
生成AIソフトで作られた文章・画像・音楽への著作権は、原則、認められるべきである。
1から10まで正論で、過不足ないと思います。
ただ、最大の弱点は、
「実際に使ってみた人にとっては当然のことなんだけど、使ったことない人は、先入観が抜けずに、誤解したままだろうなあ」
というコンテンツになっていることですね(苦笑)
私は文章書く時にはdeepLに頼って翻訳の下訳はします。
でも今やどんな最新専門論文でもほとんど修正必要なしのクオリティでいきなり出力されてくるのにはあきれるしかないです。
普段文章を書く時には、生成AIは全く使いません。
むしろ自分の書いたものを生成AIに要約させると、非常にツボを得たものが出力されてくるのを楽しんでいます。
まあ、それだけ私の文章構成力と思考プロセスが、ChatGTP先生にもほめていただけるもの「らしい」です。
これでも現代国語中学時代から学年一位、共通一次試験国語200点満点200点。
「文章読解」なんて意識的に学んだことないわけで、これは天性のものみたいです。
あえて言えは、幼稚園時代から、「ブリタニカ大百科事典」全20巻のあいうえお順百科事典を繰り返し繰り返しア行から通してよんでいた結果としての、非常に「明晰判明(klar und deutlich カント)」な文章理解力、構成力なのだと思います。

つたないながら、生成AI画像ソフトはNoteのタイトルや同人誌の挿絵向けに使います(具体的には、Fotor,Artlist,DeeVidAIの三種)。
それを使って気づくのは、
テキスト入力の微調整で、出力されてくる画像はどんどん微妙に変化し、「私の」描きたい画像にどんどん近づく、ということ。
生成されていく画像は、指定しさえすれば、一回で「複数の」候補を一気に提示してくれる。
そして、気に入れなけれは、テクスト入力を修正して画像再生成できる、ということ。
・・・ということは、最終的にできあがる画像は「私がマニュアルで描けるものなら描きたかった画像」そのものに限りなく肉薄していく。
つまり、
私はデジタル化された絵具と筆を手にして、生成AIソフトという「アシスタント」に提案を受けながら「自分の絵」を描いているに過ぎない!!!
もちろん、構図やキャラクターデザイン、色使いは、クラウド上の膨大な蓄積データに基づく、「再大公約数的」「積分的」なAI生成プログラミングのプロセスの産物です。
そして、生成ソフトを作ったデザイナー集団の「個性」も反映していると思います。
それでも、例えばコラージュという技法が、すべて部品は既製品であるにもかかわらず、著作権のある芸術作品であるのと同じようにして、「生成AI画像に著作権がある」という法解釈が最終的に成立するのは時間の問題だと思います。


(・・・・・私がここまでいきなり断言してくるって、読者の皆様、期待もしていなかったですよね?)
あとは、生成AIというものが現れる以前の時代から存在した、「剽窃か」「パクリか」についての法廷闘争を、同じ法解釈原理でしていくだけかと思います。
訴訟の結果は、当然ケース・バイ・ケースの判決となるだろう、というだけのことです。
・・・どうです?パーペキに、皆様から期待されていた水準の「斜め上」の、しかし非常に明快で、あっさりとした見解でしょ(笑)