
「AIを使え」と言われた現場。襲いかかる産業革命は、まず「残業革命」になった|社内AI観察録 #4
前回↓
2026年に入ってから、社内のAIに対する空気が明らかに変わった。
以前のAIは、まだ席を得たばかりの新入社員だった。
一部の探検家たちが連れ回し、好事例を持ち帰り、周囲が「へぇ、そんな使い方があるんだ」と眺める。
・・・そういう段階だった。
ところが、年度が変わる頃には様子が変わった。
僕は正直驚いた。
AIは、いつの間にか部屋の隅に座る新入社員ではなくなっていたのだ。
気づけば壇上に上げられ、拍手され、少し神妙な顔で拝まれる存在になっていた。
2025年に入社したやつは、1年経たないうちに素晴らしい大出世を遂げていた。(入社8年目の僕も、その上の年次の営業統括も、いまだに拝まれたことはない。)
使えると便利なもの、ではない。
使わなくてはならないもの、になった。
ついに大「公開」時代が終わり、陸地にもいよいよ新しい号令が届いたのである。もはや新しい時代への強制移行、に近い。
・・・時代は待ってはくれなかった。
◆AIは、席から祭壇へ移動した
朝礼でも、会議でも、AIの話が出る。
これからはAIが当たり前になる。
業務の一部はAIに取って代わられる。
だからAIを使わなくてはならない。
一つひとつの言葉は、たぶん間違っていない。
AIが当たり前になる。
業務の一部がAIに置き換わる。
だからAIを使えるようになる必要がある。
一般論としては分かる。
分かるのだが、一気に並べられると少し変な感じがする。
AIに取って代わられる。
だからAIを使え。
敵なのか。
道具なのか。
訓練相手なのか。
それとも、いつの間にか新しい上司になったのか。
一体、AIはどっちなのか?
なぜ、自分たちの仕事に取って代わるかもしれない相手と、親しくする必要があるのか。そのあたりが曖昧なまま、「とにかく使え」という号令だけが前に出てくる。
しかも、僕が思うに、この手の言葉は「妙に浮く」のだ。
本当に腹落ちしている人の言葉は、もう少しその人の形に変わる。
自分の仕事、自分の現場、自分の経験に引き寄せられるものだ。
だが、AIの話になると、ときどき言葉だけが借り物のように空中を滑っていく。
「AIに取って代わられる」
正しいのかもしれない。だが、言っている本人がその意味をどこまで自分の言葉として掴んでいるのかは、かなり怪しい。
少なくとも、聞いているこちらにはそう見える。
……AIは、ずいぶん人心掌握がうまいらしい。
◆使えば褒められる時代が来た
一方で、現場は何もしていないわけではない。
AIに文章の叩き台を作らせる。
AIに会議の内容を要約させる。
AIと対話して考えを整理する。
AIの回答を会議で披露する。
AIは、確かに使われ始めている。
そして今は、使ったこと自体が少し褒められるようになった。
「AIで作りました」
「AIに聞いてみました」
「AIで要約しました」
この言葉が出るだけで、場の温度が少し上がる。会社としてAIを使ってほしい段階なのだから、まず触ったことを褒める。僕もそこまでは分かる。
最初の火起こしとしては、必要なのだろう。
・・・だが、火をつけたことと、料理ができたことは別である。
AIを使った。
うん。それはいい。
では、その結果、仕事は減ったのか。
判断は良くなったのか。
品質は上がったのか。
人間は、何から解放されたのか。
ここを見ないまま「使ったこと」だけが称賛されると、少し不思議なことが起きる。・・・AI活用ではなく、AIを経由した証跡づくりが始まるのだ。
使った。
聞いた。
要約した。
出てきた。
・・・なるほど、AIという関所は通過した。
では、その先で何が変わったのか。
そこが、意外と見えない。
◆産業革命の前に、工程が増えた
AIを使う作業は、意外と手数が多い。
AIの画面を開く。
文章を入れる。
ファイルを入れる。
返ってきたものを読む。
必要なら直す。
そして最後は自分で確認する。
この流れを「便利」と呼べる場面は、もちろんある。
だが、すべての仕事で無条件に便利になるわけではない。
特に、AIの回答をそのまま使えない仕事では、最後に人間の確認が残る。
むしろ確認する対象が一つ増えるのだ。
人間が考える。
AIに聞く。
AIの答えを読む。
人間が確認する。
人間が直す。
人間が責任を持つ。
これでは仕事が減ったというより、間に新しい工程が挟まっただけではないか!
前回、陸の民はここで正しく停止した。AIを使うことが、彼らにとっては便利な近道ではなく、既存業務にもう一工程足す話だったからだ。
そして2026年。
ついに「使え」という号令が強くなった。
陸の民は、たぶん従う。
一歩踏み出して使うだろう。
ちゃんと画面を開くだろう。
プロンプトも入れるだろう。
要約もするだろう。
・・・そして、確認作業も増える。
なんということだ。
時代は進んだはずなのに、現場ではまず手数が増えた。
◆AIは頭を下げられない
さらに厄介なのは、AIの回答が、いつの間にか判断の根拠のように扱われることだ。
AIがこう言っていた。
AIに聞いたら、こうだった。
AIと対話した結果、こう整理された。
それらしいし、文章も整っている。
ロジックも、表面だけ見れば通っている。
妙に滑らかで、妙にもっともらしい。
だが、厄介なことに、AIは責任を取らない。
AIは、マニュアルの解釈を間違えても頭を下げない。
AIは、判断を誤っても顧客に説明しに行かない。
AIは、自分の苦手な仕事を「あなたらしさです」とやさしく言ってくれるかもしれないが、その仕事を代わりに引き受けてはくれない。
答えは出せる。
だが、責任は引き受けてはくれない。
ここを見失うと、AIは便利な道具ではなくなる。
責任をぼかす装置になるのだ。
「AIが言っていたので」という言葉は、一見すると現代的だ。
だが、構造としてはかなり古い。
・・・これ、昔からある。
誰かがそう言っていたので。
前例がそうだったので。
本部がそう言っていたので。
システムがそう出したので。
そこに、AIが一つ加わっただけなのかもしれない。
知らないうちに、AIは出世どころか、ほとんど戴冠式を終えていた。
◆これは産業革命なのか
管理職は、AIは産業革命だと言う。
たぶん、それは間違っていない。
AIが仕事の形を変える可能性はある。それは疑いようがない。
ただし、産業革命は、蒸気機関を置いただけでは起きない。
工程が変わる。
役割が変わる。
人間がやることと、機械に任せることが組み替わる。
責任の置き方も変わる。
そこまで変わって、初めて仕事の形が変わる。
機械が増えただけでは、それは革命ではない。
人間の働き方そのものが組み替わって、初めて革命になる。
今の現場で起きているのは、まだそこではない。
手工業の作業場に、急に蒸気機関だけが置かれたような状態だ。
誰も配管を引いていないし、誰も工程を組み替えていない。
ただ、「これからは蒸気の時代だ。使え」と言われている。
だから現場は、いつもの作業を続けながら、ときどき手を伸ばして蒸気機関を動かす。そして、動いたことを褒められる。
そのあと、蒸気で出てきたものを人間が確認する。
これを産業革命と呼ぶには、少し早い気がする。
むしろ今のところ、現場で起きているのは「AI工程の追加」だ。
仕事の流れが変わったのではなく、仕事の途中にAIを通す場面が増えた。
そして、その確認は結局人間に戻ってくる。
これでは、産業革命というより、残業革命に近い。
……僕は早く帰りたい。
◆革命の前に、設計がいる
AIを使うことには意味がある。それは間違いない。
だが、AIを開いたという事実だけを積み上げても、仕事はたぶん変わらない。必要なのは、AIを使ったかどうかではない。
AIを使ったあと、人間の仕事がどう減るのか。
どう変わるのか。
どこに責任が残るのか。
何を任せて、何を任せてはいけないのか。
そこを人間が設計することだ。
ここが曖昧なまま号令だけが進むと、AIは仕事を楽にする道具ではなくなる。新しい確認工程になる。
あるいは、人間の判断を薄めるための、妙に現代的な言い訳になる。
僕たちは、AIを使って仕事を変える側にいなければならない。
AIが主役の革命に、人間が部品として組み込まれていく。
そんな話になってはたまらない。
大「公開」時代の海は賑わった。
陸の民は、正しく停止した。
そして2026年、陸にもようやく号令が届いた。
AIを使え。
陸の民は、おそらく従う。
実に組織人らしく、きちんと従う。
その結果、何が起きるのか。
産業革命か。
それとも、残業革命か。
僕が今見ているのは、その分岐点だ。
この文章は、「現代徒然|会社員の観測ログ」に入れている記事です。
会社、AI、組織、働き方、日常の違和感。
その場では流れていく小さな引っかかりを、あとから少しだけ観察し直しています。
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