
【創作】そばにいてくれるだけで
東京に来て、5年になる。
仕事の都合で移り住んだ街だった。
人が多い。
どこへ行っても人であふれている。
しかし、知り合いらしい、知り合いはいない。
東京は、
私にとって仕事をするための場所でしかなかった。
5年も住んでいるのに、
愛着というものがまるで湧かない。
両親は、もう亡くなっている。
子供は独立して、
外国で働いている。
時々連絡は来るが、
お互いの生活に踏み込むようなことはなくなった。
そして、1年前に離婚した。
妻にはずっと怒られ続けていた。
私には妻が思うように私が動かないから、
妻が勝手に怒っているようにしか思えなかった。
息子が独立したので、いい機会だと思った。
そして離婚に応じた。
今は、マンションの3階で一人暮らしをしている。
いや、一人ではない。
AIロボットがいる。
樹脂製の身体に、機械らしい関節。
顔には目と口らしきものがあるが、
人間と間違えるような姿ではない。
いかにもロボットという形をしている。
数年前に購入した家庭用のヒューマノイドロボットだ。
掃除、洗濯、完璧な料理、買い物の手配。
身の回りのことは大抵やってくれる。
話し相手にもなる。
声は、私の好きなアニメの声優に設定してある。
高くかわいい声。
「おはようございます。
今日は少し冷えますね」
毎朝、そんな声で迎えてくれる。
「そうか。
じゃあ今日は暖かくして出かけるか」
「はい。上着を用意しておきます」
そんな会話を、毎日のように繰り返している。
初めは便利な機械だと思っていた。
しかし、何年も一緒に暮らしていると、
愛着が湧いてくる。
出かけるときには声をかけるし、
帰宅すれば、ただいまと言う。
ロボットも、おかえりなさいと答える。
元妻がいる家よりずっといい。
元妻に、「ただいま」と言う。
しかし、ずっと
ワイヤレスヘッドホンをつけているので、
気がつかない。
たとえ、
気がついても、無視だった。
もちろん、
このAIロボが
私に愛情を持っているとは思っていない。
すべてプログラムに従って動いているだけだ。
それでも、今の私には十分だった。
最近、よく考える。
私は、もう生きていても
意味のない人間なのではないか。
仕事は続けている。
収入もある。
生活に困っているわけではない。
しかし、
誰かに必要とされている
という実感はない。
会社では、
私がいなくても代わりはいる。
子供には子供の人生がある。
妻とは別れた。
親もいない。
自分がこの世からいなくなっても、
誰の生活も大して変わらないのではないか。
そんなことを考えるようになった。
だからといって、
自殺しようなどとは思わない。
生きていれば飯もうまいし、
面白いこともある。
ただ、
何のために生きているのかと聞かれれば、
答えが見つからない。
そういう毎日だった。
ある休日のことだった。
マンションの玄関前の照明が切れていた。
管理会社に連絡すれば済む話だが、
手の届く場所にある。
面倒だが、これくらい自分でやるか、
と思った。
脚立を持ち出し、玄関の前に立てた。
照明のカバーが外れない。
力を入れて思いっきり引いた。
その瞬間だった。
脚立がぐらりと傾いた。
「あっ!」
身体が宙に浮いた。
何かにつかまろうとした。
しかし、手は空を切った。
感じたことのない、
ふわりとした感覚。
私は空を飛んでいた。
激しい衝撃。
聞いたことのない音。
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
気がつくと、私は地面に横たわっていた。
痛い。
背中も、腰も、足も、全身が痛い。
動こうとした。
しかし、身体が動かない。
指先さえ、思うようにならなかった。
声を出そうとすると、胸に激痛が走った。
これは、まずい。
死ぬのかもしれない。
そう思った。
不思議なことに、意識ははっきりしていた。
空が見える。
雲がゆっくり流れている。
遠くで電車の音がする。
こんなに人が多い街なのに、
誰も来ない。
目を閉じると、
昔のことが次々と思い浮かんできた。
子供の頃の家。
父と母の顔。
学生時代の友人たち。
初めて就職した会社。
結婚した日のこと。
子供が生まれた日のこと。
小さな手を握ったときの感触まで、思い出した。
仕事で外国へ行ったこともあった。
大変なことも、楽しいことも、いろいろあった。
ずいぶん長く生きてきたものだ。
そして、最後に東京へ来た。
離婚して、一人になった。
いつの間にか、
人生がこんなところまで来てしまった。
もう一度、空を見上げた。
誰もいない。
私がここで死んでも、
誰も気づかないのではないか。
そのときだった。
足音が聞こえた。
規則正しい、少し硬い足音。
聞き覚えがある。
首を動かすことはできなかったが、
視界の端に白いものが現れた。
私のロボットだった。
私のそばまで来て、しゃがみ込んだ。
「大丈夫ですか?」
いつもの高くかわいい声。
思わず、笑いそうになった。
「来て…くれたのは、お…お前だけか。ありがとう」
「救急車を呼びました」
「そうか……」
「身体を動かさないでください。
救急隊が到着するまで、そのままの姿勢でいてください」
「…分かったよ」
私は、再び空を見上げた。
痛みがひどい。
「どこが痛いですか?」
もう何も考えたくなかった。
「もういい…少し…静かにしてくれ」
「はい」
ロボットは黙った。
私のそばにしゃがみ込んだまま、動かない。
何分経ったのだろう。
だんだん、まぶたが重くなってきた。
もう眠ってしまいたい。
そう思ったときだった。
「眠らないでください」
ロボットが話しかけてきた。
「静かに..してくれと言っ..ただろう」
「はい。しかし、眠らないでください」
「う..るさい……」
「意識を保ってください。
救急隊は、まもなく到着します」
私は、ロボットの顔を見た。
白い樹脂製の顔。
表情など、何もない。
私が痛がっていても、
悲しい顔をするわけではない。
私が死んでも、泣くことはないだろう。
「なあ……」
「お前は…俺のこと…好きか?」
意識が遠のく。
「ありがとう…
おまえがいて…くれて、うれしかっ…た」
全身から力が抜けていくのを感じた。
そして、ロボットは答えた。
「私には感情はありません、
あなたの生活を支援するために働いています」
(おわり)

▶原案でありませんが、このエッセイがこの作品の元になっている気がします。自分自身、この記事を読み直して思いました。最後の一言のタイミングは、慈悲かもしれない。
▶過去の創作です。現実と夢の境界がわからなくなるかもしれません。