
オリジナル短編小説『冷めないコーヒーと、あなた』
息子の寝かしつけが終わった沙知に、拓海は優しく話しかけた。
「今度の休み、3人で出掛けない?」
沙知は疲れ切った表情で首を振る。
「そんな余裕、あるわけないよ。そんな時間があったら、少しでも寝たり片付けしたりしたい」
「でも、息抜きも大事だと思うよ?」
「お金も時間もないの。もう寝る」
沙知はそう言い捨てると、寝室のドアをバタンと閉めた。
次の休みの朝。
拓海は静かに動き出した。
沙知のアラームをあらかじめ切っておき、息子の碧のオムツを替えてミルクをあげた。
そして、碧をベビーカーに乗せて外へ散歩に出かけた。
途中で近所のパン屋に立ち寄り、沙知の好きなパンを2つ購入する。
さらにスターバックスでコーヒーも買った。
帰宅後、碧を着替えさせておもちゃで遊ばせている隙に、洗濯機を回して、部屋全体に掃除機をかけた。
それから三十分後、沙知が目をこすりながら寝室から起きてきた。
「ごめーん! アラーム、なぜか鳴らなかった……」
焦る沙知に、拓海は微笑みながら声をかける。
「碧と散歩に行ってきたついでに、パンとコーヒー買ってきたよ。温かいうちに食べて」
テーブルに並べられた大好きなパンとコーヒーを目にして、沙知の顔がほころぶ。
久しぶりに心を緩ませながら、沙知は嬉しそうにパンを口へ運んだ。
午後は3人で車に乗り込み、大型ショッピングモールへ向かった。
モールに着くと、拓海はまず沙知の好きな本を買った。
それから館内のケーキ屋へと沙知を案内する。
「いらっしゃいませ、何名様ですか?」
店員が尋ねる。
「ひとりです」
拓海がそう答えると、沙知は驚く顔で見つめた。
「俺、碧と外で遊んでくるね。屋上に芝生広場があって楽しそうだったんだ」
拓海はそう言って碧を抱き上げ、屋上へと向かった。
屋上の芝生では、碧が楽しそうにハイハイをしたり、拓海に高い高いをされてキャッキャと声を上げて笑っている。
沙知は静かな店内で、ケーキを味わいながら買ったばかりの本に熱中していた。
しかし、ふと読書の手が止まる。
目からボロボロと涙が溢れ落ちてきた。
ハンカチで涙を拭いながら、沙知はあたたかい眼差しで屋上を見上げた。
帰り道の車の中で、沙知は素直な気持ちを伝えた。
「ありがとう。……なんか、ごめんね。ずっと余裕がなくて」
拓海はハンドルを握りながらニコニコと笑った。
「お礼を言うのはまだ早いよ」
家に着くと、拓海は碧をお風呂に入れ、ミルクをあげて抱っこした。
今日はたくさん遊んで疲れたのか、碧はすぐにスヤスヤと眠りについた。
「ママ、碧と一緒に横になってゆっくり休んでて」
拓海はそう言うとキッチンに立ち、沙知の好きな中華料理を作り始めた。
デザートには、モールでこっそり買っておいた高級杏仁豆腐も用意してある。
やがて目を覚ました碧と沙知が、リビングへやってきた。
手作りの料理を囲み、3人で賑やかに夕飯を食べる。
食後には冷えた杏仁豆腐も味わった。
拓海は沙知の目を真っ直ぐ見て言った。
「これからの子育て、二人で一緒にやっていこう。俺も今まで沙知に頼りっぱなしでごめん。今日はお金もたくさん使っちゃってごめんね」
言葉を一度区切り、拓海は優しく付け加えた。
「でも、休んでほしかったんだ。沙知の身体も、心も」
沙知は深くうなずき、涙ぐみながら微笑んだ。
「これからは、ちゃんと頼るね。よろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
二人のやり取りを見ていた碧が、楽しそうにキャッキャッと声をあげて笑い出した。
その声につられるようにして、3人は顔を見合わせ、幸せそうに笑い合った。
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