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雷神、主を諫む|第3章 定衆

    断章

    猫は、主を選ばぬ。

    膝が温かければ、誰の膝にでも乗る。名のある武者の膝でも、足軽の膝でも、同じ顔で丸くなる。

    わしは、そこが好きじゃ。

    花も、同じよ。植えた者が城主であろうと、下働きの婆ばばであろうと、水をやれば咲く。やらねば枯れる。

    人だけが、身分を見る。

    戦場いくさばに出れば、敵の矢は、身分を選ばぬというのにな。

    一

    天正てんしょう六年の暮れ。

    臼杵うすきから戻った道雪どうせつは、その足で岩屋いわやの城へ向かった。

    城の主は、高橋紹運たかはしじょううん。三十を少し過ぎたばかりの、背の高い男である。宗麟の命により、筑前の高橋の家を継いでいた。

    紹運は、何も聞かずに、道雪を奥の間へ通した。

    道雪は、前置きをしなかった。

    「鎮信しげのぶ殿が、耳川で亡くなられた」

    紹運は、膝の上の拳を、ゆっくりと握った。

    「……聞いておりました。噂では」

    「噂では、足りぬと思うた」

    道雪は言った。

    紹運は、しばらく何も言わなかった。

    「兄は、この戦が終われば新しい国ができると、文に書いてよこしました」

    紹運の声が、わずかに震えた。

    「信じさせたのは、お屋形様ですか」

    道雪は、紹運の目を見た。

    臼杵で、宗麟に言った言葉が、胸に返ってきた。信じさせたのが、罪でござる。

    「……お屋形様だけではない」

    道雪は言った。

    「止められなんだ、わしにも罪がある」

    紹運は、目を閉じた。

    やがて、目を開けた。

    「兄の死を、噂ではなく、人の口から聞けて、ようございました」

    紹運は、少し間を置いて言った。

    「これからは、筑前を、二人で守らねばなりませぬな」

    「豊後は、当てにならぬ。わしとそなたで、守るしかない」

    帰りの輿の中で、道雪は、ふと思った。

    弔いとは、こういうものかもしれぬ、と。

    二

    天正てんしょう七年、春。

    立花山たちばなやまの城の東の隅に、小さな花壇かだんがあった。

    石垣と石垣のあいだの、陽だまりになる場所だ。土を入れ、畝を切り、毎年、春が来るたびに種を蒔まく。城の者は、それを「殿の畑」と呼んでいた。

    春の日が、石垣の石をぬくめていた。耕したばかりの黒い土から、湿った、甘い匂いが立ちのぼってくる。冬のあいだ戦の煙ばかり嗅いできた鼻に、その匂いは、ひどくやわらかかった。

    道雪どうせつは、花壇の脇に床几しょうぎを置かせ、そこに腰を下ろしていた。

    膝の上で、猫が丸くなっている。茶と白のぶちで、名を「雷らい」という。拾ってきた若い者が、殿にちなんで勝手につけた名だった。道雪は、一度もその名で呼んだことがない。

    「殿。種は、これだけでよろしいので」

    薦野増時こものますときが、小さな紙包みを手に、腰をかがめていた。

    「五か所ほどでよい」

    「去年は、もっと蒔いておられましたが」

    「去年は、植え過ぎた」

    道雪は、ぶっきらぼうに言った。

    「芽が出すぎて、間引くのに難儀した。花も、人も、多ければよいというものではない」

    増時は、くすりと笑った。

    耳川みみかわの敗報から、四月が経っていた。

    この冬、筑前は荒れた。大友が負けたと聞くや、秋月あきづきが兵を動かし、宗像むなかたが国境に砦を構え、原田はらだが西から城を窺った。道雪は、紹運じょううんと手分けして、その一つ一つを押し返してきた。

    戦は、まだ終わっていない。終わる気配もない。

    それでも、春は来る。

    道雪は、土を見ていた。種を蒔くのは、来年もこの城が大友のものであると、信じる者のすることだ。

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    三

    弥生の末、博多の商人を招いて、城で小さな宴があった。

    宴の半ば、若い者が、銚子ちょうしを持って膝行してきた。

    弥平やへいという名の、定衆じょうしゅうの若者である。ふだんは輿を担いでいるが、人手が足りず、給仕に駆り出されていた。

    弥平の手が、震えた。銚子が傾き、酒が、商人の膝に、ばしゃりとこぼれた。

    弥平の顔から、血の気が引いた。畳に額を打ちつけるように平伏する。

    道雪は、盃さかずきを置き、商人に頭を下げた。それから、平伏している弥平を、顎で示した。

    「この者は、酒を注ぐのは下手でござる。だが、戦場に出れば、一人で三人分は働く。輿こしを担がせれば、当家一の肩を持っておる」

    道雪は、自分で銚子を取り、商人の盃に注いだ。

    座に、笑いが戻った。

    宴のあと、弥平は、廊下の隅で泣いていた。

    六助ろくすけが、その背を叩いた。

    「泣くな。殿は、怒っちょらん」

    「じゃけど、わしゃ、殿に恥を……」

    「恥をかいたのは、殿のほうじゃ。お前の代わりにな」

    弥平は、涙を拭いて、何度も頷いた。

    ※〜ちょる=〜ている

    四

    卯月うづきの末、宗像むなかたの兵が国境を越えた、という知らせが入った。

    味方の城が囲まれている。救いに行かねばならない。

    道雪は、すぐに陣触れを出した。

    城の門前に、兵が集まった。その中ほどに、一挺の手輿てごしが据えられている。屋根も壁もない、板と担ぎ棒だけの輿だ。

    道雪は、その上に座った。

    脇に、二尺七寸にしゃくななすんの刀と、鉄砲が一挺。そして、長さ三尺ほどの、腕貫うでぬきをつけた棒。手棒てぼうと呼んでいる。

    輿の周りを、長い刀を持った若者たちが取り囲んでいた。百人ほどいる。道雪が自ら選び、鍛えた者たちだ。

    定衆じょうしゅう、と呼ばれていた。

    その頭が、六助である。

    「担げ」

    六助の声で、若者たちが担ぎ棒に肩を入れた。輿が、ふわりと持ち上がる。

    弥平も、その中にいた。先日の宴の夜とは、別人のような顔をしていた。

    昼過ぎ、野で敵とぶつかった。

    宗像の兵は、思ったより多かった。鬨ときの声が上がり、矢が雨のように降ってくる。味方の先手が押され、じりじりと下がってきた。

    輿の上から、道雪はそれを見ていた。

    「殿」

    六助が、振り返った。

    「下がりますか」

    「下がらぬ」

    道雪は、手棒を握った。

    「前へ出よ。敵の真ん中へ、わしを担いでいけ」

    道雪は、手棒で、輿の縁を叩いた。

    かん、と乾いた音が鳴った。

    「えい」

    かん。

    「とう」

    「えい、とう。えい、とう」

    六助が、真っ先に声を合わせた。

    「えい、とう!」

    担ぎ手たちの足が、その声に乗った。一歩、また一歩。輿が、前へ出る。

    「えい、とう! えい、とう!」

    百人の声が、一つになった。

    押されていた先手の兵たちが、振り返った。老いた大将が、輿に乗ったまま、敵へ向かって進んでくる。その姿を見て、逃げかけていた足が止まった。

    「殿が、前に出ちょる!」

    誰かが叫んだ。

    「殿を討たせるな!」

    兵たちが、雪崩を打って、敵へ向き直った。

    戦は、半刻で終わった。

    宗像の兵は、算を乱して退いていった。

    輿が、ゆっくりと下ろされた。

    六助の左肩に、矢が一本、突き立っていた。鎧よろいの隙間を抜けたらしい。

    「六助」

    道雪が言った。

    「その肩で、担いでおったのか」

    「へえ。下ろしたら、殿が転げ落ちますけ」

    六助は、笑った。顔は真っ青だった。

    「たわけ」

    道雪は、輿から身を乗り出した。

    「誰か、こやつの矢を抜いてやれ。それから、手当てをせよ。わしの薬を使え」

    五

    城に戻って三日目の夜、六助は道雪の部屋に呼ばれた。

    肩には、まだ白い布が巻かれていた。

    道雪は、灯りのそばで、何かを書いていた。六助が平伏すると、筆を置いた。

    膝の上には、例の猫がいる。

    「肩は、どうじゃ」

    「へえ。もう、担げます」

    「嘘をつけ」

    道雪は、鼻を鳴らした。

    「六助。そなたを、わしの近習きんじゅに取り立てる」

    六助は、顔を上げた。

    言われた意味が、すぐには分からなかった。近習とは、主のそば近くに仕える者のことだ。百姓の出の、輿担ぎがなれるものではない。

    「……わしは、肩で仕える者です。そげな、もったいない」

    「肩は、そのまま貸せ」

    道雪は言った。

    「輿を担ぐのは、これまでどおりじゃ。そのうえで、わしの側におれ。わしが何を見て、何を言うか、そばで聞いておれ」

    「なぜ、わしを」

    「あの野で、わしを敵の真ん中へ担いでいった。逃げる者は、一人もおらなんだ。それは、そなたが真っ先に声を出したからじゃ」

    道雪は、猫の背を撫でた。

    「人は、身分で動くのではない。声で動く。そなたの声には、人を動かす力がある」

    六助は、何も言えなかった。

    膝の上で、拳を握りしめていた。

    「それにな」

    道雪は、少しだけ声を落とした。

    「わしは足が悪い。いつか、わしが自分では行けぬところへ、何かを運んでもらうことがあるかもしれぬ。そのときに、頼める者がほしい」

    「何を、運ぶので」

    「さあな。まだ分からぬ」

    道雪は、ふと思い出したように、言った。

    「六助。そなた、家の者は」

    「へえ。女房と、娘が一人おります。城下の、長屋に」

    「娘は、いくつじゃ」

    「七つになります。はると申します」

    六助は、少し照れくさそうに、頭をかいた。

    「わしに似んで、女房に似たけ、器量よしです」

    ※〜たけ=〜たから

    道雪は、ふっと笑った。

    「誾千代より、少し下か」

    「へえ」

    「はるには、字を覚えさせてやりたいんです。わしは、自分の名も書けんけ」

    ※〜け=〜から

    道雪は、何も言わなかった。ただ、膝の猫の背を、ゆっくりと撫でた。

    「今夜は、早う家へ帰れ。女房と娘に、知らせてやれ。近習に取り立てられた、とな」

    道雪は、そう言って、また筆を取った。

    話は、それで終わりだった。

    六助は、深く頭を下げて、部屋を出た。

    廊下に出ると、夜風が、肩の傷にしみた。

    空を見上げた。星が、たくさん出ていた。

    中庭の隅で、何かが動いた。

    花壇だった。暗くてよく見えないが、黒い土の上に、小さな緑のものが、点々と並んでいる。

    五か所。

    殿の言ったとおりの数だった。

    「……芽が、出ちょる」

    六助は、誰にともなく、つぶやいた。

    明日の朝、殿に教えてやろう。きっと、ぶっきらぼうな顔で、「知っておる」と言うのだろう。

    六助は少し笑って、城下の長屋へ急いだ。

    その夜、長屋では、女房のおそのが話を聞くなり、土間にへたり込んで泣いた。七つのはるは、わけも分からずに父の膝によじ登り、棒の痕の盛り上がった肩を、小さな手で何度も撫でていた。

    娘の手の温かさを肩に感じながら、六助は思った。

    あの殿は、宴の席で粗相をした若い担ぎ手を、客の前でかばった。そういう人の輿なら、どこまででも担げる。

    史実メモ

    • 高橋紹運は吉弘鑑理の次男で、耳川の戦いで戦死した吉弘鎮信の弟です。宗麟の命で筑前の高橋家を継ぎ、宝満城と岩屋城を守りました。道雪とともに、筑前で大友方を支え続けました。

    • 道雪が岩屋城で紹運に兄の死を伝える場面は創作です。

    • 道雪は猫を好み、花を育てる趣味があったと伝わります。筑後に陣を構えていたとき、重臣の薦野増時に「秘蔵の花の種を花壇に植えてほしい。去年は植え過ぎたので気をつけて」という内容の手紙を送ったことが知られています(手紙の年は確定していません。この章では、その言葉を会話として使いました)。

    • 酒の席で家臣が粗相をしたとき、道雪が客に「この者は戦場では何人分もの働きをする」と言ってかばった、という逸話が伝わっています。

    • 晩年の道雪は、家臣に手輿を担がせ、刀と鉄砲、腕貫をつけた約一メートルの手棒をそばに置きました。長い刀を持つ若者約百人の「定衆」が輿を囲み、戦いになると若者に輿を担がせ、手棒で輿の縁を叩いて「えいとう、えいとう」と音頭をとったと伝わります。

    • 一五七九年、耳川の敗戦をきっかけに、筑前では秋月・宗像・原田などが大友に背きました。道雪は紹運とともに、これらと戦い続けています。

    • 猫の名前、弥平、宴の商人、六助の取り立ては創作です。この章の戦いは、一五七九年の筑前での戦いをもとにした架空の場面です。

    ――――――

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    大学でAI・画像処理を研究、現在はメーカー勤務のエンジニア。 話題のAIニュースを「働く人はどう立ち回るか」の目線で深掘り(火・木・土)。 水・日はネットの噂や都市伝説の調査記事。 平日朝の日常エッセイでは、理系目線で身の回りの小さな謎を考えています。小説も書きます。

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