
悪に優しきこの国で −裁かれぬ悪と、救われる悪−【第26話】ゲーム
まだ夜が明ける前、凛の祖父・茂三郎は救急車で病院に運ばれた。
「先生、お義父さんは大丈夫でしょうか?」
「処置が遅れているので、足の腫れが心配です。緊急手術になると思います。こちらの書類にサインをお願いします」
「そんな……」
凛の母親は、震える手で書類を受け取った。
「凛の……弁護士費用が盗られて、お義父さんまで……」
それ以上、言葉が続かなかった。
数時間後。
茂三郎の手術は無事に終わった。
医師からは、幸いにも大きな後遺症が残る可能性は低いと説明された。
「しばらく痛みが残りますので、強めの痛み止めを処方します。持病もあるようですし、あまり我慢なさらないよう伝えてください」
「ありがとうございます」
凛の母親は、深々と頭を下げた。
一方、父親は警察とともに自宅へ戻り、実況見分に立ち会っていた。

「鑑識作業中は、ご自宅には入れなくなります」
警察官が説明する。
「作業は今日中に終わる予定ですが、念のため、今夜の宿泊先を確保しておいてください」
「分かりました」
鑑識作業は、夜まで続いた。
荒らされた家。
壊された玄関。
散乱した家具。
そして、奪われた現金。
家族が長年暮らしてきた場所は、わずか数時間で見る影もなくなっていた。
翌日。
凛の父親は、娘の弁護を依頼した新城弁護士のもとへ向かった。
「先生、凛の弁護の件ですが……」
父親は、昨夜の出来事を説明した。
「自宅が襲われてしまいまして……」
「襲われた?」
新城弁護士の表情が変わった。
「はい。それで、弁護士費用なんですが……しばらく待っていただけないでしょうか?」
「……まだ相談段階で、手付金の状態です。そんなに慌てなくても大丈夫ですよ」
新城は落ち着いた口調で答えた。
「ただ、このまま私が弁護するのか、国選弁護人に依頼するのか、悩まれると思います。弁護士の変更はいつでも可能ですから、遠慮なく申し出て下さい」
「分かりました。ありがとうございます」
父親は深く頭を下げた。
「あと、お嬢様の逮捕から三日が過ぎました」
新城が続ける。
「裁判所の勾留手続きが終わっていれば、留置場での面会が可能だと思いますよ。警察署に連絡してみてはいかがですか?」
「そうですか」
父親は少し考えた。
「妻と相談してみます」
二日後の朝、平日9時。
原宿警察署の前に、凛の両親が立っていた。
新宿警察署で取り調べなどの手続きが行われた後、凛の身柄は女性用留置施設のある原宿警察署へ移送されていた。
「新城先生に、いろいろ教えてもらった」
父親が、妻に話しかける。
「留置場とはいえ、金は必要らしい。着替えもな」
「何て言えばいいのかしらね……」
母親の声が震える。
「ああ」
父親も、うつむいた。
「ただ、理由もなく殺意なんて湧かない。何かがあったんだ。面会時間は短い。あれもこれもは無理だろう」
そして。
留置場。

「牧港凛、面会だ」
その声を聞き、凛は面会室へ向かった。
扉が開く。
そこにいたのは、両親だった。
「お母さん……お父さん……」
凛の顔が、わずかに歪んだ。
「元気か?」
父親が声をかける。
「差し入れも持ってきた。あとで渡されるはずだ」
「ありがとう……」
凛は俯いた。
「それから、ごめんなさい」
「何か、深い訳があったんだろう」
父親は、静かに答えた。
「聞いてやれなかった私たちの方も悪かったよ」
母親も、娘を見つめる。
「凛……弁護士も頼んだからね」
「うん」
短い返事だった。
父親は、少し迷い、そして、口を開く。
「あとな……」
「うん?」
「おじいちゃんが、入院した」
凛の表情が変わった。
「え?」
「一昨日、家に強盗が入ったんだ。トクリュウらしい」
「そんな……」
凛の顔から血の気が引いた。
「おじいちゃんは大丈夫なの?」
「ああ。しばらく入院だけど、大丈夫だ」
「よかった……」
凛は胸を撫で下ろした。
しかし、その目には涙が浮かんでいた。
「時間です」
女性警官が面会終了を告げた。
「お母さん……」
「大丈夫よ」
「お父さん……」
「ああ。心配するな」
凛は何度も振り返りながら、面会室を出ていった。
警察では、牧港凛の実家への強盗事件は、捜査が難航していた。
田舎であることに加え、防犯カメラによる映像のリレー捜査も難しい。
深夜の犯行だったこともあり、目撃情報は皆無に等しかった。
犯人たちは、ほとんど痕跡を残していなかった。
警察は、いわゆるトクリュウによる犯行とみて捜査を続けた。
しかし。
その背後にいる新冠宏斗が、なぜ牧港家を狙わせたのか。
それを知る者は、誰もいなかった。
宏斗にとって、今回の強盗は特別な意味などなかった。
テレビで見つけた家。
金がありそうな家。
そして、世間から叩かれている家。
あれだけ間取りや人物が映し出されていれば、下見など必要なかった。
ただ、それだけだった。
彼にとって、今回の犯罪はゲームだった。
そして、世間はまたしても、牧港家を自分たちの都合のいい物語の中へ押し込めていく。
「テレビに出ていた家だろ? 確か、娘が殺人未遂で捕まった」
「天罰が当たったんだよ」
「おじいさんがテレビであんなこと言うから」
人々は、また誰かを裁く。
その裏で。
本当に傷ついている人間の声だけが、置き去りにされていった。

本作品はフィクションです。登場人物・団体名等はすべて架空のものです。 著作権は著者に帰属します。無断転載・複製を禁じます。
#スキしてみて
#私の作品紹介
#犯罪者の権利
#法律の矛盾
#真実の人権とは何か
#不条理
#短編小説
#ピカレスク短編