
雷神、主を諫む|第4章 生松原
断章
戦には、正と奇がある。
若いころのわしは、奇ばかりを好んだ。
年を取って、ようやく分かった。
奇が効くのは、正が崩れぬからじゃ。
崩れぬ者がおってこそ、ほかの者が走れる。
一
天正七年、葉月。
立花山の城の大広間に、主だった家臣が集められていた。
由布惟信。小野鎮幸。薦野増時。米多比鎮久。
柑子岳の城が、原田の兵に囲まれ、兵糧が尽きかけている。その救援に向かう前の、評定だった。
道雪は、惟信と鎮幸を、自分の前に呼んだ。
「二人に、言うておくことがある」
道雪は言った。
「戦には、正と奇がある。正は、正面から当たる戦い方じゃ。奇は、横から、後ろから、敵の思わぬところを突く戦い方じゃ」
「正だけでは、引き分けにしかならぬ。奇があって、初めて勝てる。じゃが、奇だけでは、崩れたときに支えがない。正と奇が、互いに入れ替わりながら、絶え間なく続く。そうすれば、負けることはない」
道雪は、二人の顔を交互に見た。
「今日から、そなたらは、正と奇の将じゃ。今日、惟信が正なら、鎮幸が奇。明日は、入れ替える」
「今日の救援には、鎮幸を連れていく。惟信は、城に残って、留守を守れ。城を守るのも、正の戦じゃ」
二
救援は、うまくいった。
柑子岳の城に兵糧を入れ、囲みを解いた。原田の兵は、遠巻きに見ているだけで、手を出してこなかった。
問題は、帰り道だった。
博多の西、海沿いに、松の林が続いている。生松原と呼ばれる浜だ。
道雪の軍がそこへ差しかかったとき、松の陰から、鬨の声が上がった。
原田の兵だった。帰り道で待ち伏せていたのだ。
輿の上で、道雪は、ゆっくりと周りを見回した。
六十七。もう、馬には乗れない。刀を振るって敵の中へ斬り込むこともできない。自分にできるのは、輿の上から、見ることと、言うことだけだ。
「慌てるな」
道雪は、低い声で言った。
六助が、輿の脇で振り返った。

「殿、どげえしますか」
「わしは、ここで見ておる。輿を、少し後ろへ下げよ」
「下げるんですか」
六助が、意外そうな顔をした。この夏の初め、宗像の兵と戦ったとき、道雪は「前へ出よ」と言った。
「今日は、わしが前に出る戦ではない」
道雪は、松の林を見ていた。
「鎮幸を呼べ」
小野鎮幸が、馬を寄せてきた。
「殿。林の北から回り込めば、横腹を突けまする」
「ならぬ」
「されど」
「回り込んだ先に、もう一隊おったらどうする。今日は、勝たずともよい。負けねばよい」
鎮幸は、唇を噛んだ。
道雪は、兵を松の手前に並べさせた。浜へは、一歩も出さなかった。
原田の兵は、何度も押してきた。押すたびに、松の手前の槍に跳ね返された。
日が傾くと、原田の兵は林の奥へ退いていった。追う者はいなかった。
鎮幸が、不満そうな顔で戻ってきた。
「殿。奇の出番が、ございませんでした」
「出さずに済んだのも、奇のうちじゃ」
担ぎ手たちが、笑った。
六助が、輿の脇で、ぽつりと言った。
「殿は、前に出るときと、下がるときを、ちゃんと分けちょるんですね」
「当たり前じゃ」
道雪は言った。
「前に出るだけなら、猪でもできる」
戦のあと、道雪は、六助を臼杵へ遣わした。生松原の勝ちを、お屋形様に報せるためである。
「文は、わしが書く。そなたは、それを届けて、お屋形様のお言葉を、そのまま持って帰れ」
六助は、目を白黒させた。輿担ぎの自分が、お屋形様の前に出るなど、考えたこともなかった。
「わ、わしが、ですか」
「近習じゃろうが」
道雪は、それだけ言った。
出立の朝、六助は、道雪から文を受け取った。
一字も、読めなかった。
いつか、何かを運んでもらうことがあるかもしれぬ。あの夜の殿の言葉が、胸に浮かんだ。これが、そうなのだろうか。
六助は、文を、懐の奥に収めた。
*
ひと月ほどして、六助は、立花山に戻ってきた。
道雪の部屋に通されると、六助は、平伏したまま、しばらく顔を上げなかった。
「どうした。お屋形様は、何と仰せじゃった」
「……へえ。それが」
六助は、言いにくそうに、顔を上げた。
「文を読まれる前に、お屋形様が、わしに、殿のことを、根掘り葉掘り、お聞きになりまして」
「何をじゃ」
「殿の足は、どうじゃ。輿で出たのか。あの年でか。寒い日は痛むのか。夜は、ちゃんと眠っておるのか。飯は、食うておるのか」
道雪は、黙っていた。
「それから、文を読まれて、勝ったのはめでたい、と仰せになって」
六助は、少し間を置いた。
「最後に、こう言われました。足は大事にいたせ、と伝えよ。それから、あまり怒鳴るな、とも」
六助は、言い終えてから、はっとした。お屋形様の口ぶりを、知らず知らず、まねていたのだ。
道雪は、しばらく何も言わなかった。
それから、ぽつりと言った。
「……母か、あの人は」
六助は、意味が分からずに、首をかしげた。
道雪は、それ以上、何も言わなかった。
ただ、その夜、六助は殿の部屋の灯りが、いつもより早く消えたのに気づいた。
史実メモ
道雪は、由布惟信と小野鎮幸を呼び、孫子の「奇正」を引いて、二人に正と奇の将を替わる替わる務めさせたと伝わります。
一五七九年(天正七年)八月、道雪は柑子岳城への兵糧救援の帰りに、原田氏と生松原で戦いました(第三次生松原の戦い)。このとき道雪は正式に輿に乗り、後方で指揮をとったとされます。
評定や戦場での会話、生松原の戦いの細かな経過は創作です。生松原の戦いで道雪が追撃を控えたという描写も、作中の創作です。
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