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合理主義者と言われがちな僕が、銀魂で泣く理由

    僕は、友人や周りの人から「合理主義者」と言われることが多い。

    たしかに、外から見るとそう見えるのだと思う。

    人から相談された時、僕はまず感情に寄り添うより、問題点や解決策を返しがちだ。

    「それはつらかったね」と言う前に、
    「なぜそうなったのか」
    「どこに問題があるのか」
    「次に何を変えればいいのか」
    を考えてしまう。

    だから、冷たい人間に見えることがあるのかもしれない。

    正論マンと言われることもあるし、感情より理屈を優先する人間に見られることもある。

    でも、自分の中では少し違う。

    僕は、感情を軽視しているわけではない。
    人を切り捨てたいわけでもない。
    苦しんでいる人に「それはお前の問題だ」と突き放したいわけでもない。

    むしろ、僕なりにはかなり真剣に向き合っている。

    ただ、僕にとっての優しさの形が、一般的な共感の形と少し違うのだと思う。

    僕は、人をただ慰めることだけが優しさだとは思っていない。

    その人が、自分の問題に自分でケリをつけられるようになること。
    自分の人生の主導権を、自分の中に戻せるようになること。
    そのためのヒントを渡すこと。

    それも、優しさの一つだと思っている。

    だから僕は、相談に対して構造を返してしまう。

    これはどこで詰まっているのか。
    何が問題の中心なのか。
    相手の責任と環境要因はどこで分かれるのか。
    感情としては何が傷ついているのか。
    次に変えられる行動は何か。

    そういうことを考えてしまう。

    相手からすると、問題を瞬間的に切っているように見えるかもしれない。

    でも実際には、僕は普段からかなり長い時間、頭の中で似たような問題を考え続けている。

    外部から受けた刺激。
    人の言動。
    仕事での違和感。
    自分の心の声。
    自分の頭の声。
    怒り。
    不安。
    納得できなさ。

    そういうものに対して、ほとんど習慣的に意味づけをしている。

    これはどういう構造なのか。
    なぜ自分はそう感じたのか。
    どの前提が傷ついたのか。
    どこに責任があるのか。
    これは再現するのか。
    どうすれば次は違う結果になるのか。

    そうやって仮説を立てて、現実に当てはめて、検証して、自分の中の構造を更新していく。

    だから、人と会話している時も、相手の話を聞きながら、自分の中にある構造の座標系に当てはめている。

    この人は今、どこで詰まっているのか。
    これは感情の問題なのか。
    構造の問題なのか。
    責任範囲の誤認なのか。
    人間関係の設計ミスなのか。
    言語化されていない不安なのか。

    そういうことを、かなり自然に考えている。

    だから、多くの相談に対して即答できる。

    それは、僕がその場で適当に答えを出しているからではない。

    ほとんどの場合、それは過去の自分がすでに何度も検証して、更新してきた問題だからだ。

    だから外から見ると、合理主義者に見えるのだと思う。

    でも、そんな僕が銀魂で泣く。

    普通に泣く。

    ここが、自分でも面白い。

    もし僕が本当にただの合理主義者なら、たぶん銀魂であんなに泣かない。

    僕が銀魂で泣く理由は、僕が本当の意味では合理主義者ではないからだと思う。

    外から見れば、僕は合理で答えを出しているように見えるかもしれない。

    でも実際は、合理だけで答えを出しているわけではない。

    心の声も入れる。
    相手の感情も入れる。
    自分の倫理観も入れる。
    義理も入れる。
    情も入れる。
    責任も入れる。
    自分が自分と交わした約束も入れる。

    そのうえで、どうすれば人生を少しでも幸せに生きられるのかを考えている。

    つまり、僕にとって合理性は目的ではない。

    合理性は、もっと奥にあるものを守るための道具なのだと思う。

    自分を裏切りたくない。
    人を裏切りたくない。
    大事なものを雑に扱いたくない。
    自分が正しいと思った筋を、できるだけ通したい。
    自分が受けた恩や、誰かからもらった優しさを、なかったことにしたくない。

    そういうものを守るために、僕は頭を使っている。

    年を取るにつれて、自分の周りの人間が、僕には理解しにくい行動を取る場面をたくさん見てきた。

    人にされて嫌なことを、人にする。
    自分の責任を、自分の中に戻さない。
    その場の感情を消費するために、人の時間や気持ちを軽く扱う。
    失敗すれば環境や他人のせいにして、うまくいけば自分の手柄にする。

    そういうものを見るたびに、僕の中では強いアレルギー反応が起きる。

    最近は少し慣れてしまった。
    でも、慣れたからといって、納得したわけではない。

    僕の中にあるルールの多くは、たぶん幼少期からあまり変わっていない。

    人にされて嫌なことは、人にしない。
    自分が受けたものは、なかったことにしない。
    自分の失敗は、できるだけ自分の改善に戻す。
    大事な人を雑に扱わない。
    自分が信じたものを、簡単に裏切らない。

    言葉にするとかなり単純だ。

    でも、社会の中でこれを通そうとすると、想像以上に難しい。

    だから僕のような人間は、たぶん苦しむ。

    そして、そんな僕が銀魂を見ると涙が出る。

    理由はかなり単純だ。

    普段は適当に生きているような人たちが、いざという時に、他者のために、筋のために、義理のために、自分の人生や命を懸けて本気で戦うからだ。

    普段はふざけている。
    くだらないことをしている。
    情けないところもある。
    だらしないところもある。

    でも、大事な場面で逃げない。

    相手が誰であっても、泥臭く立つ。
    得かどうかではなく、守りたいから守る。
    勝てるかどうかではなく、筋を通したいから立つ。
    正しいかどうかだけではなく、それでも放っておけないから動く。

    これほど美しくて、かっこいいことはないと思う。

    僕はたぶん、そこに憧れている。

    そして、少なくとも自分もそう生きたいと思ってきた。

    だから涙が出る。

    悲しいから泣いているというより、
    「こういう人間でありたい」
    というものを、目の前に突きつけられるから泣く。

    内省を頻繁にする人は分かるかもしれないが、考え続けると、最終的に「人生には意味がない」という結論にたどり着くことがある。

    しかも、全く別の論点から掘っていっても、結局そこに戻ってくることがある。

    人生に絶対的な意味はない。
    世界は自分のためにできているわけではない。
    努力が必ず報われるわけでもない。
    善意が必ず届くわけでもない。
    正しい人が必ず勝つわけでもない。

    そう考えると、何もかもかなり空虚に見えることがある。

    でも、だからこそ思う。

    人生に最初から意味がないのなら、自分の倫理観で美しく燃えていきたい。

    世界に最初から意味がないなら、自分の人生に色をつけてくれている人たちに、義理と人情を通していきたい。

    意味がないから適当に生きるのではなく、
    意味がないからこそ、自分で選んだものを大事にしたい。

    たぶん僕は、そういうふうに考えている。

    外から見れば、僕は色々難しいことを考えている頑固な合理主義者に見えるかもしれない。

    でも、本質はもっとシンプルだ。

    人を裏切りたくない。
    自分を裏切りたくない。
    幸せになりたい。
    大事な人を大事にしたい。
    自分のためにも、誰かのためにも生きたい。

    ただ、それだけだ。

    でも、そんな子どもみたいな考えをそのまま通すには、社会にはノイズが多すぎる。

    だから僕は必死に頭を使っている。

    感情を消すためではない。
    合理性に逃げるためでもない。
    自分のわがままな倫理観を、現実の中でどうにか通すために頭を使っている。

    だから、銀魂みたいな物語に涙する。

    泥臭くて、バカみたいで、ふざけていて、でも最後の最後で義理と人情と筋を通す。

    自分が信じるもののために、誰かのために、自分を投げ出せる。

    そういう人間の姿を見ると、心が勝手に反応する。

    僕は合理主義者ではないのだと思う。

    合理的に見えるくらい、必死に自分の情を守ろうとしているだけだ。

    だから銀魂で泣く。

    頭ではなく、心が先に反応する。

    たぶんそこに、僕がなりたい人間の姿がある。

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    気になったことを考えたり、調べたり、作ってみたりするのが好きです。 なんでもない出来事に引っかかって、余計なことまで考えがち。 ここには、そのとき思ったことを好き勝手に書いています。 たまに毒もはきやす。

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