
【clum! '95 #55】放課後の本音

1996年、1月の放課後。
窓の外には、佐賀の広い平野に沈む冷たい夕日が、オレンジ色の光を投げかけている。

部活動の合間、誰もいない2年の教室。岡本玲は、夕暮れの窓際で沈んでいく夕陽を見つめていた。
そこに、練習を終えたらしい佐野立夏が「玲ちゃん、今日のお菓子はー?」と飛び込んできた。
しかし、親友のいつもとは違う、ひどく寂しげな横顔を見つけた。
「……玲ちゃん? どうしたのよ、そんな顔して。お菓子、失敗でもした?」
立夏がいつもの勢いで声をかけるが、玲は弱々しく首を振るだけだった。
立夏は瞬時に、彼女の心の天気が「雨」であることを察し、騒がしい声を少しだけ落として近くの席に座った。

「……立夏ちゃん。……わたし、わがままだよね」
「はあ? 玲ちゃんがわがままなんて、世界がひっくり返ってもありえないわよ。何があったのよ」
玲は、震える指先でスカートの裾をぎゅっと掴んだ。
「……お兄ちゃんも、迅くんも。……外の高校を受験するって決めて、あんなに一生懸命勉強してるのに。応援しなきゃいけないって、わかってるのに……。……すごく、寂しいの」
「…………」
「来年の春には、ここから二人ともいなくなっちゃうんだって思ったら……なんだか、今日食べるお菓子も、あんまり味がしなくて。……私、二人の邪魔になりたくない。でも、寂しいって言ったら、困らせちゃうかな」

玲の瞳に、堪えていた涙がじわりと溜まる。
11月の嵐を共に乗り越えたからこそ、彼女にとっての「二人」は、以前よりもずっと大きな存在になっていた。
立夏は、自分のポニーテールを乱暴に一度解いて、結び直した。
それは彼女が本気で誰かと向き合う時の、一種の儀式だった。
「……バカね。寂しいに決まってるじゃない」
「……立夏ちゃん?」
「迅……折館くんとは腐れ縁だし、樹くんだってうるさいけど、あいつらがこの校舎にいなくなるなんて、あたしだって想像しただけで頭が痛くなるわよ。……寂しいのは、あんただけじゃないんだから」

立夏は玲の肩を、力いっぱい抱き寄せた。
バスケで鍛えたその腕の暖かさが、玲の震えを少しだけ鎮める。
「いい? 玲ちゃん。寂しいって思うのは、それだけあんたがあいつらを大好きだって証拠よ。……それを隠して『応援してます』なんて、そんなの嘘じゃない。……迅も樹も、あんたのその『寂しい』って気持ちを背負って、戦いに行きたいはずよ」
「……迷惑じゃないかな?」
「あの二人が、玲ちゃんに頼られて迷惑なんて思うわけないでしょ! むしろ、泣きつかれたら、あいつら鼻血出して喜ぶわよ。……特に折館くんなんて、それだけで偏差値10は上がるんじゃない?」
立夏の冗談に、玲は涙を浮かべながらも、ふふっと小さく笑った。
「寂しい時は寂しいって言いなさい。その代わり、最後には『頑張ってね』って最高に可愛い笑顔で見送るの。……あとの寂しさは、私と一頼と芳彦が埋めてあげるから。ね?」

玲は、立夏の肩に頭を預け、大きく息を吐いた。
1997年の春が来れば、環境は変わる。
でも、この放課後の暖かさや、言葉を交わすことで心が軽くなるこの感覚は、きっとどこへ行っても変わらない。
「……ありがとう、立夏ちゃん。私、……ちゃんと言うね。寂しいけど、応援してるって」
「そうこなくっちゃ! ……で、その寂しさを癒やすために、明日はチョコチップ入りのクッキーがいいな! 二倍の量で!」
「ふふ……、わかった。立夏ちゃんの分だけ、特別に大きく焼くね」
夕暮れの廊下。
教室から出てきた二人を、廊下の向こうで単語帳を開いていた迅と、厚い参考書を抱えた樹が待っていた。

「……遅かったな」
「佐野さんが玲を独占する時間は、1日15分以内にするべきだと――」
二人の男の呆れたような、けれど優しい声。
玲は立夏と繋いだ手を少しだけ強く握ると、待っていてくれた二人へ向かって歩き出した。


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