
遺書 漫画家アシスタント物語 第2章 1
《 写真上:アシスタントを初めて経験した当時、住んでいた調布市仙川の下宿です。三畳一間、台所なし、日当たりゼロ、便所の正面‥‥1974年撮影》
まだ、「第1章〈1〉」をお読みでない方は、先に「第1章〈1〉」をお読みいただく事をお薦めいたします。
まとめてお読みになりたい方は、去年編集した、改編前のマガジン「第1章、第2章」をどうぞ!
〚 前回のあらすじ 〛
ジョージ秋山との出会いと面接。 今回からは、時間を4年戻して1974年、杉並区高円寺南、私の初めてのアシスタント体験がはじまります。
1 貧乏臭と初アシスタント
漫画家志望の多くの若者がそうであるように、私もまた10代の頃に同人誌に入っていました。( 1970年代 )
その同人誌は、10数人の会員全員( 社会人と学生が半々 )にやる気が無く、会長一人が漫画制作に夢中でした。
しかし、会長の退屈な作品をみんな冷ややかな目で見ていました。 確かに会長の漫画はつまらないのですが‥‥
彼の人柄は抜群に良い人でした。
漫画家アシスタント物語、血の教訓
『 人格的完成度は、漫画の完成度にまったく比例しない。』
その会長がフリーターの私にアシスタントの仕事を紹介してくれました。
怪奇漫画を描く女流漫画家さがみゆき先生( 東京、駒込在住、当時30歳位のバツイチ女性 )。
京都出身の氏が喋る言葉は、綿菓子のように甘く優しい・・・・・
「 小池君ぅ~ン( 私の本名 )」
この鼻にかかったような京都弁がくすぐったい‥‥
「 もっと~ しっかりせなぁ~ あかんヤ~ン 」
しっかり出来ない‥‥
グニャグニャになってゆく・・・・・

漫画家アシスタントをはじめてやったのは、1974年( 19歳 )で、住んでいたのは調布市仙川の小さな下宿( 木造モルタル、3畳間、月1万5千円 )でした。
夏は臭くて、息を止めて入るドボン式共同便所。 共同水道1個。ガスなし。 3畳一間に裸電球‥‥。
唯一の窓は、廊下に面しているので、部屋にはまったく陽がささない。
1ヶ月の生活費は、3万円。
暗くジメジメした万年床、長髪に顔も洗わぬ無精ひげ。 冬の暖房はコタツだけ、どんぶり型のガラスの灰皿には、てんこ盛りになった吸がらの山。
読んでた本が、太宰治の「 人間失格 」、カフカの「 変身 」、マルクス「 共産党宣言 」・・・・・・
私がこのボロ下宿へ来たのが1974年( 18歳 )‥‥
下宿2階は、3世帯。 私がいた1階も3世帯。 共同便所の隣りが、明治大学1年のサカモト君。 共同便所真向かいが、私で、私の部屋の奥隣りが、明治大学の3年生。
この明大の3年生は、ネズミ講にはまっていて、新しく入ってきたド貧乏の私に、しつこく20万円(!)の「 自動車排ガス清浄装置 」を売ろうとするのでした・・・・・
「 20万なんて安い安い、3人の人間に3台の排ガス清浄装置を売れば、すぐ
元が取れるよ! 」
なんで、車も金もない私が排ガス清浄装置を買わねばならないのか・・・・・話を聞いているだけムカムカしたものでした。
この下宿に入った頃は、新宿のデパート食堂の皿洗いや、中野のビル清掃などのバイト(月々3~4万円)で生活していました。
そして、前回お話した同人誌の会長さんの紹介で、女流怪奇漫画家さがみゆき先生のアシスタントになったわけです。
それにしても、ド素人同然の私をよく雇ってくれたものです‥‥
「 第2章 2 」へつづく・・・・
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★ 興味のある方は、「私の漫画履歴書」をご覧ください。
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