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生産より排除に執着した社会

    退職者が多い職場は職場のほうに問題があるのであって、特定の「問題社員」が諸悪の根源ではない。

    こんな当たり前のことから、まだ目を背けるのか。

    集団を正当化するために個人を悪者にする考え方を弁護士などが発信している。

    YouTubeでそういう動画を見て呆れた。

    主な顧客が企業だから彼らは企業側のポジショントークをしているにすぎないということはわかる。

    「会社が悪いわけではありません。特定の社員に問題があるんです。」と。

    結局そこに戻るのか、と呆れた。

    構造や仕組みに目を向けない限り組織が良くなることはない。

    でも、スケープゴートを作って、それを叩いて、溜飲を下げるのはとても楽なことだから、みんなそういう物語に飛びついてしまう。

    「原因」は独立したパーツとして存在していて、それをつまんで排除すれば、万事良くなる、という考え方。

    イジメの発想。

    あらゆるところでこの考え方がウケている。

    排除されないための適応をみんなが始めると、環境から自浄作用が消えたり、"出る杭は打たれる文化"が定着したり、構造はどんどん歪なものになっていくのに。

    個人は集団には勝てない。

    日本人は基本的に神経症的だから、確固たるものを求める。

    「勝つほうの味方になる。」が日本人の心根だ。

    それが最も不安から遠い選択だからだ。

    気持ちはよくわかる。


    「傷ついた経験を持っている人ほど、他者の心の痛みがわかるようになる。優しくなる。」といった言葉は誰しも聞いたことがあるだろう。

    これは、傷ついた経験というのが、たいていは集団からイジメられた経験だからだ。

    何か対立や問題が起きているとき、つい「負けているほうの側に立って物事を考えてしまう」ということが、優しさだと思う。

    怪我をして倒れた鬼を、周りの鬼たちが寄ってたかって喰う。

    これは『ロード・オブ・ザ・リング』みたいな映画でよく見るシーンではないだろうか。

    それをイメージしてほしい。

    かつて仲間であるはずの者たちから裏切られた人にしかわからないことがある。

    それは、"まともな人"たちの凶悪さ、"いい人"の残酷さ、強い人たちの鈍感さ。

    99%の人たちは上位1%の人たちの養分として生きている。

    そして、"養分"である99%の人たちの中でも同じことが入れ子構造で再現される。

    養分である凡人が、自分より劣る他者を養分にして生きる。

    もちろん世の中はこんなに単純ではない。

    こういう文章を書いているうちに「職場復帰してやろうかコノヤロー」という気持ちになってきた。

    ここが私の悩みどころだ。

    どんな綺麗事で粉飾しようとしても、職場は戦場である。

    そして私は戦いに慣れていながら、戦いが嫌いだ。

    「ここでこういう手を打っておけば相手を負かすことができる。」といったことがすぐにわかる。

    だが、もう人と戦いたくない。

    人と傷つけ合うと生きることがどんどんつらくなる。

    私のような人間は舐められやすいし、喧嘩を売られやすい。

    職場で、「オレはお前みたいな奴を叩きたくてうずうずしてたんだよ。ようこそオレの部署へ。おい、なんだぁ?その目は。やるか?おい、やるか?笑」みたいにギラついた目を今まで何度も見てきた。

    そして身を守るための一手を打つと「あいつは攻撃的だ」と陰で言われる。

    こんなことを書いても仕方ないことはわかっている。

    ここまで書いてきて、下書きを消すみたいなことを何度か繰り返した。

    英会話教室で外国人講師が「日本は安全で素晴らしい!」みたいなことを言うと私はイラっとする。

    つい「日本人は陰険だ。我々は見えない鎖でがんじがらめにされている。我々は奴隷だ。そうやってこの"素晴らしい日本社会"は成り立ってるんだよ。」みたいなことを言ってしまう。

    銃はないけど、日本人は"Invisible Hand"で毎日毎日殴り合ってるんだよ、と。

    講師は「もっとポジティブに!スマイル😀」みたいなことを言う。

    講師に八つ当たりするのはさすがに最低すぎるから「そ、そうだね。」と受け流す。

    彼らは明るい。

    日本人には無い明るさがある。

    コーヒー片手に窓口の近くにたまって談笑してたりする。
    受講生からするとまあまあ邪魔なところに平気で立っていたりするが、こちらは不思議と嫌な気がしない。

    日本人のような重苦しい礼儀正しさが彼らにはない。

    日本人の接客は礼儀正しいが、重い。

    日本の店で少し高い買い物をすると店の出口まで店員がついてきたりする。
    「お出口までお持ちします。」とか言って。
    「やりすぎ、へりくだりすぎ。」といつも思う。

    そして、店を出た後にしばらく歩いてから店のほうを振り返ると店員がまだこちらに向かっておじぎをしていたりする。

    「あれで生産性が上がるわけないわな。」と思う。

    あれができない人材は排除される。

    そういう精神性があらゆる産業の中にあるのだと思う。

    「いいから黙って頭下げろよ。」と。

    おそらく過去に「あんなことしても、お客さまは気まずいのでは?」と言った店員や社員はいたのかもしれないが、おそらく排除されてしまったのだろう。


    外国人講師は、廊下ですれ違うときに友達のように挨拶してくる。
    「元気かい?あははー」みたいに。
    「ヘイ」みたいな一言で済ましてスマホの画面に視線を戻す人もいる。

    「お客さま」として丁重に扱われない感じが良い。

    あの軽さは良い。

     
     
    町役場の職員。退職予定。ひどい組織だった。無法地帯。サービス残業当たり前の世界。37歳で手取り27万円。男。神奈川県在住。英語勉強中。このアカウントは人生の実況中継。

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