
比べても、下に置かない。|人と比べてしまうときと、和泉悠『悪口ってなんだろう』
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本記事は、脳内マガジン収録記事です。
「言い切る」って、どうしてこんなに怖いんだろう。今日は、少し昔を振り返りながら、考えてみます。
言い切るのは、勇気がいる
今、私は「言い切りポスト」に挑戦しているのですが、これがまた結構な挑戦で。笑
昔炎上した経験があるので、また燃えたらどうしようと身体が勝手に身構えてしまうんです。
言い切るためには、絶対に反対意見が出てきます。その反対意見に共鳴・同意している人たちも必ずいるので、言ってみればその人たちが仮想敵のような存在になってしまう。じゃあ全員に届く発信をすればいいのかというと、そうでもない。当たり障りのない言葉は、誰の心にも刺さらないんです。
そんなことを考えていたときに読んだのが、和泉悠さんの『悪口ってなんだろう』でした。
嫌われないために、下位をつくった
学生の頃、なんで人が比較するのかよく分かっていませんでした。全学年1クラスしかない小さな小学校に通っていた私は、クラスメイトと険悪になることもなく、6年間ぬくぬくと育ちました。
状況が一変したのは、中学生になってから。人生で初めて、一部の人に嫌われる経験をしました。部活道具を隠したり、ありもしない話を学年中に広めたり。そんなこと本当にあるんだ……!と、びっくりしたのを覚えています。
そこで高校にあがるとき、当時の自分なりに考えたんです。「人と比べて劣る点が1個あればいいのでは?」と。
人と円満でいるために、あえてランキングの下位になる部分を作る。
高校時代は、とことん勉強しないで運動に振り切りました。数Ⅲや物理は、ずっと赤点の常習。「運動はすごくできるけど、勉強はあんまりできないよね」という立ち位置が、下手に敵を作らない、私なりの生存戦略になりました。
「嫌われたくないから勉強しない」なんて、今考えると何をしてるんだって思いますが、当時の私にとって、人間関係が円満であることはテストの成績よりも重要だったんです。実際、本当に人に恵まれた高校生活でした。
比べることと、下に置くことは違う
『悪口ってなんだろう』を読んで深く納得したのが、「記述のランキング」と「優劣のランキング」があるという話です。
クラスの背の順やテストの点数で並ぶのは、数字という「事実」です。本来、そこに優劣はありません。それなのに「〇〇くんは背が高くていいね」と、並びに「良い・悪い」の価値をつけてしまう。これが優劣のランキングで、人間の性質なのだと本では語られています。
SNSのインプレッションも、本来は記述のランキングでしかないんですよね。でも「多いほうがいい」と価値をつけて優劣にしてしまうから、感情が揺さぶられて、落ち込んだり喜んだりする人が出てくるのかもしれません。
本の中で、すごくいいなと思った一節があります。
重要なのは「すごい人だから評価すること」と「同じ人間だから尊敬すること」の区別です。すごい人だろうがすごくない人だろうが、人間として同じように尊重されるべきだからです。
ここは、私のSNS哲学にも近しい考えです。
まだ数字が出ていない人だって本当に素晴らしい文章を綴っているし、眠れない夜に心を救ってくれるときもある。
数字の違いでその人の価値まで測ってしまう構造は、事実としてある。だけどそれはあくまで構造であって、私がそれに従う必要はない。好きなものは、数字がどうであろうと好きなんです。
比べても、下に置かない
今回いろんな発信を観察していて思ったのは、強く言い切っている人たちって、本当の意味でフラットなんですよね。その意見を言ったとしても、「それはそういう意見だよね」というところで、ちゃんと留めることができる。
一方で、消耗したときの私は、「こんなこと言ったら嫌われちゃうかな」とか、「返信がないのは気に障ることを言ってしまったからなのかな」と頭に浮かんでいました。これは、矢印が自分の内に向いているサイン。きっと無意識に、自分をランキングの中に置いてしまっているんですよね。
高校時代のように、あえて下位をつくって、下手に自分を取り繕わなくったっていい。比較を悪とせず、相手も自分も下に置かなければ、ちょうどいいバランスで生きていける方法はきっとあるはず。
比べても、下に置かない。それが、今の私の生存戦略です。
言い切りポストをやってみた結果は、検証3日目に綴っています。よかったら数値でどうなったのか覗いてみて下さい。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
「ふくりの脳内」では、こんなことも綴っています。
数字や比較の波に飲まれない発信の整え方は、こちらで書いています。
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