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食べて食べて江戸時代~誹風柳多留の江戸の古川柳より

     文化的な余裕ができた江戸時代には、食文化も発達した。蕎麦や寿司が発展したのも江戸時代だ。そして、食にまつわる職業も増えた。そんな食に関する川柳を紹介する。
     江戸時代の川柳を古川柳こせんりゅうという。七七の問題(前句まえくという)があり、それに対する五七五を一般人がつくり投稿する。優秀作には賞金が出るというものだった。
     その優秀作を集めた「誹風はいふう柳多留やなぎたる」の作品を紹介する。わかりやすい表現にした句と原文の句と前句を並べているが、原文の前の数字は、「誹風柳多留」の巻数と作品番号。

     


    米つきの明るみへ出る一つかみ

    4-141 米つきのあかるみへ出る一つかみ  前句不明

     米は、もみ殻がらにつつまれており、もみを取ったものが玄米げんまい。玄米のぬかを取るのが精米せいまいで、精米して白米になる。江戸時代には、精米用の臼うすをもってまわる米つきという商売があった。
     米が精米できたかどうか、明るいところで確かめている、という句。精米風景など知らない人は、「ほおっ」と思いながら見たのだろう。
     ちなみに、精米した米を、さらに精米してぬかを取り切った米が、無洗米。普通の米よりさらにけずれて小さくなっている。

     


    舌平目したびらめ御乳母おうばはふてて食わぬなり

    4-349 した平目びらめ御乳母おうばはふててくわぬ也なり  かさなりにけりかさなりにけり

     乳母うばは、裕福な家庭の子どもに乳を与えていた。お嬢様は、赤ん坊におっぱいなどやらなかった。乳母は、おっぱいを出すためにいい食事を与えられたのだろう。前句の「かさなりにけり」は、乳母としての年月を重ねたベテランってことだろうか。
     舌平目したびらめのムニエルなんて高級料理になるが、当時は、下々しもじもの者が食うまずいものといわれていた。「こんなものを出しやがって」と、乳母はふててしまったのだ。
     寿司ネタナンバーワンのマグロのトロも、当時は脂が多いと捨てられて、赤身だけ食べられていた。まつたけだって山のようにとれていた。

     


    めづらしいうちはきふりきゅうりも皿さらへ盛もり

    5-614 めづらしい内うちはきふりきゅうりも皿さらへもり  いとひいこそすれいとひこそすれ

     小松菜のような江戸の特産品となる野菜が作られたのも江戸時代。野菜も豊富になり、キュウリなんて当たり前の野菜だったが、季節が違えば食べられなかった。今では野菜は年中あるが、当時は旬しゅんにしか食べられない。夏野菜のキュウリも、初物はつもののときには大切に食べたのだろう。
     ちなみに、俳句の季語で冬になるのがダイコンやハクサイ。おでんや鍋なべのあったかいものに入れる野菜は冬が旬になる。
     前句の「いとひ」は厭いとうことで、いやがるという意味だろう。

     


    狐きつねつり思ひいがけない鳶とびをつり

    5-434 狐きつねつり思ひいがけない鳶とびをつり  まねきこそすれまねきこそすれ

     キツネを「まねく」罠わなをしかけた猟師が捕まえたのはトンビだった。油揚げがエサだったのだろうか。
     キツネは毛皮にもなるが、肉も食べたのだろう。キツネ肉は味付けをうまくしないとまずいらしいが、食べたことがないのでわからない。当時は肉食が禁じられており、特に四つ足の獣けものは食べないという建前たてまえになっていた。
     鳥は二本足だから食用になり、カモ肉なんぞは有名だ。焼き鳥も、ニワトリだけでなく、スズメが中心に食べられていた。トンビも食べていたのだろう。
     トンビのように大きい鳥はだめだが、カスミ網あみという細い糸の網には、ありとあらゆる小鳥がひっかかる。それをつかまえて食べていた。羽をむしって焼き鳥にしてしまえば、みんな同じに見える。
     なんでもかんでも引っかかるので、カスミ網あみで鳥をとることは禁じられたが、なんせ昔は、なんでも食べていた。

     


    美しひい顔で楊貴妃ようきひ豚ぶたを食い

    4-387 美しひい顔でやようきひぶたをくい  高ひいことかな高ひことかな

     楊貴妃ようきひは、クレオパトラ、小野小町と並ぶ世界三大美女の一人。とはいうものの、国を傾けた前の二人に対して、男一人を恋わずらいにさせた小野小町が並ぶのも日本的だが。
     前句の「高ひい」は、身分が高い、評判が高いのこと。楊貴妃ようきひは当時の日本でも有名だった。
     楊貴妃ようきひの住む中国では豚が食されていた。肉食が建前は禁じられていた日本人から見ると、あんなにきれいな顔で、豚なんて食べるんだ。へえっ、へえ、といったところだろう。
     こんな句をいった後だが、豚肉を食べていないはずの当時の日本では、豚が多く飼育されていたという。乗馬や農耕のために馬や牛は多く飼われていたが、豚は食べる以外に飼育する意味がない。ペットにするには大きすぎる。やっぱり食べていたんだろう。
     まあ、クジラを魚だといって食べ、うさぎを鳥だといって一羽二羽と数えて食べていたのだから。
     肉食も薬だといって食べ、馬肉をサクラ、猪をボタン、鹿をモミジと呼んで肉食とわからないようにしていた。猪は山クジラといって、魚肉だと思わせてもいた。まあ、なんでも食していたが、犬肉だけは生類しょうるい憐あわれみの令れいの名残なごりか、日本では広がらなかった。

     

    食の歴史もおもしろい。そんなことも川柳から読み取れる。

     


    「誹風柳多留」の古川柳のまとめはこちらの後半部分に今まで紹介したもの全て載せている、

     

    タイトル画像は、黄表紙「世上洒落見絵図」より

     

     
     
    神戸からの風。 歓怒の文字は「歓喜」「怒り」「喜怒哀楽」を示し、「かんど」は漢字では「神戸」とも書ける。「感動」とも書ける。 毎週、日曜日、木曜日更新。

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