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雷神、主を諫む|第12章 帰る棺

    断章

    道に落ちた雪は、消えるまで、その場所を動かぬ。

    わしが「道雪」と名乗ったのは、そういう者でありたいと思うたからじゃ。武士は、一度主を得たならば、死ぬまで節を曲げず、尽くし抜く。

    わしは、雪じゃ。

    道の上で、溶けて消えるまで、ここを動かぬ。

    そう決めて、生きた。

    だが、雪も、いつかは溶ける。

    溶けた雪は、土にしみて、春に何かを咲かせるであろうか。

    一

    道雪どうせつが死んだ夜、高良山こうらさんの陣屋に、主だった者たちが集まった。

    紹運じょううん。由布惟信ゆふこれのぶ。小野鎮幸おのしげゆき。そして、六助ろくすけが、末席に控えていた。

    「殿は、甲冑かっちゅうを着せて、この地に埋めよと言い残された」

    紹運が言った。

    誰も、すぐには答えなかった。

    やがて、惟信が、口を開いた。

    「お断り申す」

    低い、だが、揺るがない声だった。

    「殿を、敵の地に置いて帰ることは、できませぬ。殿は、立花の城へ、お帰りいただく」

    「わたしも、同じ思いです」

    鎮幸が言った。

    「殿は、ご自分が死んだあとまで、筑後を見張れと仰せになった。殿らしいお言葉です。されど、それは、わたしらが、殿の代わりに見張ればよいこと。殿は、もう、休まれてよいのです」

    紹運は、しばらく黙っていた。

    それから、六助を見た。

    「六助。そなたは、どう思う」

    六助は、驚いて顔を上げた。こういう席で、自分に問いが向けられるとは、思っていなかった。

    六助は、しばらく考えた。

    「……殿は、いつも、言いなさっちょりました。死ねとは言わん、生きて担げ、と」

    ※〜ちょりました=〜ていました

    「うむ」

    「やけ、わしらは、担ぎます。殿を、立花の城まで。最後まで」

    陣屋の中が、静まり返った。

    紹運は、深く息を吐いた。

    「……甲冑は、ここに埋めよう。殿の言いつけどおり、柳川のほうへ向けて。それで、殿の志は、この地に残る」

    紹運は、皆を見回した。

    「お体は、立花の城へお連れする。それで、よいか」

    誰も、異を唱えなかった。

    二

    翌朝、高良山の麓に、道雪の甲冑と刀が埋められた。

    西を向いて、柳川の城のほうへ。

    その上に、若い松が一本、植えられた。

    それから、道雪の棺ひつぎを輿こしに乗せて、一行は、筑後を発った。

    担ぐのは、定衆じょうしゅうの若者たちだった。いつもの手輿ではなく、棺を載せるための輿だった。先頭で、六助が棒を担いでいた。

    誰も、声を出さなかった。

    「えい、とう」の声は、なかった。手棒で縁を叩く者も、いなかった。

    筑後の平野を、黙って北へ進んだ。

    その道は、敵の地を通っていた。秋月の兵が、龍造寺の兵が、どこに潜んでいるか分からない。道雪という大将を失った軍は、敵にとって、またとない獲物のはずだった。

    一行は、刀に手をかけたまま、歩いた。

    昼過ぎ、丘の上に、旗が見えた。

    秋月の旗だった。

    一行の足が、止まった。

    惟信が、刀の鯉口こいぐちを切った。鎮幸が、兵に目配せした。

    丘の上の兵たちは、動かなかった。

    こちらを、じっと見下ろしていた。

    やがて、丘の上の兵たちが、一人、また一人と、兜かぶとを脱いだ。

    旗が、ゆっくりと下ろされた。

    六助は、目を疑った。

    丘の上の兵たちは、兜を胸に抱いたまま、頭を垂れていた。

    輿の上の棺に向かって。

    長い沈黙があった。

    惟信が、刀を、静かに鞘に戻した。

    「……進め」

    一行は、また歩きはじめた。

    丘の下を通り過ぎるとき、六助は、横目で丘の上を見た。

    秋月の兵の中に、泣いている者がいた。

    何度も戦った相手だった。何度も、こちらの兵を殺し、こちらに殺された相手だった。

    その敵が、殿のために、頭を下げている。

    六助は、前を向いた。

    肩の棒が、急に、重く感じられた。

    「殿」

    誰にも聞こえない声で、六助は言った。

    「殿は、敵にまで、好かれちょったんですね」

    その日、道雪の棺に、手を出す者は、一人もいなかった。

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    三

    立花山たちばなやまの城の門前に、誾千代ぎんちよと統虎むねとらが立っていた。

    誾千代は、十七。統虎は、十九。

    棺を載せた輿が、坂を上ってくるのが見えた。

    誾千代は、動かなかった。泣かなかった。

    輿が、門の前で下ろされた。

    誾千代は、ゆっくりと歩み寄り、棺の前に膝をついた。

    棺の蓋に、手を置いた。

    長いあいだ、そうしていた。

    それから、立ち上がり、家臣たちのほうへ振り返った。

    「父上は、お帰りになりました」

    声は、震えていなかった。

    「皆、ご苦労でした。父上を、ここまでお連れくださって」

    家臣たちが、頭を下げた。

    「増時ますとき」

    誾千代が言った。

    薦野増時こものますときが、前に出た。

    「城の米は、あと何俵ありますか。塩は。水は」

    増時は、一瞬、目を見開いた。

    それから、静かに答えた。

    「米は、千二百俵。塩は、八十斗。水は、井戸が三つとも、涸れておりませぬ」

    「分かりました」

    誾千代は、頷いた。

    「父上の喪が明けるまでに、米を、もう二百俵、集めてください。島津が来ます」

    家臣たちのあいだに、どよめきが走った。

    統虎が、誾千代の隣に立った。

    「島津が来たら、わたしが追い返します」

    「数えて、追い返すのですね」

    誾千代が、統虎を見ずに言った。

    「数えて、追い返す」

    統虎が、誾千代を見ずに答えた。

    六助は、二人の後ろ姿を見ていた。

    殿が、喧嘩のできぬ夫婦は城を守れぬ、と言っていたのを、思い出した。

          *

    その夜、棺が安置された広間に、誾千代が一人で座っていた。

    灯りは、棺の枕元に、一つだけ。

    昼間、家臣たちの前では、一度も泣かなかった。米と塩と水の数を尋ね、島津が来ると言った。城主として、言うべきことを言った。

    今、広間には、誰もいない。

    誾千代は、棺の蓋に、そっと額をつけた。

    「父上」

    声が、かすれた。

    「わたしは、お米の数を、ちゃんと数えました」

    七つの年に、この人の前で、そう言った。この人は、目を細めて、それでよい、と言った。

    「喧嘩も、しております。毎日」

    誾千代は、少し笑った。

    笑ったとたん、涙があふれた。

    一度あふれると、もう止まらなかった。誾千代は、棺にすがって、声を上げて泣いた。十七の娘の泣き声だった。城主の泣き声ではなかった。

    広間の戸の外に、統虎が立っていた。

    中には、入らなかった。

    戸に背をもたせかけて、腕を組み、ただ、そこに立っていた。泣き声が聞こえなくなるまで、一晩じゅう。

    夜明け前、泣き疲れた誾千代が戸を開けると、統虎が、廊下に座り込んで眠っていた。

    誾千代は、しばらくその寝顔を見下ろしていた。

    それから、自分の羽織を脱いで、統虎の肩に、そっとかけた。

    統虎は、目を覚まさなかった。

    いや、目を覚まさないふりをしていたのかもしれない。

    喧嘩のできぬ夫婦は、城を守れぬ。

    だが、喧嘩をする夫婦が、たまにこういう夜を過ごすことも、父は知っていたのだろうか。

    四

    その夜、六助は、城の東の隅の、花壇かだんの前に立っていた。

    春に増時が、殿の文のとおりに、五か所に種を蒔いた花壇だった。

    秋の花が、咲いていた。

    白い、小さな花だった。暗がりの中で、ぼんやりと光って見えた。

    六助は、懐に手を入れた。

    油紙の包みが、そこにあった。

    お屋形やかた様は、殿のことを、まだご存じないかもしれない。どうしておられるだろう。

    今すぐ、これを持って、臼杵へ走りたかった。

    だが、殿は、言った。すぐに渡してはならぬ、と。いちばん苦しいときに、と。

    六助は、包みを上からそっと押さえた。

    「……待っちょきます」

    六助は、言った。

    「殿が言いなさった日まで。何年でも」

    花壇の白い花が、夜風に、かすかに揺れた。

          *

    数日のち。

    六助は、臼杵うすきの丹生島にゅうじまの城にいた。

    殿の死を知らせる使いに、自分から名乗り出たのだった。輿担ぎの身で、と眉をひそめる者もいた。増時は、黙って文を持たせてくれた。

    宗麟そうりんは、その知らせを、奥の間で聞いた。

    奥の間の障子には、傾きかけた秋の日が、庭の松の影を、黒く細く映していた。風が吹くたびに、その影が、紙の上でゆるやかに揺れた。部屋の中は、香の匂いと、ひんやりとした畳の匂いに満ちていた。

    長いあいだ、何も言わなかった。

    六助は、平伏したまま、宗麟の言葉を待った。

    やがて、宗麟が口を開いた。

    「……道雪は」

    声が、かすれていた。

    「道雪は、わしに、何か言い残してはおらなんだか」

    六助の手が、懐へ動いた。油紙の包みが、指に触れた。今これを出せば、お屋形様は殿の字を見られる。殿の最後の言葉を聞ける。

    指が、包みの角をつかんだ。

    いちばん苦しいときに渡せ。殿は、そう言った。

    今が、いちばん苦しいときではないのか。

    六助は、宗麟の顔を見た。目は赤い。だが、背は伸びている。府内には若殿がいる。豊後には兵がいる。お屋形様は、まだ一人ではない。

    今渡せば、お屋形様は泣いて、それで終わる。殿は、そのために書いたのだろうか。

    六助は、指を離した。

    「……何も、ございませんでした」

    初めて、お屋形様に嘘をついた。

    宗麟は、目を閉じた。

    「そうか」

    それだけ言った。

    帰りの廊下で、懐の包みが、急に重くなった。

    六助が下がったあと、宗麟は、一人で庭を見ていた。

    秋の日が、傾いていった。

    去年の春の、あの夜を思い出していた。

    お主は、いつも、わしを責める。

    そう言った。

    道雪は、何も言い返さなかった。いつもの一言も言わずに、帰っていった。

    あれが、最後だった。

    最後に交わした言葉が、あれだった。

    日が落ちると、宗麟は筆を取った。

    道雪殿。そこまで書いて、手が止まった。

    宛てる相手は、もういない。わかっている。それでも書いた。

    米のことは、わしが悪かった。義統に任せると言いながら、任せきれなんだ。お主の言うとおりじゃった。

    書きながら、宗麟は気づいた。お主の言うとおり、と書いたのは初めてだった。三十五年、一度も書かなかった。

    墨が乾く前に、文字が滲んだ。

    小姓が、灯りの油を足しに来た。

    「お屋形様。もう、夜も更けまして」

    宗麟は顔を上げた。

    「下がれ」

    宗麟は、灯りを見つめた。

    その夜、丹生島の城の一角に、灯りがともった。

    灯りは、明け方まで、消えなかった。

    もう、早く休めと言う者は、どこにもいなかった。

          *

    神無月かんなづき二十八日。

    府内ふないの若殿、義統よしむねから道雪の妻に宛てて、文が届いた。

    道雪の死を悼み、生前の忠節をたたえ、長年、夫の留守を守り、後ろから支え続けてきた妻の苦労を、ねぎらう文だった。

    道雪の妻は、その文を、仏壇に供えた。

    それから、花壇の白い花を一輪、摘んでその横に置いた。

          *

    天正てんしょう十四年、如月きさらぎ。

    臼杵うすきの丹生島にゅうじまの城に、主だった家臣が集められていた。

    島津が、豊後を狙っている。肥後は、もう島津の旗で埋まっていた。春が来れば、兵が動く。

    家臣たちの意見は、二つに割れた。

    島津と和を結ぶべし、という者がいた。城に籠もって、毛利の援けを待つべし、という者がいた。

    宗麟は、黙って聞いていた。

    五十七。髪は白く、頬は落ちていた。冬のあいだ、何度か床に伏した。

    やがて、宗麟が口を開いた。

    「わしが、大坂へ行く」

    広間が、静まり返った。

    「関白殿に会うて、頭を下げる。九州へ兵を出してくだされ、と」

    一人の家老が、膝を進めた。

    「お屋形様。関白は、足軽の出でございます。大友は、六か国を治めた家。その主が、自ら頭を下げに参るなど」

    「家の名で、兵は食えぬ」

    宗麟の声は、静かだった。

    「頭を下げて家が残るなら、わしの頭など、安いものじゃ」

    家老は、それ以上、言えなかった。

    宗麟は、広間を見回した。

    「それから、臼杵の蔵の米じゃ」

    「は」

    「府内へ回せ。義統の名で、豊後の城々に配らせよ」

    家臣たちが、顔を見合わせた。

    「臼杵から、直に配られたほうが、早うございますが」

    「早いか遅いかではない」

    宗麟は言った。

    「この家の主は、義統じゃ。米を配るのも、義統でなければならぬ」

    誰も、何も言わなかった。

    宗麟は、窓の外の海を見た。

    一年と少し前、府内の米が筑後に届かなかったことを、宗麟は、あとになって聞いた。陣を抜けた者がいたことも、その者たちがどうなったかも。

    宗麟は、それを誰にも話していない。

    「船の支度をいたせ」

    それだけ言って、宗麟は立ち上がった。

    足が、少しふらついた。小姓が、慌てて手を添えた。

    宗麟は、その手を払わなかった。払わずに、ゆっくりと、広間を出ていった。

    史実メモ

    • 道雪の「甲冑を着せてこの地に埋めよ」という遺言に、家臣たちは従わず、遺骸を立花山へ運んだと伝わります。一方で、甲冑や武具を高良山の麓に西向きに埋め、松を植えたという伝承もあります。この章では、二つの伝承を合わせて描きました。

    • 道雪の棺を運ぶ一行に、敵方の兵が手を出さず、名将の死を悼んだという話が伝わっています。

    • 一五八五年(天正十三年)十月二十八日、大友義統が道雪の妻に書状を送り、道雪を悼み、生前の忠節をたたえ、留守を守った妻の苦労をねぎらいました。

    • 道雪の号の由来とされる「道に落ちた雪は消えるまで場所を変えない」という言葉は、伝えられているものをもとにしています。

    • 家臣たちの評定、誾千代と統虎の場面、花壇の花、宗麟が知らせを聞く場面は創作です。

    • 六助が訃報の使者として臼杵へ赴き、書状を渡さずに戻る場面、宗麟が宛先のない文を書く場面は創作です。

    • 一五八六年(天正十四年)、宗麟は自ら大坂へ上り、豊臣秀吉に九州への出兵を願いました(史実)。出発前の評定の場面、臼杵の蔵の米を義統の名で配らせる場面は創作です。

    ――――――

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    大学でAI・画像処理を研究、現在はメーカー勤務のエンジニア。 話題のAIニュースを「働く人はどう立ち回るか」の目線で深掘り(火・木・土)。 水・日はネットの噂や都市伝説の調査記事。 平日朝の日常エッセイでは、理系目線で身の回りの小さな謎を考えています。小説も書きます。

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