
雷神、主を諫む|第6章 婿入り
断章
人の子をもらうというのは、盗みに似ておる。
その子が生まれた夜の喜びも、初めて立った日の驚きも、わしは知らぬ。知らぬまま、いちばん良いところだけを、もらい受ける。
だから、頭を下げる。
一度で足りねば、二度。二度で足りねば、三度。
雷神と呼ばれた男が、若い友の前で、三度、頭を下げた。
笑いたい者は、笑えばよい。
一
天正九年、文月。
太宰府の観世音寺の近くで、大きな戦があった。
龍造寺、秋月、筑紫、原田。筑前と肥前の敵が、手を組んで押し寄せてきた。
道雪と紹運は、ともに兵を出した。
乱戦になった。
輿の上から、道雪は、戦場の一角に、目を留めた。
若い武者が一人、敵の真ん中へ、斬り込んでいた。
まだ前髪が残っているような年頃だった。背は高く、手足が長い。槍を振るう姿に、迷いがなかった。敵が三人、四人と、その若者の前で崩れていく。
「あれは、誰じゃ」
道雪は、そばの者に尋ねた。
「紹運様の、ご嫡男にございます。統虎様と」
道雪は、目を細めた。
若者の背中を、じっと見ていた。
迷いのない槍だった。
ああいう若者が、これから何人、死んでいくのか。
それとも、ああいう若者が、この傾いた家を、支えていくのか。
道雪には、分からなかった。
ただ、あの背中を、もう一度見たい、と思った。
*
天正九年、秋のはじめ。
立花山の城の花壇に、朝顔が咲いていた。
朝のうちだけ咲く花である。藍の色をした花びらが、夜露をふくんで、薄い紙のように透けていた。昼になれば、しぼんでしまう。それを知っているから、道雪は、毎朝、この時刻に花壇へ出てくるのだった。
道雪は、床几に腰を下ろして、それを見ていた。膝の上では、ぶちの猫が眠っている。
薦野増時が、静かに近づいてきた。
「殿。少し、よろしゅうございますか」
「花の話か」
「いえ。お家の話にございます」
増時は、道雪の隣に膝をついた。
「誾千代様も、十三におなりです。そろそろ、婿殿をお考えになる頃かと」
道雪は、朝顔から目を離さなかった。
「殿。観世音寺口の戦で、殿は、ある若武者を、じっと見ておられました」
道雪は、答えなかった。
「紹運様の、ご嫡男。統虎様にございます」
「……見ておったのか」
「殿が、あれほど長く一人の武者を見ておられるのは、初めてでございましたゆえ」
道雪は、猫の背を撫でた。
「あの若者は、紹運の跡取りじゃ。高橋の家を継ぐ者じゃ。もらえるわけがない」
そう言いながら、道雪は、何年も前のある日のことを思い出していた。
紹運が、まだ幼い統虎を連れて、立花山の城に挨拶に来た日のことだ。
その日、たまたま、罪を犯した者の処断があった。道雪は、わざと統虎の目の前で、家臣にそれを命じた。
事が終わったあと、道雪は、そっと統虎の胸元に手を差し入れてみた。子どもの心の臓が、どれほど早鐘を打っているか、確かめたかったのだ。
統虎の胸は、静かだった。
統虎は、不思議そうに道雪の顔を見上げて、言った。
「何か、ございましたか」
道雪は、手を引っ込めた。
肝が据わっている、という言葉では足りなかった。この子は、恐れを知らないのではない。恐れを、胸の奥で、押さえ込むことを知っている。
この子が欲しい。
あのとき、道雪は、生まれて初めて、人の子を欲しいと思ったのだった。
観世音寺口で、あの若者の槍を見たとき、その思いが、また胸の底から浮かび上がってきたのだ。
「お頼みになれば、よろしいかと」
「断られる」
「断られたら、またお頼みになれば、よろしいかと」
増時は、さらりと言った。
道雪は、声を上げて笑った。
二
岩屋の城へ上る坂道は、色づきはじめた木々に覆われていた。輿の簾の隙間から、ときおり、太宰府の平野が見下ろせた。刈り入れの済んだ田が、黄金色の名残をとどめて、どこまでも広がっている。その向こうに、遠く宝満の山が、青くかすんでいた。
岩屋の城の奥の間で、紹運は、黙って道雪の話を聞いていた。
聞き終えると、紹運は、静かに首を横に振った。
「道雪殿。それだけは、お受けできませぬ」
「分かっておる」
「統虎は、高橋の嫡男です。わたしの跡を継ぐ者です。宗麟様の命で継いだこの家を、わたしの代で絶やすわけには参りませぬ」
「分かっておる」
道雪は、頭を下げた。
「分かったうえで、頼んでおる」
紹運は、困った顔をした。
年上の、しかも筑前の宿将に頭を下げられて、どう返せばよいのか分からない、という顔だった。
「道雪殿、お顔を上げてください」
「上げぬ」
「……今日のところは、お帰りください」
道雪は、帰った。
十日後、また岩屋の城へ行った。
紹運は、また断った。
道雪は、また頭を下げた。
二度目の帰り道、輿の脇を歩く六助が、言った。
「殿。紹運様、困っちょりましたね」
「困らせに行っておるのじゃ」
「やけど、殿があんなに頭を下げなさるの、わし、初めて見ました」
道雪は、簾の内で、黙っていた。
しばらくして、ぽつりと言った。
「六助。わしは、あと何年、生きると思う」
六助は、足を止めかけた。
「そげなこと」
「わしは、六十九じゃ。あと五年か、十年か。どちらにしても、そう長くはない」
道雪の声は、低かった。
「わしが死んだら、この城は誰が守る。誾千代は強い子じゃ。じゃが、一人では守れぬ。あの子の隣に、あの若者がおれば。そう思うたら、頭など、いくらでも下げられる」
六助は、何も言えなかった。
輿は、夕暮れの山道を、ゆっくりと下っていった。
※〜ちょりました=〜ていました
三度目に岩屋の城を訪れた日、紹運は、門の前で待っていた。
「道雪殿。三度目でございますな」
「三度目じゃ」
紹運は、ため息をついた。それから、少し笑った。
「中へ。統虎も、呼んでおります」
三
統虎は、十五になったばかりだった。
紹運は、息子を前に座らせた。
「統虎。今日から、そなたは、道雪殿の子になる」
統虎は、父の顔を見た。それから、道雪の顔を見た。
驚いた様子は、なかった。ここ数日の大人たちの様子で、察していたのだろう。
「……承知いたしました」
統虎は、静かに頭を下げた。
紹運は、脇に置いていた刀を取り上げた。
「これを、持っていけ」
統虎は、両手で受け取った。
「よいか、統虎」
紹運の声が、低くなった。
「今日からは、道雪殿を、まことの父と思え。わしのことは、忘れよ」
「父上」
「もし、いつの日か、高橋と立花が敵となることがあれば」
紹運は、息子の目を、まっすぐに見た。
「そなたは、道雪殿の先手となって、その刀で、わしを討て」
統虎の手が、刀の上で、震えた。
部屋の中が、しんとした。
道雪は、黙って父と子を見ていた。
自分には、これほどの言葉は、言えないだろう、と思った。
統虎は、しばらく刀を見つめていた。
それから、顔を上げた。
「父上。そのような日は、参りませぬ」
「来ぬとは限らぬ。乱世じゃ」
「参りませぬ」
統虎は、きっぱりと言った。
「わたしが、来させませぬ」
紹運は、目を見開いた。
それから、ゆっくりと笑った。
「……道雪殿。この子を、頼みます」
道雪は、深く頭を下げた。
四度目だった。
帰りぎわ、門まで見送りに出た紹運が、輿のそばで、ぽつりと言った。
「高橋の家の跡を継ぐ者を、今日、手放しました」
責める声ではなかった。ただ、事実を言っただけの声だった。
「わしが死んだとき、この城の兵は、誰の顔を見て戦えばよいのでしょうな」
紹運は笑っていた。道雪は、何も答えられなかった。
立花の城を守るために、わしは、この男の城から、何を奪ったのか。
帰りの山道で、道雪は一度も簾を上げなかった。

四
秋、統虎は立花山の城に入った。
大広間で、誾千代が待っていた。
上座に、座っていた。
統虎が、広間の入り口で、足を止めた。
誾千代は、十三。統虎は、十五。二人とも、まだ幼さの残る顔で、互いを見ていた。
「立花の城へ、ようこそおいでくださいました」
誾千代が言った。
声に、少しも震えがなかった。
「この城の主は、わたしです。お米の数も、塩の数も、わたしが知っております」
統虎は、一瞬、言葉に詰まった。
家臣たちのあいだに、ひやりとしたものが走った。
道雪は、脇の席で、黙っていた。
口の端が、わずかに動いていた。
統虎は、やがて、膝をついた。
「承知いたしました。お米の数は、存じませぬ。されど、この城を攻める敵の数なら、これから、わたしが数えます」
誾千代の眉が、ぴくりと動いた。
「……数えるだけですか」
「数えて、追い返します」
二人は、しばらく、にらみ合うように見つめ合っていた。
増時が、そっと道雪の耳元でささやいた。
「殿。先が、思いやられますな」
「思いやられるくらいで、ちょうどよい」
道雪は、小声で返した。
「喧嘩のできぬ夫婦は、城を守れぬ」
*
婿入りのあと、道雪は、また六助を臼杵へ遣わした。
ひと月ほどして戻ってきた六助は、小さな包みを、大事そうに抱えていた。
帰りの道中、六助は、その包みを、一度も下に置かなかった。運んでいるのが、品だけではない気がしたからだ。
「お屋形様から、じかにお預かりしました」
包みを開けると、びいどろの瓶が一つ、入っていた。南蛮の品だった。中に、色とりどりの小さな粒が詰まっている。南蛮の菓子だという。
「誾千代様と婿殿で、分けて食べよ、と」
六助は、少しためらってから、続けた。
「それから、お屋形様は、瓶を、こう、光にかざしなさって」
六助は、両手で、瓶をかざす手つきをしてみせた。
「これは、あの夏の瓶じゃ。道雪は、覚えておるかのう。覚えておらぬなら、それでよい、と」
道雪は、その瓶を、しばらく手の中で転がしていた。
見覚えがあった。三年前の夏、臼杵の広間で、お屋形様が光にかざしていた瓶だった。
耳川の前の、あの夏の。
「……覚えておられたか」
道雪は、誰にも聞こえない声で言った。
「殿?」
「何でもない」
道雪は、瓶を、六助に返した。
「誾千代に、渡してやれ」
六助が瓶を持っていくと、誾千代は、それを持って、統虎のところへ行った。二人で何か言い合いながら、菓子を分けていた。
また、喧嘩をしているようだった。
*
二人の喧嘩の声を遠くに聞きながら、道雪は思った。
この城は、わしのものではない。
預かりものじゃ。
お屋形様から預かり、誾千代に渡し、いずれは、あの二人が、誰かに渡していく。
そうやって、つないでいくものなのだ。
その預かりものを、誰に、どう託すのか。道雪がそれを筆にするのは、四年のち、筑後の陣中でのことになる。
史実メモ
一五八一年(天正九年)七月、太宰府の観世音寺付近で、道雪と紹運、そして紹運の子・統虎(のちの立花宗茂)が、龍造寺・秋月・筑紫・原田の軍と戦いました。この戦いで道雪の家臣・竹迫統種が戦死し、道雪はその子に知行を預ける書状を出しています。
一五八一年(天正九年)、道雪は高橋紹運の嫡男・統虎(のちの立花宗茂)を、娘・誾千代の婿養子に迎えました。誾千代は十三歳、統虎は十五歳でした。
統虎を婿に迎えるにあたって、重臣の薦野増時が推薦したとされます。
紹運は、跡取りである統虎を手放すことを渋り、道雪が何度も頼み込んで承知させたと伝わります。
統虎が立花家へ入るとき、紹運が刀を与え、「もし高橋と立花が争うことになれば、道雪殿の先陣となって、この刀でわしを討て」と言ったという話が伝わっています。
誾千代と宗茂は、のちに不仲になったとも伝わります。
宗麟から届いた南蛮の菓子の瓶、二人の対面の会話、六助との会話は創作です。
道雪が、幼い統虎の目の前で罪人を処断させ、そのあと統虎の胸に手を入れてみたところ、少しも動悸が乱れていなかったので、豪傑の資質があると見込んだ、という話が『名将言行録』に伝わっています。
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