
【clum! '95 #73(最終回)】ブルーブラックの決意

1996年、4月7日、日曜日。深夜。
街を包む春の夜の空気は、窓を少し開けておくだけで、湿った土と芽吹き始めた何かの花の匂いを運んでくる。
僕、早坂一頼は、自分の部屋の机の上で、一冊のノートを開いていた。

手には、2月の誕生日に立夏から贈ってもらった、あの重みのあるブルーブラックのボールペンを握っている。
ノートの端に、この一年の身長の記録を書き込む。
中1の4月 → 148cm
中1の9月 → 154cm
中2の4月 → 158cm
「……あと2センチ。あと2センチで、立夏に追いつく」
立夏の身長は 160cm。
出会った頃、立夏を見上げるしかなかった視線は、今はすぐに届くところまで来ている。
けれど、数字じゃないんだ。
「……明日からは、2年生だ」
立夏は中学3年生。僕は中学2年生。
身長はいつか追い越せるかもしれない。
けれど、立夏が高校生になって、中等部からいなくなり、自分だけが残される未来は、どれだけ時間をかけても、どれだけ背を伸ばしても、避けられない「絶対的な事実」だ。
「立夏が大人になっていくスピードに、僕は追いつけない。……時間は、残酷だ」
僕は、ブルーブラックのインクが紙に吸い込まれていくのをじっと見つめた。
黒よりも青く、青よりも深い。
それは、今の僕が抱く「強くなりたい」という決意と、「置いていかれたくない」という子供じみた恐怖が混ざり合った色そのものだった。
僕は、ノートの新しいページに、筆圧を込めてこう書き記した。
『1997年の僕へ』
あの衝撃的な出逢いから、一年が経った。憧れの人だった立夏は、僕の隣で笑ってくれている。
そして、立夏は僕に少しずつ、自分の辛かったことを話してくれようとしている。気がする。
みんなが、新しい季節へ行こうとしている。
でも、僕は忘れない。
立夏が時々見せる、あの怯えたような瞳を。
僕が贈ったネックレスを握りしめる、あの震える指先を。
1997年3月に立夏達が卒業するまでの、この一年、僕は誰よりも強くなる。
折館先輩が託そうとしてくれているものを、ただの思い出にはさせない。
僕が、彼女の過去も、これから訪れるかもしれない嵐も、全部この手で受け止めるんだ。
窓の外では、夜風に吹かれた桜の花びらが数枚、机の上に舞い込んだ。
僕はそれをそっと手に取り、ノートに挟む。
「……おやすみなさい、立夏」
時計の針が、0時を指す。
1996年、4月。
僕はペンを置くと、立夏の笑顔を思い浮かべながら、暗い夜空を見上げた。

そして、しあわせな気持ちで眠りについた。
【clum! '95】完
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