
納豆王の茨の道 第7章 ドレッシングで食べるフランス風納豆? ~パリの小部屋で始まった挑戦~
前章では、盛岡からパリまでの長旅を綴った。
そしてまたまたフォロワーのわかモンさんが記事を紹介してくれました。
今回、いよいよ画家・長塚玲子と出会った。
そして、彼女が描く納豆の夢とは…
真っ赤なワンピースで登場
アベス駅の地下鉄入口で、僕は長塚さんを待っていた。
パリに来て、まだそれほど時間は経っていない。
前夜、モスクワ経由でシャルル・ド・ゴール空港に到着し、慣れないフランスの地下鉄を乗り継いで、今朝、ようやくモンマルトルまでやって来た。
すると目の前に、一台のゴミ収集車が停まった。
作業員が路上に置かれていた緑色の大きなバケツのような容器を持ち上げる。
ゴミが収集車の中へ、ドサッと落ちた。
ところが、その周辺にはゴミがいくつかこぼれ落ちている。
作業員は、それを拾う様子もない。
「……ずいぶん雑な回収だな」
日本なら、ゴミをこぼせば掃除するのが当たり前だろう。
しかし、ここはパリ。
日本では見慣れない光景に、僕は思わず目を奪われていた。
異国に来ると、こんな些細なことまで面白く感じる。
ゴミ収集車を物珍しそうに眺めていると、突然、背後から日本語が聞こえた。
「もしかして、納豆王の蒲生さんですか?」
僕は驚いて振り返った。
そこには、真っ赤なワンピースを着た、故南田洋子似の初老の日本人女性が立っていた。
「はい。長塚さんですか?」
「はい。長塚玲子です。今回は、わざわざパリまで来てくださってありがとうございます」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
ようやく、長塚さんと対面することができた。
しかし、挨拶もそこそこに、彼女は言った。
「早速ですが、まず見て頂きたいモノがあります」
そう言うと、スタスタと歩き始めた。
僕は慌てて、その後を追った。
モンマルトルの丘を抜け、細い路地を進んでいった。
パリの納豆売り場でお買い物
そして彼女が立ち止まったのは、街角にある小さなアジア系の食料品店だった。
店内は決して広くない。
それなのに、中国、ベトナム、韓国……さまざまなアジアの食品が、所狭しと並べられている。
買い物をしているのも、アジア系の人だけではない。
フランス人らしい客も、商品を手に取りながら店内を歩いていた。
「こっちです」
長塚さんについて行くと、日本食の冷凍食品コーナーにたどり着いた。
そこで彼女は足を止めた。
「これが、フランスで買える納豆です」
冷凍ケースを指差す。
そこには、日本の大手メーカーの商品もあれば、僕には見覚えのない中小メーカーの商品もある。
納豆が、4~5種類並んでいた。
「冷蔵だと賞味期限が過ぎちゃうから、やっぱり冷凍で売られているんですね」
「そうなんです。しかも日本で買うより3倍以上高いですよ」
そう言いながら、長塚さんは三個パックの納豆を二つ手に取った。
よく見ると、それは秋田県が本社の納豆メーカー、ヤマダフーズの「おはよう納豆」だった。
パックの底には、フランス語のラベルが貼られている。
そこに記された賞味期限は、なんと六カ月。
「日本の納豆とは、ずいぶん違いますね」
僕は思わず商品を眺めた。
フランス人に納豆を売るには
長塚さんは、納豆を買い物かごに入れながら言った。
「フランスで製造すれば、冷蔵で新鮮な納豆が安く食べられます」
その言葉に、私は少し考えた。
そして、頭に浮かんだ疑問を、そのまま口にした。
「そもそもフランスでは、納豆の認知度は低いんじゃないですか?」
「そうですね」
「それに、納豆パックなどの資材は、フランスで調達できるんですか?」
長塚さんは、少し考えるようにしてから答えた。
「納豆の認知度は低いけど、健康食品に関しては意識が高いです」
そして、冷凍ケースの納豆を見つめた。
「ただ……発泡スチロールの納豆容器は環境にやさしくないので、
このままでは、日本人以外には売れません」
なるほど。
僕は、もう一度、納豆のパックを見ながら考えた。
彼女はパリで小さな食料品店を始めて、製造する納豆を販売しようとしているのか。
長塚さんは会計を済ませると、買い物袋を手に取り、何事もなかったかのように店を出た。
そして、またスタスタと歩き始めた。
僕は、ただただその背中を追いかけた。
古い石造りのアパートで
モンマルトルの街を歩くこと、およそ10分。
石造りの建物が並ぶ通りを抜けたところで、突然、彼女が足を止めた。
「ここが私が住むアパートよ」
そう言って指差した先には、古びた石造りの5階建ての建物があった。
パリでは、こうした古い建物が珍しくない。
日本のような新しいマンションとは違い、長い年月を経た石壁には独特の風格がある。
僕は建物を見上げながら、ふと思った。
「長塚さんのご家族も、ここに住んでいるんですか?」
すると彼女は、あっさり答えた。
「私はずっと独身。ここはルームメイトと3人で暮らしてます」
「ルームメイトは日本人?」
「ううん。二人ともフランス人女性よ」
聞けば2人とも20,30代で、彼女から見ればまるで娘同然だった。
そんな共同生活をしていることにも驚いた。
「で、アトリエもここで?」
「アトリエは別の場所にあります」
そう言いながら、長塚さんは建物の中へ入っていった。
僕はさらに後を追った。
エレベーターなど見当たらない。
狭い階段を上り、さらに上る。
古い建物特有の、少し急な階段だった。
やがて3階にたどり着くと、長塚さんは一つのドアの前で立ち止まった。
鍵を取り出し、ドアを開ける。
「ここが私の家よ。中へどうぞ」
「入っていいんですか? ルームメイトは?」
「今は仕事に行ってるから、いないわ」
「じゃあ、お邪魔します」
恐る恐る部屋の中へ入った。
見知らぬ女性の家に上がるというのは、どこか後ろめたさもあった。
長塚さんが作った納豆料理
長塚さんは先ほど買った食材を手早く片付け始めた。
冷凍ケースで買った「おはよう納豆」は、冷凍庫へ。
そして、ひと通り荷物を片付け終えると、今度は冷蔵庫を開けた。
中から取り出したのは、小さなガラス容器だった。
「これが、私が作った納豆」
そう言って、僕の前に差し出した。
「納豆王の率直な意見が聞きたいわ」
僕は思わず、その小さな容器を見つめた。
まるでプリンでも入っているような、かわいらしいガラスの小瓶。
しかし、その中身は紛れもなく納豆だった。
長塚さんから小さなスプーンを手渡された。
「どうぞ」
僕は小瓶を手に取った。
まずは、匂いを嗅いでみる。
微かに納豆特有の香りが立ち上ってきた。
少なくとも、納豆を作ろうとしていることは分かる。
次にスプーンを瓶の中へ入れ、小粒の納豆を掬った。
そして、一口。
……。
最初に感じたのは、柔らかさだった。
舌先で潰せるほど、かなり柔らかい。
日本で食べ慣れている納豆とは、明らかに食感が違う。
そして、粘りも少ない。
さらに噛んでみる。
納豆特有の、あの濃厚な旨味があまり感じられない。
僕は、何か物足りなさを感じた。
「醤油とか、タレは?」
思わず聞いた。
納豆といえば、醤油。
またはタレと辛子。
僕にとって、それは納豆を食べるうえで、ほとんど当たり前の存在だった。
ところが長塚さんは、少しも困った様子を見せずに答えた。
「醤油はフランス人には、あまりなじみがないから」
「なるほど……」
「私はいつもサラダに乗せて、フレンチドレッシングとオリーブオイルをかけて食べるの」
「サラダに納豆……」
思わず、その言葉を頭の中で反芻した。
確かにTVチャンピオンの番組の中で、僕も中華風納豆サラダを作った。
しかし、ここはフランス。
日本の食べ方をそのまま持ち込んでも、フランス人が食べてくれるとは限らない。
長塚さんが用意してくれたサラダに、納豆を乗せた。
そこへフレンチドレッシングとオリーブオイルを少々。
勧められるまま、僕はスプーンで納豆をサラダと一緒に口へ運んだ。
「……」
なんとも不思議な味だった。
納豆なのに、いつもの納豆とは違う。
ドレッシングの酸味とオリーブオイルの風味が加わり、納豆特有のクセがかなり抑えられている。
「ん~、これがフランス風納豆?」
僕がそう言うと、長塚さんは笑った。
「どう? 美味しいでしょ?
バゲットに乗せて食べても美味しいわよ」
僕は少し考えてから答えた。
「なかなか乙な味ですね……」
それが、そのときの僕の精いっぱいの感想だった。
正直に言えば、可もなく不可もなし。
少なくとも、日本で僕が食べてきた納豆とは別物だった。
しかし、長塚さんの表情には、何か確信めいたものがあった。
僕はサラダの上に乗った納豆を見つめながら考えた。
これを、本当にフランスで売るのか?
普通の食料品店で売るのか。
それとも、納豆を使ったカフェでも出すつもりか。
この味の納豆をフランス人が受け入れてくれるのだろうか。
そもそも、目の前にあるガラスの小瓶の納豆は、どうやって作ったのか。
次から次へと疑問が浮かんできた。
しかし長塚さんが考えていることは、単に日本の納豆をフランスで作って売るという話ではなかったことが明確になった。
パリの古いアパートの一室。
その小さな食卓から、僕の想像をはるかに超える「フランス納豆計画」が、彼女の中で静かに動き始めていた。
