
死ぬ間際まで眺めたい、「忘れたくない瞬間ノート」を作った
新しく「忘れたくない瞬間ノート」を作った。

キラリと光る星が忘れたくない瞬間ぽくて好き
メモ帳はトラベラーズファクトリーで買った

このノートは文字通り、忘れたくないなと思った瞬間のことを書くノートだ。
最初は「感動ノート」という名前にしようと思ったのだが、範囲が広すぎてなにを書けばいいかわからなくなると思ったのでやめた。
ノートを作るときは定義が大事なのだ。なにを書くかわからないノートは書けないから。

忘れたくない瞬間ノートのコンセプトは「思い出したら泣いてしまう瞬間を残す」だ。
子どもが巣立っても、自分がおばあさんになっても、死ぬ間際になっても「たぶんあの瞬間のことは思い出すだろうな」と感じたことを残しておきたい。
このノートは、子どもには渡さない。私による、私のためだけのアルバムみたいなノートだ。死ぬ間際まで眺めては泣いていると思う。
でもたぶんノートに書く内容は、自分以外のことが多くなるんじゃないかな。
自分がしてもらってうれしかったことや、仕事での感動も書くだろうけど、それよりも子どもの成長でうれしかったことや夫のことなど、ほかの人の様子を眺めていてうれしかったことをたくさん書いていく気がする。
最近つよく思っているのは、自分ひとりで味わえる感動の大きさには限界があるんだろうな、ということ。
読書や映画でも感動はできるけど、生身の人間が実際に経験する以上の感動にはならないのではないか、と思うのだ。
人といっしょになにかをやって、想像もしなかったことが起こるときに味わえる感動を求めて、いま私は生きている気がする。
パーソナル編集者®のセッションでもそんな感じのことを話していたのを、ふと思い出した。40歳にして青春を過ごしているのかもしれない。
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今年のはじめ、大人の学びノートのnoteを書いたのをきっかけに、自分のなかでのノート作りの意味合いが大きく変わってきた。
自分にとってノートは単に学びを記録するものではなく、自分の感じた世界をそのまま残すものなんだと感じるようになったのだ。
ノートは書いたときにだけ見るものでもない。時間が経ってから眺めるのも楽しいし、時間が経ってから見るからこそ新しい発見があるんだなと思うようになった。
そう思うとノートは永遠に完成しなくてもいい気がしてきた。1ページだけ書いて終わっていてもいいのでは?と思っている。そのとき、その瞬間の自分が興味があったことがそれなのだという記録なことは間違いないから。
かくいう私自身、新しいノートを作っては数年レベルで放置してしまうことに以前は劣等感があったのだが、いまはもう気にならなくなった。興味が戻ってくるかどうかもわからないけど、どこかでなにかがつながっている気がしている。
そう考えるようになった結果、作るノートの種類も変わった。
なにもしなかった時間ノートのように、なにもしてなかった時間を観察するという謎のノートを作ったり。
入眠ノートのように「もはや読めなくてもいいノート」を作り始めたり。
失敗したパターンを見つけるために、失敗ノートを作ったり。
本を読んでいると「ついついやっちゃうことが自分の特技」と書いてあることが多い。
ついついやっちゃうことってなんだろう?を考えてみると、私の場合は小学生時代からやっているノート作り以外に思いつかないのだけど、ノート作りが私の特技やこれからの仕事とどう結びついていくのかは、正直いまだにわかっていない。
見えたかも?ってこともあれば、見えた気がしたのに見えなくなったな、ってときもあり。雲が多い日の月みたいな感じかなあ。
でも、自分が小さい頃からずっとやり続けてきたことをnoteにしっかり言語化してみただけで、予想すらしていなかった変化が生まれるんだなと、いまは驚いている。この先どんなことが起こるのか、楽しみだな。