メインコンテンツへスキップ
見出し画像

#652[短編]琥珀色の間[35]──翼の継承

    雨上がりの朝、父に未来の提案をする大翔。昔の宝物に思いを馳せ、夢がうごきだす、連載第40回。


    1話、2話、番外編・大翔ひろと、3話 -I、3話 -II、3話 -III、4話、5話-I、5話-II、5話-III、5話-IV、5話-V、6話、7話、番外編・爽子さわこ、8話、9話、10話、11話、12話、13話、14話、15話、16話、17話-I、17話-II、18話-I、18話-II、19話、20話-I、20話-II、21話、22話、23話、24話、25話、前半まとめ

    ※ 連載ですが、どのお話からも読めます。


    兄の手を医大から父につないだのは母だった。父はそれを俺に託した。ユウキが握り返した指先は紛れもない兄の意志だと、大翔は確信した。

    「お父さん。中山先生に会わせてくれてありがとう」直哉は窓辺からゆっくりと振り返り、使い込まれた革の肘かけ椅子に腰かけた。窓から差し込む雨上がりの朝の光が、父の肩をやさしく照らす。

    「家族のリレー、これがうちなんだね」
    大翔は、働く人のことも考えるようにと、父は言いたいのだと思った。ただ命を救うだけでなく、ここに集うすべての人の息吹を守ることが、この場所を引き受けるということなのだと思った。

    「お父さん。また院内コンサートをやらない?」大翔は感染症の流行以来、長いあいだ中止になっていた恒例行事──手づくりの小さな演奏会の提案をした。

    「ん?」直哉は卓上カレンダーに目線を落とす。
    「クリスマスの前に、6月にならしで1度どうかな。2ヶ月もあれば、練習もできると思う」
    「ふむ……お前、それを言いにきたの?」
    「うん、まぁ……」

    「すごいピアニストに出会った。と、思う」
    「ほう」
    「うちで弾いてもらえたらいいんだけど。まあ、前向きに考えてよ」

    爽子の背中が頭をよぎる。彼女の紡ぐ音がロビーを満たす光景を、大翔は密かに心を遊ばせていた。

    ◇

    大翔は直哉に、昨晩の続きを話した。光と風の通る場所にする。華やかじゃなくていい。夕方の光が部屋の奥まで差し込む、誰もがふうっと息をつけるような余白のある場所にしたい。

    大翔の言葉が続くあいだ、直哉が打鍵するキーボードの音が自然と大きくなり、2人を包むと、そのまま溶かすようにして日常の境界線へと戻していった。

    大翔は応接室へ移動すると、歴代の院長の肖像を眺めた。額縁の前に立つと、ガラスの奥に現代の自分の顔が映り込む。

    古い集合写真には、小さな診療所と、糊のきいた白衣に身を包んだ男性医師たち、白の帽子とロングのワンピースを着た看護師たち。戦災を逃れ、ビルに建て替え、今に至るまでの歴史が、おごそかに息づいていた。

    モノクロの風景から現在の色彩へ──その重なりに、胸の奥が静かにざわついた。大翔は自分の姿と写真を交互にを見つめていた。

    新しい写真──直哉のふとした表情に、兄の気配が溶け込んでいると思えて、大翔の胸が小さく震えた。

    ふいに、昨晩の、眠りにつく前のことを思い出す。仮眠室の机の中から昔の宝ものを見つけた。 大翔の道具入れには、えんぴつと、小さなどんぐりが顔を出した。その下には大きな落書き用紙と、引き出しの隅には金属製の飛行機の模型が入っていた。

    祐希ゆうきはパイロットになるのが夢だった。大翔は冷たい金属の翼を掌で転がすと、機体がひんやりと指に吸いつく。翼を傾けると、胴体に窓の外の空の色を拾い、小さく照り返した。

    兄の憧れを思うと、祐希の笑顔がふっと浮かんだ。
    祐希の夢が、この小さな翼のなかに、いまも閉じ込められている気がした。


    「じゃ、行ってくる」不意に、休憩室のドアから直哉が顔を出した。リングへ向かうレスラーのような、鋭くも穏やかな目をしている。
    「急患?」大翔は休憩室へ向かい、直哉を追う。
    「ああ、あと10分」
    「わかったよ。よろしくね」
    「うむ」直哉は片手を上げて休憩室を出ようとした。その時、大翔はローテーブルの上にぽつんと取り残された、PHSを見つけた。

    「お父さん、忘れてるよ」大翔はドアを閉めようとしていた直哉を、急いで呼び止める。
    「おっと、サンキュウ。じゃーな」

    「まって」大翔は直哉の背中に声をぶつけた。
    「ん?」
    「『じゃーな』は挨拶じゃないよ」
    「母さんみたいなこと言うなよ」おどけて見せる父の顔に、不意に祐希のおもかげが重なる。

    「……いってくるよ」直哉の眉の上がり方が、祐希と同じだった。
    「うん。お父さん」
    「なんだ?」

    大翔は少しおどけて、祖父がお年寄りの患者さんによく言っていた決めゼリフを口にした。

    「ちょっと、頭をヒヤシンス」
    「……おやじの真似は勘弁してくれよ……」

    直哉が苦笑いした瞬間、大翔は迷いなく父に向かって、右の拳を突き出した。鈍い音を立てて2人の拳が合う。父の拳は少し重く、温かかった。そのかすかな衝撃が、大翔の腕をまっすぐに伝って、胸の奥にひびいた。

    「帰ってきてね」
    「はいはい」

    直哉は非常階段の扉をあけて、もう一度、大翔に手を挙げた。大翔は父の背中を見送り、仮眠室へ戻った。
    飛行機の模型は元の場所へもどし、大翔はベッドに寝転び、頭のうえで腕を組み、深く息をついた。

    昨夜のBarの灯り、空港で見送った爽子の背中、突然の雨、父に告げた言葉──それらが一本の線になって胸の奥でそっと結ばれていく。

    大翔は目を閉じ、爽子の横顔を思い返す。流暢な英語と、中東風の黒いストール。展望デッキではしゃぐ笑顔と意外な過去。その余韻を心の奥でそっと抱え、胸の奥に残る温度を、しばらく確かめていた。

    昨夜、父に告げた言葉は、まだどこか現実味を帯びていない。けれど、胸の奥では確かに何かが動き始めていた。その小さな鼓動を、静かに受け止めた。


    いつのまにか、窓の外の光が、おだやかに傾きはじめていた。大翔はゆっくりと、初夏の夕暮れが広がる病院をあとにした。

    外の風はどこか優しく、大翔の頬を撫でて通り過ぎていった。


    <了, 約 2,100 字>


    画像
    ラストスパート、思ったように書けませんが、
    書き切りたいと思います🎨🛩️

    ▶ほかの記事をお探しですか?(記事検索)
    すべての記事:人気、急上昇、新着、定番など

    あなたへのおすすめ