、社会に出るまで私はそれをアウトプットしたことがなかったため、
それが“普通”だと思っていました。
しかし社会に出ると気づきます。
「あれ?人って意外と何も考えてなくね?」
「めちゃくちゃ感情で生きてない?」
自分の OS と世間の OS の違いに、
私は大きなギャップを感じました。
その違和感を、今の私は
“意味と構造に呪われた生き方”
と呼んでいます。